日本平和学会2019年度秋季研究集会
紛争後のチェチェンにおける権威主義体制下の「平和」:
「平和」をめぐる現地住民の言説の比較・検討
東海大学教養学部国際学科
富樫 耕介
キーワード:権威主義体制と「平和」、紛争地の住民世論、チェチェン、ロシア
はじめに
甚大な被害を生み出す内戦に対し国際社会が和平仲介し、平和維持部隊を派兵することは、紛争再発のリスクを低下するとされる。だが、現実には国際社会の紛争地への武力介入は極めて少なく、紛争事例の半数が一方の軍事的勝利で終結している。紛争後には成熟した民主主義と強固な権威主義が紛争再発のリスクが低いと指摘されているが、一方の軍事的勝利の後には権威主義体制が構築されやすい。こうして生じる権威主義体制下の「平和」を住民はどのように受け入れているのであろうか。本稿では、紛争後に強固な権威主義体制下で安定しているチェチェン共和国において住民への調査を実施し、本問題に迫る。
1.権威主義体制下の「平和」とチェチェン紛争
(1)権威主義体制下の「平和」
本報告では「平和」を単に武力紛争が行われていない、「安定した状態」を指して用いる。現に紛争の約半数は、一方の軍事的勝利で終了しているが、紛争後に強固な権威主義体制が安定するのは、暴力的な弾圧を行う効果的なシステムを有しているためである(Frieden, Lake and Schultz 2018)。なお、一般的にある体制が権威主義的かを測る際には、その国の選挙に注目し、複数政党による自由で公平な競争があるのかという点から評価することが多い。
(2)チェチェン紛争と権威主義体制
チェチェン紛争とは、ロシア連邦の南部においてチェチェン独立派勢力が政権を奪取し、独立を主張することで始まった武力紛争である。1994年に第一次紛争が発生し、1997年に平和条約締結に至るも1999年に第二次紛争が発生した(富樫 2015)。紛争は、ロシアと親露派チェチェン勢力の勝利で終了し、現在チェチェンでは、カドィロフ首長による強固な権威主義体制が構築されている。Freedom Houseは、2009年にチェチェンに対して行った評価で、政治的権利及び市民的自由に「最悪」(最低評価)を付している。
2.先行研究と本報告の意義・調査方法
(1)先行研究と本報告の意義
先行研究は、元来、ロシアとチェチェン独立派の紛争を主要な研究対象としてきた。チェチェン内部に目を向ける研究も近年増えてきたが、住民や世論に注目した研究は非常に少なく課題も多い。本稿では、権威主義体制下での住民世論の量的調査が困難であるという事情から質的調査(限られた調査対象者の言説分析)を試みる。旧ソ連でのインタビュー調査には種々の課題がある(松里 2013)が、権威主義下の住民調査では被調査者の個人情報等も公開困難である。だが、本調査では「誰が言ったのか」ではなく「どのように何を言ったのか」が分析対象であり、この点は言説分析を通して理解を提示することが可能である。
(2)調査方法
本報告は、2018年8月と2019年9月にチェチェンにおいて行なった調査をもとにする。調査対象者は一般の住民であり、知識人4名(60代男性2名、50代女性2名)、行政職員4名(40代男性1名、30代男性2名・女性1名)、技師1名(50代男性)、大学生1名(20代男性)、タクシー・ドライバー1名(40代男性)である。質問は、主に90年代の紛争及び独立派政権への評価と現在の「平和」に対する評価に関するものである。これは、現体制が90年代の混沌を現在の「平和」と対比させ、体制の正統性の源泉としているためであり(富樫 2019)、権威主義体制下の「平和」を考察する際に必要な住民世論の評価となる。
3.「平和」をめぐる現地住民の言説
現在のチェチェン住民は、積極的か否かは別にし、現体制下のチェチェンで生活していくと決めた人々である。この点で在外離散民や難民とは異なる現在のチェチェンに対する評価が予期される。調査の結果、全体的に多くの被調査者が現体制の強調する「90年代の多難・混沌」と「現在の安定・復興」を対比的に言及していた。他方で、90年代に対する評価は必ずしも否定的なものだけではなく肯定的な言説も多く見られた。また現地住民は、現体制の問題点も冷静に理解し、内心反発している様子も言説から見られたが、同時にこれを止むを得ないものとして受け入れざるを得ないという態度が言説からも観察できる。
おわりに
権威主義体制下の住民調査では、事前の被調査者選定や性別・年齢別母数の調整等が困難である。また今回は先行研究も殆どない調査であり、信頼性の問題から現地で知り合いを介し被調査者を広げたため、課題も多い。他方で、権威主義体制下の「平和」に対する現地住民の認識や評価を問う研究が十分にない中で有用な理解も得られた。即ち、住民は権威主義下の「平和」を積極的に受け入れながらも、現在の「平和」の矛盾やそれ以前の時代の肯定的側面も冷静に評価している。圧政下で政治的代替性がない現状に単に失望するのでも追従するのでもない、住民の主体性を本調査から読み取ることができるかもしれない。
参考文献
富樫耕介(2015)『チェチェン 平和定着の挫折と紛争再発の複合的メカニズム』明石書店
――(2019)「マイノリティの掲げる「国家」が変化するとき」『ロシア・東欧研究』第47号、pp.81-97
松里公孝(2013)「政治学者のインタビュー」『新史料で読むロシア史』山川出版社
J. Frieden, D. Lake and K. Schultz (2018) World Politics, W W Norton & Co Inc