日本平和学会2019年度秋季研究集会
ドイツにおける放射性廃棄物最終処分場問題
――「取り出し可能性」論議についての検討を中心に――
工学院大学
小野 一
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赤緑連立政権期の脱原発合意、保守政権下での運転期間延長と福島原発事故後の政策転換を経て全原発停止を決めたドイツでは、それと並行して放射性廃棄物問題をめぐる攻防が繰り広げられた。2013年の候補地選定法は画期である。新法制定のきっかけとして、2011年9月の欧州連合(EU)指令2011/70/Euratomが、放射性廃棄物処理基本理念の策定と欧州委員会への報告(2015年8月23日まで)を義務づけたことも見逃せない。こうした一連の措置により、ゴアレーベン(反原発運動係争地であり中間貯蔵施設立地)の岩塩層に最終処分場を作る計画は白紙に戻され、候補地選定をやり直す手続きが定められた。
候補地選定法に基づき設置された最終処分場委員会は、2016年に報告書を出す。その中で、放射性廃棄物の「取り出し可能性」に言及される。これは、取り出し可能性が念頭にあると地理学的に有利でない場所が選ばれかねないので、その可能性を認めないという従来の方針からすれば、重大な変位である。誤謬の訂正可能性という現代倫理学の深慮といわれることもあるが、事情はもっと複雑である。ゴアレーベンを候補から外す(少なくともその可能性を残す)には、完璧に条件を満たさない場所も視野に入れねばならない。理屈の上では、放射性廃棄物の「ローテーション制」も排除されない。
放射性廃棄物の貯蔵(storage)と処分(disposal)を区別するIAEAの用語法では、最終処分場に取り出し可能性は基本的に想定されていない。取り出し可能性の強調は、中間貯蔵施設に関わる概念を最終処分場にも適用することである。それゆえこの問題は、最終処分の基本思想だったアフターケア不要性が後退(変質)したのはなぜか、と定義し直せる。世代間公正の観点からは、将来世代に負担を残さないアフターケア不要の最終処分場こそが望ましい。その安全性が技術的に担保し得ないことが明らかになる中で、取り出し可能性論議が浮上してきた。これはジレンマである。放射性廃棄物という不可逆的結果をもたらす原子力開発に乗り出した時点で、原状回復可能性は失われている。新技術の出現に期待しつつ、取り出し可能性の留保により将来世代の選択可能性を増すという論法には、危うさがある。
取り出し可能性論議ははじめてのものではないが、アフターケア不要性という前提がゆらいだ今、新たな意味合いを付与されての再登場と考えるのが順当だろう。原発推進であれ脱原発であれ避けて通れない負の遺産を、社会共同体全体でどのように引き受けるか。「最大多数の最大幸福」から「最大多数の最小不幸」へのパラダイム転換により、不利益を公正配分する方策を考えねばならない。ただしこれは、利益の配分を主たるテーマとしてきた社会諸科学には不慣れな発想である。
放射性廃棄物に関わる問題は多岐にわたる。詳細は筆者のペーパーも参照して頂くとして、本報告では、2000年代初頭の議論を通じて起こった「取り出し可能性」にまつわる重大な変位の政治的意味を問い、不利益の配分に関する思考実験を試みる。重要ではあるが、日本ではまだ十分に論議されていない放射性廃棄物問題への注意の喚起と、優秀な若手研究者によるアカデミックな問題再提起のきっかけとなることを期待したい。