日本平和学会2019年度秋季研究集会
ヘイト・スピーチ法研究の今後の課題
東京造形大学
前田 朗
キーワード:ヘイト・スピーチ、人種差別、地方自治体、人権条例、公の施設
はじめに
2016年に「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(ヘイト・スピーチ解消法)」が制定され、日本におけるヘイト・スピーチに関する法状況が大きく変化した。同法はヘイト・スピーチに対処する国の責務とともに、地方自治体の責務を明示したので、各地の自治体が対応を迫られることになった。同法制定前、大阪市はヘイト・スピーチが重大な人権侵害を引き起こしているとして、ヘイト・スピーチ条例を制定した。同法制定時には、川崎市におけるヘイト・デモが激化していたため、裁判所によって同法の趣旨に適合したヘイト・デモ禁止仮処分決定が出されるなど、各地の関心が急速に高まった。政府は自治体による対処を求めているため、当面は自治体にヘイト・スピーチ対策として何ができるかが問われる。憲法、地方自治法、及びヘイト・スピーチ解消法に従って、どのような施策を講じていくべきかを論じることが本報告の課題である。
1.地方自治体における人権条例
国立市、東京都、世田谷区、神戸市など、各地でヘイト・スピーチを念頭に置いた人権条例の制定が相次いでいる。人権条例そのものは以前から各地の自治体において制定されていたが、ヘイト・スピーチのように外国人(本邦外出身者)やLGBT等のマイノリティに対する人権侵害の表面化に伴い、新たに人権条例を制定する例が増えてきた。人権侵害の公表、調査、相談、教育、啓発、罰則などを定める人権条例の比較検討を行う必要がある。特に川崎市は2019年6月に人権条例素案を公表し、これには同法違反に対して刑罰を科すことが明示された。ヘイト・スピーチ解消法は罰則を設けず、他の自治体の条例には刑罰規定はないため、川崎市の取り組みが注目される。
2.公の施設利用ガイドライン
ヘイト・デモやヘイト集会のために公共施設を利用する例が増えてくると、地方自治体がヘイト・スピーチを容認し、これに協力して良いのかという問題が意識されるようになった。市民には集会の自由があるが、公の施設でヘイト集会を開催すれば、自治体がヘイト・スピーチに加担したことになってしまう。ヘイト・スピーチの「共犯」にならないために自治体はどうすればよいのか。門真市は条例解釈を通じてヘイトの「共犯」にならないと明示したが、大阪市はヘイト団体であっても公の施設を利用させる義務があるとした。他方、川崎市が先陣を切った公共施設利用に関するガイドラインの策定も、京都府、京都市、宇治市、豊岡市、井手町、東京都、新宿区など各地で相次いでいる。川崎市ガイドラインとその他の自治体ガイドラインには差異がある。川崎市は判断要件として言動要件と迷惑要件の2つを掲げたが、他の自治体は迷惑要件を採用していない。ヘイト・スピーチは人権侵害であり、許されないのであれば、言動要件を満たせば自治体は公の施設をヘイト団体に利用させてはいけないのではないか。迷惑要件は不要ではないか。憲法及び地方自治法に照らして検討する必要がある。
3.教育・文化政策のために
ヘイト・スピーチ解消法は自治体に教育・啓発を委ねているが、その具体的内容が不明確である。自治体の人権条例も調査、教育、啓発に言及しているが、ほとんど内容がない。従来の「同和教育」「人権教育」の蓄積や、人権教育啓発法の成果に学ぶととともに、差別とヘイト対策の教育をいかに考えるべきか。人種差別撤廃条約第7条は教育や文化において「人種差別と闘う」ことを明示している。今後の検討のための参考資料として欧州の反差別教育の具体例を紹介する。
4.被害者救済のために
ヘイト・スピーチ解消法はヘイト被害者救済を明示していない。同法は「ヘイト・スピーチは許さない」としているが、処罰も被害者救済もない。国立市人権条例には被害者救済が明示されているが、いかなる仕組みを作るかは未定である。他の自治体条例は被害者救済に言及していない。人種差別撤廃条約第6条は被害者救済を定めている。今後の検討のための参考資料として欧州諸国の情報を紹介する。
おわりに
ヘイト・スピーチ解消法、自治体条例、及びガイドラインの現状を踏まえると、いくつもの課題が浮かびあがる。自治体が対処すべき課題と中央政府が対処すべき課題を整理して、今後の研究を深めたい。
参考文献
- 前田朗『戦争犯罪論』(青木書店、2000年)
- 前田朗『ジェノサイド論』(青木書店、2002年)
- 前田朗『人道に対する罪』(青木書店、2009年)
- 前田朗『増補新版ヘイト・クライム』(三一書房、2013年)
- 前田朗編『いま、なぜヘイト・スピーチなのか』(三一書房、2013年)
- 前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』(三一書房、2015年)
- 木村朗・前田朗『ヘイト・クライムと植民地主義』(三一書房、2018年)
- 前田朗『ヘイト・スピーチ法研究原論』(三一書房、2019年)
- 前田朗『ヘイト・スピーチと地方自治体』(三一書房、2019年予定)