「集団的自衛権をめぐる議論に対する国際協力NGO・JVCからの提言」について
会員:長谷部 貴俊
所属先:日本国際ボランティアセンター
7月1日、集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたが、それにさきがけ5月15日、安倍晋三首相は、私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告発表を受け、記者会見を行い、そこで首相はNGO職員の絵をパネルで示し、「彼らが突然、武装集団に襲われたとしても、日本の自衛隊は彼らを救うことができない」と述べた。この発言を中心とした集団的自衛権をめぐる議論に対して、イラク、アフガニスタン、スーダンといった紛争地での活動を行っている日本国際ボランティアセンター(以下JVC)は、そもそも現場の実情とあまりにも異なった議論を日本政府がしていることにまず声を出さなければという思いがあった。
紛争地の実情から
日本政府は紛争地においてNGOスタッフが武装勢力に拘束された際に、自衛隊による救出を述べているが、筆者自身、2005年から12年までJVCのアフガニスタン事業担当者として幾度も現地に滞在し、その経験から「武装の警護もつけず、丸腰で活動してきたからこそ安全が保たれた」と感じる。NGOスタッフが拘束された多くの場合、赤十字国際委員会や地元リーダーによる交渉によって解決されているし、軍と距離を取ることで中立性を保つことが安全を確保するのだ。
アフガニスタンでは戦争による民間人犠牲者はタリバーンによるものだけでなく、米軍、NATOによる「テロ掃討」作戦の巻添えや誤射等で多くのアフガニスタン市民で亡くなっているため外国軍への反感は非常に強い。
また、アフガニスタンでは2002年11月に導入されたPRT(Provincial Reconstruction Teams)という、軍事組織と文民組織が共同して復興に取り組む形態が全土で行われていた。PRTが、軍主導の人道・復興支援活動であり、対テロ戦争の過程で治安が極度に悪化したアフガニスタンでは軍と文民の共同支援が有効と言われている。しかし、PRT活動は、援助と引き換えにタリバーンの情報提供を求めたり、人心掌握の目的に利用されていた。そのため、タリバーンはじめ反政府勢力は、PRT活動とNGOによる人道支援を混同し、2007年前後、NGOをソフト・ターゲットとして攻撃を行っていた。JVCの活動する東部でも米軍PRTが、NGOの活動地域でのばらまき活動を連続して実施し、JVCもその被害にあった。幸い、JVCがタリバーンからの攻撃を受けることはなかったが、住民たちから米軍との協力を疑われその疑いを晴らす必要があった。JVCを始めNGOが米軍PRTを激しく非難し、その結果、2008年後半から医療分野でのPRTや軍の直接支援活動はナンガルハール県では減少した。しかし、この事例が示すように、現地の住民にしてみれば、軍の活動と人道支援のNGOの支援を区別することは難しく、タリバーンが攻撃対象としてしまうことも、不思議ではないだろう。そのため、人道支援団体は軍と一線を画す必要があるのだ。
アフガニスタンはあくまでも一例であり、あ らゆる紛争状況でも人道支援団体のみで活動できるのかどうかは慎重に検討しなければいけないが、ある赤十字国際委員会のシニア・スタッフが、「これまで数 多くの紛争地で活動してきたが一度も武装したことはなく、防弾車ではなく、赤十字のマークをつけた車で移動していた。」と筆者に話したことは示唆に富んで いる。
集団的自衛権によって失うもの
こ れまで自衛隊派遣がイラクをはじめとしてあるものの、武力を行使する事態に陥らないように細心の注意を払ってきたと言われている。つまり、非軍事に徹した 国際平和協力により日本は国際的な信頼を獲得してきた。しかし、集団的自衛権を認めることで「日本の平和協力の独自性が失われること」を提言書で警鐘を鳴 らしている。
これまで筆者が何度かJVCの事務所のあるアフガニスタン、ジャララバード市内で県政府高官や大学関係者と支援調整の打ち合わせをしていたとき、彼らは私に向かってこう言った。「日本の支援は欧米諸国と違い、市民の巻き添えも多い軍事支援ではなく、復興に特化したアプローチだ。日本のプレゼンスは大きい」と。平和主義に基づいたこれまでの優位性をさらに強化する形で国際協力を行うことが日本に求められているのではないだろうか。
戦争とNGO
提言書を離れて、そもそもNGOは 戦争に対してどう考え、行動すべきだろうか、重いテーマであるが、これについて述べたい。国境なき医師団の元理事長であるロニー・ブローマンは「人道援助 は戦争から生まれ、戦争を通じて存在していながら、同時に戦争にたいし賛成とも反対とも全然言わない点にある。」と述べ、また、専門職業と化した人道支援 を否定し、人道支援が蛮行への承認になることを危惧している。つまり、一般の市民がもっている戦争への嫌悪感、否定的な考えにNGOは立ち向かうべきかという質問を投げかけた。例えば2001年、アフガニスタンへの介入直後に、当時のパウエル国務長官は、米国NGOリーダーを前にして、NGOを「我々の戦闘チームの一員としての部隊増強要員」と呼んだのである。(http://avalon.law.yale.edu/sept11/powell_brief31.asp)これは明らかに戦争遂行者である米国政府が人道支援を行うNGOを「戦争処理部隊」と認識していたこと示していると言えるだろう。
現状の人道支援のNGOの在り方からすれば、人道支援を生み出し続ける戦争そのものの否定は、矛盾かもしれないが、人命を救うことを第一とする人道支援のNGOは、本来なら人命を危機にさらす戦争そのものを否定すべきなのではないだろうか。これは人道支援NGOにつきつけられた根源的な問題である。
参考文献
長谷部貴俊『「テロとの戦い」とNGO』「終わりなき戦争に抗す」中野憲志編 2013年、p241-258 新評論
ロニー・ブローマン 高橋武智訳 「人道支援、そのジレンマ」産業図書、2000年、p46