日本平和学会2019年度秋季研究大会
クィア・ムスリムについて
立命館大学大学院先端総合学術研究科
長島 史織
キーワード:イスラーム、宗教、セクシュアリティ、クィア、LGBT、クィア・ムスリム
はじめに
セクシュアル・マイノリティは、メディアでLGBTQとして取り上げられ、近年注目されつつある。さまざまな信仰とそれとの関係については、クィア神学としてキリスト教をめぐる問題の研究はあるものの、そのキリスト教も含め多くの信仰間でタブー視され、未だ十分な議論もなされていない状況である。本報告は、セクシュアル・マイノリティとムスリム社会で生じる諸問題を検討し、セクシュアル・マイノリティでありながらイスラーム信仰を持つことの新たな信仰における無矛盾性の可能性を検討していく。
1.クィア・スタディーズと宗教
クィア・スタディーズと宗教に関する研究は、主にクィアとの交差性において1990年代から展開され、近年徐々に研究の厚みを増している。人種的文化的な視点からクィア・ムスリムやクィア神学などの理論構築が試みられている。イスラームにおいて、信仰とクィアだけでなく、西洋文化批判とも連繋した展開となっている。ここではイスラーム信仰がもつ規範性から、ムスリムの周縁としてのクィアの位置づけについて、クィア理論の異性愛規範批判を踏まえつつ考察していく。
2.異性愛規範と西洋中心主義
イスラームにおいては同性愛嫌悪が永久的に存在している、と思われているが、各国状況や宗派により、カミングアウトしなければ黙認されていたり、トランスジェンダーについては性別適合手術を受けて性別移行すればよいとされていたりする事例もある。とはいえ、依然抑圧的状況が存在していることは確かであるが、同性愛やクィアを西洋文化からしか理解できない、といった西洋中心主義に対する批判である場合も多い。他方、西洋諸国では、イスラーム嫌悪によりLGBTQを人権意識の踏み絵にすることがあり、その反動でイスラーム社会にバック・ラッシュが起こるという状況も考慮されなければならないだろう。イスラエルのピンク・ウォッシングについて言えば、それがLGBTQに対する人権意識の高さをアピールしつつ、イスラーム社会への偏見を利用し助長するといった機能も見落としてはならない。
セクシュアリティの観点から、異性愛規範に対する批判として、「異性愛を唯一の合法的な愛の形態として、それを異性愛中心的な考え方」(竹村 2002: 309)とする場合もある。クィア・ムスリムは、この二つに対して批判を同時に展開し、クルーアンを性の多様性において再解釈することを試みている。
3.クィア・ムスリム
イスラーム社会は、国家ではなく、宗教が性を管理しているため、セクシュアリティと信仰の再構築はクィア・ムスリムにとって第一義的な重要性を有している。同性愛に関してイスラームが禁止ずるものの多くは男性に関してであり、クルーアンで男性同性愛を批判する箇所は存在するが、女性同性愛を批判する箇所はなく、男女の非対称性の問題も浮上する(Siraj 2015: 187)。このように、セクシュアル・マイノリティと言っても、セクシュアリティにより状況は異なり、レズビアン、トランスジェンダー、アセクシュアルが不可視化されやすい。特に、トランスジェンダーは、宗派や国によって解釈が異なるため、みな同じ状況であるわけではない。シャリーアでは、性は自然において必要なものと考えられているため(Siraj 2015: 187)、アセクシュアルは社会や宗教が持つ性愛規範によって他のセクシュアリティに比べ不可視化されやすい(Przybylo 2016)。
4.クィア・ムスリムを扱うことの課題
一言でクィア・ムスリムと言っても、法学派やセクシュアリティ、ジェンダー、社会諸制度などにより、全く異なる状況であり、同じクィア・ムスリムでもそれぞれ異なった多様な経験をしている。今後は、国別、セクシュアリティ別、ジェンダー別などカテゴリーのそれぞれの状況を分節化していく必要がある。
「グローバルなクィア」ではなく、「ドメスティックなクィア」であるためには、常に問い続け、アイデンティティを固定化させないよう「アイデンティティの過剰さと対峙」(竹村 2002: 258)していく「アイデンティティの中断」(竹村 2002: 260)が必要なのではないか。
参考文献
- Altman, Denis, 2001, “Global Sex”, Chicago: The University of Chicago Press. (=2005, 河口和也・風間孝・岡島克樹訳『グローバル・セックス』 岩波書店.)
- Butler, J., 1990, “Gender Trouble: Feminism and the Subversion of Identity”, New York: Routledge. (=1999, 竹村和子訳『ジェンダー・トラブル――フェミニズムとアイデンティティの攪乱』 青土社.)
- Merabet, Sofian, 2006, “Creating Queer Space in Beirut. Zones of Encounter within the Lebanese Male Homosexual Sphere”, Sexuality in the Arab world, London: Saqi, 199-260.
- Przybylo, Ela, 2016, "Introducing Asexuality, Unthinking Sex", Seidman Steven, Nancy L. Fischer and Chet Meeks eds., Introducing the New Sexuality Studies: Third edition, London: Routledge, 181-191.
- Rahman, Momin, 2010, “Queer as Intersectionality: Theorizing Gay Muslim Identities”, Sociology, 44(5):944-961
- Siraj, Asifa, 2015, “British Muslim lesbians: reclaiming Islam and reconfiguring religious identity”, Cont Islam, 10: 185-200.
- 竹村和子, 2002, 『愛について――アイデンティティと欲望の政治学』岩波書店.