日本平和学会2019年度春季研究大会
「風評」言説に抗う――測る、発信する、裁判をたたかう人びと
平井 朗(立教大学)
キーワード:原発事故、風評、コミュニケーション、モニタリング、自力更生
はじめに
3.11以降、筆者は福島を中心とする原発事故被災地を訪ねてきたが、2013年3月の時点で既に被災者の中での深刻な分断に直面し、それが家族や親族の崩壊まで招く軋轢を生んでいる現実について、主にコミュニケーションの視点から考えるようになった。
当初は、強制的避難区域外からのいわゆる「自主避難者」と避難しなかった/できなかった「滞在者」の間、また「滞在者」の中での放射能に対する意識の格差、とくに食品や学校の環境をめぐっての分断が目立っていた。しかし、避難指示解除、避難区域の再編が進み、帰還しない避難者が自主避難者とされて住宅支援も打切られるに至って、被災者の中の線引きがより深刻な分断をつくり出している。
被災者内での分断から、被災者を自己責任として切り捨てる行政による分断へ。被災者の中の意識の格差も軋轢の暴力を生んだが、さらに行政による棄民ともいえる暴力が被災者を直撃している。しかも、除染が終った場所は安全で、帰らない人びとは「自己責任」だから支援は終って当然という建前のなか、放射能汚染を心配し口にすること自体が「風評」を作るものとして憚られる状況となっている。
福島県は2015年度に風評・風化対策監を設置、復興庁も2016年度に福島県風評・風化対策強化戦略を策定した。「風化対策」という名に反してモニタリングポスト廃止や子どもの甲状腺検査を中止しようという動き、それに連動して「復興を着実に進め、更に加速させるため」という風評対策戦略は、住民の安全や健康を無視し、むしろ原発事故を終ったこと、なかったことにするものかと懸念されよう。
一方、被災住民のなかに安全と健康を疑い、放射性物質の事実を測定・記録し、いま本当に起こっていることを明らかにしようと活動を続ける「モニタリング三爺」と呼ばれる人びとがいる。今回はこの人びとのうち、相馬郡飯舘村の伊藤延由さん、南相馬市小高区の白髭幸雄さんらが、なかったことにされようとしている原発事故、口にすること自体が風評とされる放射能汚染に真正面から取り組み続ける活動を中心に考察する。
そこで、行政の主導する風評対策やリスコミ(リスクコミュニケーション)と、それらに抗う被害の当事者を主人公として暴力克服をめざす平和学の方法によって、9年目の原発事故被災地の現状を見つめ直す作業を試みる。
本稿の第一の目的は、「モニ爺」たちの活動を通して、原発事故を無かったことにし、放射能汚染という暴力を不可視化する動きへの抵抗を明らかにすること、さらに国や県の言う「復興」ではない暴力との向き合い方、放射能自体は克服できないなかでの暴力克服とは何なのかを考察するものである。
1. 被災者が直面するコミュニケーションの分断
1) 被害者内部の分断
2) 分断の実際
3) 被害者運動内での分断
2. リスクコミュニケーションと風評対策
1) 環境省
「住民参加型」プログラムなど
2) 復興庁
「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」
「放射線等に関する情報発信事業」
3) 福島県
「風評・風化対策監」
「安全・安心メディア研究会」
3. 「風評」言説に抗って
1) 伊藤延由さん
経緯
なぜ住み続け、測り続けたか
発信と反対
裁判
2) 白髭幸雄さん
経緯
なぜ測るのか
発信
3) 飯舘村エコロジー研究会
4. 平和学的分析
1) エクスポージャーの5STEPs
2) 5STEPsによる事例の分析
① 暴力 ②自力更生 ③阻害要因 ④連帯 ⑤関与
3) 分析のまとめ
おわりに
「復興」の名の下に政府、福島県は「除染」によって「安全」になった地への帰還を、今も放射能を恐れる人びとに実質的に強制するという暴力を作り出している。そこには、放射能汚染による居住地(故郷)、自然環境、生業などサブシステンスの剥奪という暴力を過去のこと、済んだこと、なかったことにする暴力の不可視化の構造が見られる。
除染や復興拠点、さまざまな箱モノの整備などが巨費をかけて行われてきたが、それでも避難指示を解除した自治体への住民の帰還率は上がらない。そのなかで予算を増やし続けているのが「リスクコミュニケーション」「風評払拭」などの情報戦略である。国や県は原発事故後2018年までの間に、広告代理店電通に240億円もの費用を支払っている。「安全」と「復興」を強制するためにこれだけの額を費やすこと自体もコミュニケーションの暴力(開発コミュニケーション)である。
このように避難指示を解除された(一部は今も帰還困難区域)地域の住民、暴力の被害当事者自身のモニタリングなどの活動は、その暴力を可視化し、暴力を無かったことにする構造に抵抗しながら向き合っていく自力更生の営為である。
放射能汚染は毎時何μSvなら安全/危険と線引きできるものでないのはもとより、現在の我々の世代のうちに克服できるようなものでもない。なぜなら、伊藤さんが8年余の計測を通して分かったことは「汚染の非均一性」「ベクレルに規則性は無い」ことだ。土壌汚染と植物や農作物への放射能移行に法則は無く、どこに危険があるのか無いのかは分らず、巨費をかけた除染に効果があったとはいえない。シーベルトという空間線量率で安全/危険を国家が線引きする暴力が見出された。
「モニ爺」たちの活動は、外部/内部被曝を少しでも減らす努力であると同時に、決して克服できない放射能汚染という暴力とどう向き合い、付き合っていくかを日々試し、確認し、記録する営為である。それは、国のいう「安全」「復興」の暴力を暴きつつ、自身と未来の世代の平和に向けて生き続ける日常のたたかいなのである。
【主な参考文献】
飯舘村『までいな暮らしへの誘い』移住定住へのしおり
飯舘村(2018)『までいのこころを綴る』東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故被災の記録<第3版>
伊藤延由(2018)「身の回りの放射能汚染測定を通して福島県飯舘村に居住することの意味を考える」『高木基金だより』No.46
伊藤延由(2019)「飯舘村の放射能汚染を測り続ける」『たぁくらたぁ』vol.47
豊田直巳(2019)『福島「復興」に奪われる村』岩波書店
野池元基(2019)「告代理店・電通による『心の除染』」『たぁくらたぁ』vol.47
平井朗(2019)「原発とコミュニケーション―東電原発事件をめぐって」『Rikkyo ESD Journal』2019 No.3・4、pp.21-24
横山正樹(2008)「開発援助紛争の防止へ向けた平和学的ODA事業評価の試み―フィリピン・バタンガス港の事例分析から」『国学院経済学』56(3・4)
吉田千亜(2018)『その後の福島―原発事故後を生きる人々』人文書院