日本平和学会2019年度秋季研究集会
「培養都市」――首都と地方のディスタンス――持続可能な社会とは?
写真館主&美術家
吉原悠博
キーワード:信濃川、水力発電、送電鉄塔、原子力発電所、新潟のアイデンティティー、家族写真、教育
1:映像作品「培養都市」17分
2002年、東京で開かれた資源エネルギー庁主催のシンポジウムに出席した平山征夫新潟県知事(当時)が、「山手線は新潟を流れる信濃川の水で動く発電所によって動いていること、また原発立地県の苦労を知ってほしい」と訴えた。それに対し、東京の石原慎太郎知事(当時)は、「夜は熊しか通らない道路は誰の税金でできているか考えてほしい」と答えた。その頃は東京にどっぷりと暮らしていたが、新潟のことではあるし、その新聞記事が印象的だったので覚えている。
それから11年後の2013年から、私はその「熊しか通らないという山道」を東京に向かって幾度となく通りぬけていた。新作映像撮影のため新潟と東京を結ぶ送電鉄塔を追いかけていたからだ。日本海に接する柏崎刈羽原子力発電所から始め、山間部を抜けて十日町に。ここには巨大な水力発電所があり、東京につながる新たな送電幹線系が加わる。信濃川の美しい光景に響く均質な轟音は、自然という生命の発する断末魔のようだった。湯沢や妙高のスキー場がある深い山々を抜けると、鉄塔が所狭しと立ち並ぶ西群馬開閉所(群馬県中之条町)がある。ここはすっかり関東の気候で空気が乾いている。東山梨変電所を抜けてさらに先に行くと、送電線に分断された日本の象徴、富士山が忽然と現れる。さらに北上し、神奈川の新秦野変電所を通り西東京変電所に至る。これらの鉄塔群は、多摩川付近で地下に消えていく。
新潟は、言うまでもないが、日本有数の米作地域だ。江戸時代から荒れ狂う泥水と闘い抜いてきた歴史がある。日本で一番長い川を分水し、浅海の残存である潟の悪水を抜き美田を創り上げた。これが新潟のアイデンティティーだろう。しかし、その美田を保つための治水システムが完成を迎えようという1970年頃、皮肉にも減反が始まる。柏崎刈羽原子力発電所の計画が動き出したのは、そのころだ。急速に経済発展する日本の中で、東京に依存する新潟と、新潟に活かされている東京という相互関係が鮮明になっていく。その関係は高電圧の送電線ケーブルに象徴されている。
私は、新潟県新発田市に生まれ育ち、18歳から45歳までの27年間を東京で過ごした。現在、私は故郷に住みながら、東京を見つめ直している。刈羽村から東京へ約500キロの旅、これは、新潟と東京の関係を再考するためであり、新潟のアイデンティティーが今もあることを信じたいからだ。山を越えた先にある東京という都市、私は、その光の束を見つめ未来に思いを馳せた。
※この映像作品は、新潟市で開催される「水と土の芸術祭2015」で発表し2017年に、文化庁メディア芸術祭第20回アート部門にて優秀賞を受賞している。
2:映像作品制作経緯 20分
東京を中心に活動していた頃、美術界の中だけで満足していた自分が、何故、「培養都市」のような映像作品を作り発表し、持続可能な社会について真剣に考えるようになったのかを明らかにします。私は、私の変化の中に、未来へのヒントがあると思っています。