民族自決の100年 ―国民国家建設と民族国家建設の相克―

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日本平和学会2019年度秋季集会

民族自決の100年

―国民国家建設と民族国家建設の相克―

 

広島市立大学広島平和研究所

吉川元

 

キーワード:民族自決、国民国家、民族国家、民族浄化、住民交換、民族強制移動、ジェノサイド、民族マイノリティ保護

 

 はじめに

 近代国家は、主権国家、国民国家、領域国家の三つの属性を有すると一般に考えられている。しかし多くの国で国民国家は今も虚構である。国民国家の100年の歴史にもかかわらず、民族自決主義が相変わらず強力なイデオロギーとして国民国家と領域国家の基盤に挑戦している。国民国家の建設は、国民統合の取組みに始まり、その手法は同化政策である。しかし、国際関係が緊張すると、「第5列」の脅威に備えて同化政策を諦め、多数派民族中心の民族国家の建設に取組むことになる。東中欧諸国、南東欧諸国、旧ソ連・ロシアの欧州部を中心に、国民国家建設の100年の歴史は、民族国家建設の100年の歴史でもあった。

 民族国家建設の手法が民族自決主義に基づく民族浄化である。民族国家の建設に向けてこれまで講じられてきた民族浄化の策は、およそ次の三つに大別されよう。第一は、民族マイノリティの存在を物理的に排除する策で、それには民族が入れ子状態にある民族混住地から特定民族集団の国外への強制移動、ジェノサイド、住民交換、民族境界線に合わせた国境変更等の策がある。民族浄化は戦争の前夜、戦中、そして戦争直後にかけて行われている。特に戦争直後には民族紛争の予防と民族国家建設の目的で民族強制移動と住民交換が実施されてきた。

 本報告の目的は、以下の3点を論証することにある。第一に、20世紀初頭から21世紀初頭にかけてのおよそ100年間、同化政策による国民統合と国民国家建設の歴史は、多数派民族による民族国家建設の歴史との相克であった。住民交換、民族浄化、ジェノサイドといった民族浄化は、国民統合の裏面史でもある。

 第二に、主として20世紀の三つの国際平和秩序の再編期(第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦終結期)に進められた戦勝国主導の民族強制移動は、国家安全保障政策の観点から行われた民族国家建設の試みであるとともに、民族紛争の予防目的で行われた平和政策の一環に位置付けられる試みでもある。「第5列」の脅威に備え、戦後の混乱期は民族国家建設の取組みの好機であったからである。

 第三に、国民国家建設の歴史は、民族マイノリティ保護規範の形成をめぐる100年でもあった。国際平和秩序の再編期には、国際平和と戦争予防の観点から民族マイノリティの国際保護の当否が問われ、民族マイノリティ保護に関する国際規範の形成が試みられ、その過程で同化政策と国民国家建設の矛盾・対立が露呈する。戦争の主要原因の一つに民族問題があり、それ故に民族問題に関する国家行動規範の確立が国際平和との関連で重要な課題とみなされるようになったからである。

 

1.第一次世界大戦と民族自決

 19世紀後半から20世紀末にかけて欧州で発生した民族の強制移動には三つの大きな波があった。第一次世界大戦を挟んで発生した第一の波は、オスマン帝国、ロシア帝国、及びオーストリア・ハンガリー帝国の三つの帝国の衰退または崩壊と関連している。オスマン帝国から独立したキリスト教徒を多数派とする諸国とオスマン帝国との間で、あるいはかつて旧オスマン帝国支配下にあった諸国間で、民族マイノリティの追放や住民交換が行われた。

 第一次世界大戦後、民族紛争の予防こそ国際平和秩序の鍵を握る重要な課題であると考えられるようになり、国際社会は戦争後に民族マイノリティ問題に関する具体的な国家行動規範の確立に迫られた。民族マイノリティ権利の基準を定め民族マイノリティの国際保護制度を確立することで戦争を予防しようとする策が実施された。

 

2.第二次世界大戦と民族自決

 第二次世界大戦を挟んで発生した民族強制移動の第二の波は、ナチ・ドイツとスターリン・ソ連の二つの全体主義国家の民族政策と関連している。大戦前夜のソ連では、仮想敵国と民族的な絆を有する民族マイノリティの追放が行われ、ドイツではユダヤ人の迫害が行われた。戦中にはドイツ占領統治下でユダヤ人やスラブ系民族の迫害と追放が行われ、一方、ソ連領内ではドイツ系住民を中心にナチ・ドイツと協力関係にあった(とみなされた)民族マイノリティの国内強制移動が行われた。戦後には主としてドイツ系住民が定住していたチェコスロバキアとポーランドを中心に欧州各地で民族強制移動が行われ、民族国家建設が進められた。ナチ・ドイツは、ドイツ人マイノリティ保護を口実に侵略戦争を始めたことから、戦後には民族問題は封印される。

 

3.冷戦の終結と民族自決の再生

 冷戦の終結の前後に発生した第三の波は、ソ連とユーゴスラヴィアの二つの社会主義連邦国家の崩壊と関連している。ソ連とユーゴスラヴィアの崩壊に伴い分離独立した国々の間で民族浄化が繰り返され、民族の戦争(新戦争)が勃発した。冷戦終結後には、民族自決が新戦争の勃発のきっかけとなったことから、多国間の民族マイノリティ保護制度が復活し、民族自治制度、多文化主義、権力分掌といった民族共生のための国内制度を確立することによって、民族紛争を予防しようとする政策が有効になる。

 

参考文献

  1. 吉川元 『国際平和とは何か―人間の安全を脅かす平和秩序の逆説』中央公論新社、2015年。
  2. Claude, Inis L. (1955) National Minorities: An International Problems, Harvard University Press.
  3. Jackson Preece, Jennifer(1998) National Minorities and the European Nation –States System, Clarendon Press. 
  4. Naimark, Norman M. (2001) Fires of Hatred: Ethnic Cleansing in Twentieth Century Europe, Harvard University Press.