玉野井芳郎の地域主義──人新世におけるその現代性と可能性

日本平和学会2019年度秋季研究集会

 

玉野井芳郎の地域主義──人新世におけるその現代性と可能性

 

早稲田大学地域・地域間研究機構(ORIS)

中野佳裕

 

キーワード:人新世、脱開発、脱成長、トランジション・デザイン、玉野井芳郎、地域主義

 

1. はじめに

 21世紀が近代の過去の時代と大きく異なるのは、産業社会の逆生産性が様々な次元において顕在化し、その影響が地球規模に拡大している点である。なかでも地球温暖化の加速度的な進行は人類の生存条件を劇的に変容させており、それがもたらす破局的な未来像は、国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の一連の報告書や、気候変動が要因とされる自然災害の頻発によって日に日に現実味を増しているといえるだろう。

 今世紀初頭に一部の地質学者によって「人新世(Anthropocene)」という地質学上の新たな時代区分が提唱され、産業革命以後の人間の活動の地質学的影響力が問題視されるようになってきたのも、そのような時代状況を反映している。今日、人新世を巡る言説は地質学の特定の問題領域を超えて幅広い関心を集めており、世界の人文・社会科学のパラダイム転換を引き起こしつつある。パラダイム転換の主な内容は、①生産力至上主義的な発展パラダイムの限界の顕在化、②人間と自然を分離して捉える二元論的存在論(dualist ontology)から関係中心の存在論(relational ontology)への転換、③持続可能な世界への移行を目指すトランジション・デザイン(transitions design)の台頭である。

 

2. トランジション・デザインと脱開発論

 トランジション・デザインを牽引する有力な思想潮流の一つが脱開発論(postdevelopment)である。1990年代初頭に最初の国際会議が開催されて以来、脱開発論は、西欧近代が普及した経済発展パラダイムに基づく開発政策を「近代のデザイン・プロジェクト」と捉え、世界の様々な地域におけるその文化的・社会的・生態学的影響を批判的に研究してきた。その最初期の研究は、南側諸国の開発政策がもたらす地域コミュニティの自律性と文化の破壊に焦点が当てられており、オルタナティブな社会のビジョンも南側諸国の民衆の草の根のコミュニティ運動の文脈から探求されていた。

 しかし21世紀に入り、消費社会のグローバル化が地球生態系に与えるマイナス影響が深刻化する中で、先進工業国のパラダイム転換も構想する必要が出てきた。南ヨーロッパの脱開発論者たちを中心に先進工業国の脱成長(décroissance)が提案されるに至ったのは、そのような理由からである。今日、世界の脱開発パラダイム研究は、北側諸国と南側諸国の各地域に残る非近代的な思想文化や非資本主義的なコミュニティ経済を再発見・再評価しながら、持続可能で多元的な世界への移行(トランジション)のシナリオを構想している(Escobar 2017)。

 

3. 玉野井芳郎の地域主義の現代性

 玉野井芳郎の地域主義は、日本におけるトランジション・デザインの水脈の中でも先駆的な位置を占めるものであり、現代の国際的議論の中で更なる深化が期待できる理論である。1970年代半ばに玉野井が提唱した地域主義は、日本の公害事件が引き起こした深刻な生命破壊現象に対する反省の中から提唱された。それは平和の基礎に生命の持続的な再生産という理念を置き、エコロジーに基づく地域分権型の経済体制を構想するものだった。理論面において玉野井は経済学のコペルニクス的転回を推進し、熱力学に基づく独自のエコロジー経済学──生命系の経済──を確立した。また、エコロジーに日本独自の風土的感性──水土のマトリックス──を導入することにも貢献した。

 もちろん、玉野井の思想は時代の制約も受けており、地球温暖化の深刻化も、新自由主義グローバル化が引き起こす生活と生命の徹底的な商品化も、都市化とモビリティの地球規模での高まりも予見してはいなかった。しかし彼の地域主義が提案する未来社会構想は、21世紀に出現したトランジション・デザインの諸理論・諸言説と共振する様々な概念装置を提供している。本報告では、玉野井思想の現代性について ①エントロピー概念と「賢明な破局主義」(Dupuy 2002)の関連性、②生命系の経済の存在論の現代性、③「共=コミュニティ」再構築の現代的意義について説明する。

 

4. おわりに──未完の問題領域を拓く

 最後に、玉野井の地域主義を21世紀のトランジション・デザインの基礎理論として発展させていくために、二つの未完の問題領域の探求について触れる。第一の領域は、既に筆者が別の論文(中野2016; Nakano 2019)で指摘していることだが、「〈南〉のエピステモロジー」(Sousa Santos 2016)に関わるグローバルな研究の中で、地域主義を「場所の感性論」の方向へと進化していく道である。第二の領域は、本報告で初めて提案することであるが、晩年の玉野井が直観的に提起した「物質の現存在」(玉野井、1985、pp. 73-74)という考えに着目し、人間の生活空間の「かたち」について考察を深めることである。この第二の領域は、「経済形態学(economic morphology)」と呼ばれうる道を開拓することになるだろう。

 

【参考文献】

  • 玉野井芳郎(1985)『科学文明の負荷─等身大の生活世界の発見』論創社。
  • 中野佳裕(2016)「〈南型知〉としての地域主義─コモンズ論と共通感覚論が出会う場所で」、中野、ラヴィル、コラッジオ編『21世紀の豊かさ─経済を変え、真の民主主義を創るために』コモンズ。
  • Dupuy, J.-P. (2002). Pour un catastrophe éclairé: Quand l’impossible est certain. Paris : Le Seuil.
  • Escobar, A. (2017). Designs for the Pluriverse: Radical Interdependence, Autonomy, and the Making of Worlds. Durham and London: Duke University Press.
  • Nakano, Y. (2019). ‘Postdevelopment in Japan: Revisiting Yoshirou Tamanoi’s Theory of Regionalism’ in E. Klein and C. E. Morreo (eds.) Postdevelopment in Practice: Alternatives, Economies, Ontologies. London and New York: Routledge.
  • Sousa Santos, B. de. (2016). Epistémologie du Sud : Mouvements citoyens et la polémique sur la science. Paris : La Desclée de Brouwer.
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15-1103-部会3(中野).pdf
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