CSCEプロセスに見る公共財としての「平和」と宗教

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CSCEプロセスに見る公共財としての「平和」と宗教

玉井雅隆(東北公益文科大学)

 

 第二次世界大戦以降、東西両陣営によって分断されていた欧州において1960年代以降、東西間の対話を実施しそれによって緊張緩和を図るプロセスが表れてきた。正式には1973年のフィンランド政府提案による欧州安全保障協力会議(Conference on Security and Co-operation in Europe:CSCE)である。内外を問わずCSCE・OSCE研究に関しては数多くの研究が存在している。CSCE交渉全体を概観したものとしては単著としては吉川元(1994)『ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)』三嶺書房、宮脇昇(2003)『CSCE人権レジームの研究「ヘルシンキ宣言」は冷戦を終わらせた』国際書院、編著としては植田隆子・百瀬宏(編)(1992)『欧州安全保障会議(CSCE)1975-92』日本国際問題研究所、CSCEの機能面に焦点を当てた研究としては玉井雅隆(2014)『CSCE少数民族高等弁務官と平和創造』国際書院などがある。また諸外国の研究においても全体を俯瞰したものとして、近年の研究ではジッチ『欧州安全保障とOSCE』(Gian Lorenzo Zichi[2016]L’OSCE la tutela della Sicurezza Europea)などがある。

 しかし、バチカンなどのミニ・ステートとCSCE交渉に関しては、これまでに内外を問わず研究が多くはない。アラン・チョン(Alan Chong)の研究[2010]では、ミニ・ステートとしてのバチカン外交の研究を行っているが、シンガポールとの比較における外交研究であり、バチカン外交は概観的なものに留まっている。

 ミニ・ステートの一種であるバチカンは、宗教国家という点において特異な国家である。また、ミニ・ステートは他国と比較した際に他国の行動に対して国際的な影響力を持つことは難しいと一般的には考えられている。しかしCSCEプロセスにおいてバチカンは「信教の自由」を主張し、最終的にヘルシンキ最終議定書第7原則に取り込まれ、冷戦終結後にはCSCE参加国が当たり前に受容する規範となった。

 本報告ではそのようなCSCEプロセスにおいて、特異なミニ・ステートであるバチカンが主張した「信教の自由」がどのように受容されていったのか、という点に関して論じていく。