日本平和学会2019年度春季研究大会
世界の核被害者に対する援助措置――広島・長崎、マーシャル諸島、セミパラチンスクの相互比較
竹峰 誠一郎(明星大学)
キーワード: 核被害、補償、被爆者、グローバルヒバクシャ、広島・長崎、マーシャル諸島、セミパラチンスク
はじめに――本報告の目的
2017年採択された核兵器禁止条約は、グローバルヒバクシャの観点からとらえると、「核兵器の活動が先住民族に過重な影響を与える」ことが認識され、「被害者に対する援助と環境の回復」およびそのための「国際協力」が規定されていることが注目される。
しかし、核被害に対する援助で何が求められるのか、そもそも核被害をどう捉えるのか、その規範は形成されているとは到底言えない。環境研究の分野では、公害被害者補償制度の比較検討が、尾崎寛直らによって積み重ねられ、広島・長崎の原爆被害者も比較対象に取り上げられている。そうした先行研究も見据え、世界の核実験被害者に対する援助措置を掘り起こし、相互比較調査を行うとともに、核被害者に対する補償をどのように考えていけばいいのか、その規範を構想する共同研究会を立ち上げた。
核被害者に対する援助は、日本、さらに世界ではどうなっているのだろうか。広島・長崎、セミパラチンスク、マーシャル諸島の三か所で確立されている核被害者援助措置を掘り起こし、相互に比較検討を試みることが、本報告の目的である。
「核被害認定を支えるための平和研究」ということが、本部会の趣旨で述べられている。そうした平和研究を確立していくためには、自らがもつ核被害像を不断に問い直しながら、そもそも核被害をどう捉えていけばいいのか、その点の議論を深めていくことが求められよう。本報告は、核被害を問い直す一助になるとともに、核被害者に対する各地の援助措置に学び、核被害者に対する補償や援護を改善したり、新たに構想したりしていく、その一助になることを企図している。
1.広島・長崎の米原爆投下に対する被害者への援助措置
広島・長崎の原爆被害者には、1995年、被爆50年目にして「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(以下、被爆者援護法)が、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(以下、原爆医療法)を改正する形で制定された。同援護法に基づき、原爆被爆者に対する援助が確立している。「原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、恒久の平和を念願するとともに、国の責任において」、日本政府が実施することが同法には謳われている。
広島、長崎の原爆被害者への援助措置は、「放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害」であるとして、「被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策」が採られてきた。「戦争犠牲、戦争損害は、国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民のひとしく受忍しなければならなかった」とする受忍論があるなかで、「放射能に起因する健康被害」は他の戦災者には見られない特殊な被害であるとして、広島、長崎の原爆被害者への援助措置が実施されてきた。
被爆者手帳取得者には、健康診断と医療費の(自己負担分の)無償措置がとられるとともに、被爆者の心身の健康、日常生活、援護に関することなどの相談に応じる、相談員事業が福祉事業として確立している。くわえて、発病した場合は、健康管理手当や、さらに原爆症と認定されれば特別手当など、疾患に対して認定されれば、各種現金給付が上乗せされる仕組みになっている。
広島、長崎の原爆被害者への日本政府による援助措置は、原爆投下直後から実施されてきたわけではない。1954年第五福竜丸ら日本漁船員が、太平洋の操業中に、マーシャル諸島の米水爆実験によって放射性降下物(「死の灰」)を浴びたことが社会問題化した。原水爆禁止を求める世論が高揚し、翌55年広島で原水爆禁止世界大会が初めて開かれた。広島・長崎の原爆被害者も発言し、大会参加者に強い衝撃を与えた。同大会宣言には、「原水爆被害者の救済」が原水禁運動の礎であると謳われた。
原爆被害者自らも立ち上がり1956年、全国組織となる「日本原水爆被害者団体協議会」(以下、日本被団協)が誕生した。日本被団協は、発足直後から「原爆被害者援護法案要綱」を発表し、放置されていた原爆被害者への対策を国に迫り、1957年原爆医療法の制定へと結実した。
原爆医療法で「被爆者」の定義がなされた。原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内やその近隣にいた者、原爆が投下されたとき時から2週間以内に爆心2キロ以内に入った者、原爆投下当時、被爆者の胎児にいた者などが「被爆者」とされ、認定者に、被爆者手帳が交付された。
「被爆者」とは、広島・長崎の原爆被害者の中から日本政府が援護対象に認めた人を総称する言葉である。湯浅報告で取り上げられた広島原爆「黒い雨」集団訴訟の原告のように、原爆投下に伴う被害を訴えても「被爆者」として法的に認められず、援助の対象外に置かれている人が存在する。「被爆者」と「被爆者手帳所得者」は等号関係にあるが、「被爆者」から抜け落ちる原爆被害者が存在することは忘れてはなるまい。
第五福竜丸を入口に、広島・長崎の原爆被害者の存在が社会問題化し、不十分ながら国による医療面の援助措置が始まった。だが対照的に、第五福竜丸をはじめとする、核実験による被災船乗組員は、広島・長崎の原爆被害者とは切り離され、米国が支払った一時金で「最終決着」とされ、原水爆被害者の救済対象者から外されていった。
原爆医療法の制定過程では、「援護法対象者の範囲に、広島、長崎の被爆者だけでなく、水爆実験被災者や今後生じると思われる原子力工業に基く被災者等も含まれていた」(「原爆障害者援護法案」(昭和31年)の経過等)ことをここで想起したい。だがその後、被爆者手帳制度が確立されたが、対象は広島・長崎の被爆者に限定され、現在に至るのである。「被爆者でありながら被爆者でなくなり、宙に浮いてしまいました」と、第五福竜丸元乗組員の大石又七は自らを語る。
2.マーシャル諸島の米核実験被害者に対する援助措置
広島・長崎の原爆投下から1年にも満たない1946年から1958年にかけて67回もの米大気圏核実験が、マーシャル諸島のビキニとエニウェトク両環礁で実施された。マーシャル諸島は、米国との間で自由連合協定を締結し、同協定の下で1986年に独立した。その再、核実験の結果として、マーシャル諸島などに被害が及び、補償責任があることを米国は自由連合協定第177項で認めた。米国が「マーシャル諸島の人びとが核実験計画に果たした貢献とその犠牲を想起し」、マーシャル諸島共和国政府に1億5000万ドルを拠出し、「マーシャル諸島共和国核補償基金」が創設された。最初の核実験から実に40年余りの月日が経過していた。
同補償基金をもとに、1)米国が核実験被害を認めた4つの自治体に補償金が配分されるとともに、2)同自治体の人びとを対象に健康管理事業が実施された。医師の診断が無料で受けられる対象は、米国が核被害を認めた4つの地域に限定されるが、該当地域の構成員は、核実験後に生まれた人びとでも、他地域に避難や移住をしていても、皆対象者に含まれる。
あわせて3)核実験の損害賠償請求を受付け、審査する「核被害補償法廷」(Nuclear Claim Tribunal:NCT)が新設された。核被害補償法廷は、マーシャル諸島政府の下に設立されたが、同国さらには米国の行政や司法とは独立し、補償請求の最終的な審判を下す機関であるとともに、独自調査も行ってきた。
核被害補償法廷は、1946年から58年までの核実験期間中にマーシャル諸島に暮らしていたすべての人に、核実験に伴う人身傷害の補償を請求する権利があると認めた。核実験期間中にマーシャル諸島に居た証明と、対象となる疾患に罹患した証明があれば、疾患と被曝の因果関係の立証は住民側に負わせることはしなかった。補償対象疾病は2003年に36に拡大した。対象疾患を定め、その疾患に罹患すれば被曝との関連性を推定して、補償対象にする方式は、米本土の被曝者補償法(RECA)に倣ったものである。現金給付の規模は、疾患別に定められており、一括で支払われ、治療費や介助費などにあてられる。マーシャル諸島国内の病院ではがん手術はできないために、手術治療を受けるには、ハワイやフィリピンなどに行く必要がある。
核被害補償法廷は、財産の損害賠償訴訟のなかで、土地の環境汚染とそこに始まる核被害の連鎖を補償対象に組み込んでいった。土地が放射能に汚染されているか否かを判断する基準は、米国環境保護庁(EPA)の基準に倣い、年間0.15ミリシーベルト以上とした。財産損害は、個人単位ではなく、地域社会全体でとらえられており、「核被害補償法廷」への財産損害賠償請求は、自治体ごとに集団提訴された。
同法廷は、独自に現地調査にも取り組み、地域実態とも照らし、核被害を固定的にとらえず、核実験補償制度を構築してきた。しかし、核被害補償法廷は、補償金が底をつき、開店休業状態であり、賠償の未払いが発生している。健康管理事業も縮小を余儀なくされ、初期医療に限定されている。
マーシャル諸島政府は、2000年以降、新たな核実験の補償措置を米政府に求めているが実現していない。マーシャル諸島の米核実験被害者に対する援助は、加害者である米国が1億5000万ドルを拠出して確立したが、同時に核実験補償は法的に「完全決着」とされたからである。
核被害認定地域への核実験補償の追加的措置が進まないなか、米政府が核実験被害を認めていない、未認定地域がかかえる問題はますます不可視化されている。核実験補償の実施協定が締結した後、米公文書が公開され、核被害未認定地域にも放射能汚染がおよび、米政府機関も認識していたことが、米公文書でも確認はできる。しかしそれでも核実験補償は決着済みとされ、新たな措置は取られないのである。
3.セミパラチンスクの旧ソ連核実験被害者に対する援助措置
中央アジアに位置するカザフスタン共和国は、旧ソ連による核開発の最重要拠点の一つであった。同共和国の北東部に位置するセミパラチンスク市に隣接する「ポリゴン」と呼ばれるセミパラチンスク核実験場は、四国に相当する総面積1万8500平方キロにおよぶ。セミパラチンスク実験場で実施されたソ連の核実験は、1949年から89年にかけて、地上25回、空中86回、地下345回の計456回にもおよんだ。
セミパラチンスク核実験場は1991年に閉鎖され、翌92年カザフスタン共和国政府によって、セミパラチンスク核被害者社会的保護法が制定された。最初の核実験からは実に40年以上の月日が経過していた。
「セミパラチンスク核実験場における長期間にわたる核実験による被害者たる市民の社会的保護を保障することを目的」に、日本の被爆者手帳にあたる「被曝者手帳」がカザフスタンでも発行されている。「ポリゴン手帳」とも呼ばれる同手帳を保持する「核実験による被害者たる市民」には、セミパラチンスク核被害者社会的保護法で、「特恵措置と補償を受ける権利」が確立されている。カザフスタン「国家は、本法律の実施ならびに市民の権利保護にあたって、必要な総合措置をとり、法的保護を実現する義務を負う」と規定された。
「核実験による被害者たる市民」とは誰なのであろうか。「住民の被曝線量が0.1レム(1ミリシーベルト)を越える領域」に、1949年から90年までに居住したり、労働に従事したり、もしくは軍役についたりした市民が、「核実験被害者」であると、セミパラチンスク核被害者社会的保護法で規定されている。くわえて1ミリシーベルト未満であっても、「放射線および地震の危険地域近くに居住することで、心理的情緒的負担を受け重大かつ否定的影響が生じた領域」に、1949年から1990年までに居住したり、労働に従事したり、もしくは軍役(徴兵を含む)についたりした市民も、「核実験による被害者」とみなされる。
「核実験による被害者たる市民」に対して、制定当時と比べれば後退しているものの、補償金の一括払いとともに、年金や給与の加給、さらには有休や産休の加算などが、カザフスタンでは実施されている。
核実験の影響を被った曝露領域は線量別に5つに区分けされており、どれくらいの期間、どの影響領域に居たのかに着目して、現金給付や現物支給の規模が決定される。そのとき核実験と関係する疾患があるか否かは問われない。
セミパラチンスク核被害者社会的保護法では、健康管理に関する規定は存在しない。「核実験による被害者」が、「実験と因果関係がある可能性がある」と、カザフスタン政府が認める疾患に罹患しても、その疾患に対する各種手当はない。ただし、カザフスタンでは、例外はあるが「医療は基本的に無料」である。
おわりに――相互比較
本報告は、日本だけではなく、マーシャル諸島、さらにカザフスタンにも目を向けて、核被害者に対する援助措置を掘り起こしてきた。三地域の援助措置を相互比較し、それぞれの特色をまとめていく。
誰が原資を負担し制度は構築され、また制度構築の理屈は何であったのだろうか。広島、長崎およびセミパラチンスクでも、アメリカやソ連の加害国の負担はない。それに対し、マーシャル諸島では、核実験を実施した米政府に補償する責任を認めさせ、費用負担をさせている点は注目される。米国が費用負担をするのは、米国の国家防衛にマーシャル諸島の人が貢献したという、軍人恩給と同じ論理からである。
どんな核被害が援助対象となっているのだろうか。日本の被爆者援護法は、「原子爆弾の放射能に起因する健康被害」に対する医療の提供と給付が柱となっている。医療の提供や疾患に伴う現金給付とともに、被爆者相談事業が確立していることは、マーシャル諸島やセミパラチンスクにはない特色である。
広島、長崎の原爆被害者に対する援助措置は、基本的には健康被害に対してであるが、マーシャル諸島やカザフスタンでは、土地の環境汚染に伴う被害にも目が向けられて核被害者の援助が形作られている。マーシャル諸島では、土地の汚染とそこに始まる核被害の連鎖が、財産損害賠償の中核をなしている。
どんな人が、援助対象者となっているのだろうか。広島・長崎の被爆者援護法では、医療費が無償となる被爆者手帳の取得が土台となり、認定されれば、疾患に伴う現金給付手当てが積みあがる、二段階方式になっている。健康管理という形で、発病の前に一定の援助措置がとられる仕組みが、被爆者手帳制度にはある。被爆者援護法の対象者は、広島、長崎の原爆被害者に限定されてはいる。だが原爆医療法の制定過程にさかのぼれば、核実験さらには原発による被災者も、広島、長崎の原爆被害者とともに、援護対象者とする案があったことは、注目されよう。
マーシャル諸島で実施されている健康管理事業は、米国が核実験被害を認めている地域に限定され、かつ初期医療に限定されているなどの諸課題はあるが、核実験後に生まれた世代も対象となっている。医療給付にあたり、核実験の核実験期間中にマーシャル諸島に居た証明と、対象となる疾患に罹患した証明があれば、疾病と放射線の因果関係の立証を住民側に求めることはしない。
核実験に伴う財産損害は、マーシャル諸島では、年間0.15ミリシーベルトを超える放射能汚染されている土地が対象とされる。カザフスタンでは、住民の被曝線量が1ミリシーベルトを越える領域を「放射性降下物による汚染領域」と定めるとともに、同地域の外側にも「社会経済的特恵措置の対象地域」が設定されている。
広島・長崎、マーシャル諸島、カザフスタン、いずれの地域でも、当然ながら限界もあるが、核被害者に対する援助措置は確立されてきた。ただいずれも、核被害が生じた直後に確立されたものではない。本報告では十分言及できなかったが、被害者側の粘り強い運動もあり、数十年後に実現してきたものだ。
しかし核被害者への援助措置が確立し、たとえ充実しても、それぞれの地域の、核被害問題に終わりはない。核被害をめぐる知見は更新され続けており、新たにわかることも少なくない。そうしたなかマーシャル諸島のような一時金支払いに基づく援助措置では限界があり、広島、長崎のような継続給付措置が求められよう。
核被害をめぐっては、放射能に起因する疾患が有るか否かに注目が集まる。しかし、核被害者の救援制度では、より多面的に核被害が捉えられているのが理解されるだろう。核被害者に対する援助措置をみてみると、国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線防護基準が、核被害を捉えるうえで、唯一絶対的な基準ではないことが、見えてこよう。今後は、米本土で確立されている核被害者への援助措置にも目を向けて、より包括的な観点から、世界の核被害者に対する援助措置をめぐる調査を続けていきたい。
主な参考文献
尾崎寛直(2015)「横断的比較による水俣病の補償システムの検証」『環境と公害』44(4), pp.16-18.
公害薬害職業病補償研究会(2012)『公害・薬害・職業病/被害者補償・救済の改善を求めて―― 制度比較レポート第2集』
竹峰誠一郎(2016)「マーシャル諸島の米核実験被害に対する補償制度」『環境と公害』46(2), pp.29-35.
竹峰誠一郎, 川野徳幸, Muldagaliyev, Talgat, Apsalikov, Kazbek (2016)「旧ソ連核実験によるセミパラチンスク核被害者に対する社会的保護法の概要」『広島平和科学』37, pp.69-93.
竹峰誠一郎(2008)「『被爆者』という言葉がもつ政治性――法律上の規定を踏まえて」『立命館平和研究』9, pp.21-30.
*本報告は、共同研究「世界の核実験補償制度の掘り起こしと国際比較調査―『ニュークリア・ジャスティス』に基づく核被害補償の規範を求めて」(トヨタ財団研究助成プログラム、代表:竹峰誠一郎)の成果の一部である。共同研究会に参加いただいたみなさま、とりわけ公害被害補償の横断的比較研究に先駆的に取り組まれた尾崎寛直(東京経済大学)氏に貴重なご助言をいただいたことに、感謝申し上げます。