〈調べない、知らせない、助けない〉を正当化する論理

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日本平和学会2019年度春季研究大会

〈調べない、知らせない、助けない〉を正当化する論理

 

「グローバルヒバクシャ」分科会

上智大学大学院実践宗教学研究科

島薗進

 

キーワード:原発災害、低線量被ばく、精神的影響、リスクコミュニケーション、保健物理

 

福島原発事故以前から事故直後の科学者・専門家

 2013年に刊行された拙著『つくられた放射線「安全」論』(河出書房)では、主に福島原発事故以前の保健物理の領域でLNTモデル(しきい値なしモデル)を否定しようとする研究動向について論じ、あわせて事故後の科学者・専門家の動きについても論じた。マンハッタン計画から1990年前後までの放射線健康影響をめぐる議論の推移については、故中川保雄の労作、『放射線被曝の歴史』(増補版、明石書店、2011年)があるが、その後の展開について、とくに日本の役割の増大という点について、跡づけることができたと思っている。

 『つくられた放射線「安全」論』に対する学術的な批判はあまりなかった。そこで示した事実関係について誤りがあるという指摘は受けていない。科学者や専門家が政治的な利害関係に巻き込まれ、それが科学者の言明を偏ったものにし、信頼性を失わせるという論点について、『つくられた放射線「安全」論』に対する批判となるような学術的業績はまだ目にしていない。その後、この書物の論点をさらに裏付けるような事態も生じている。

信頼喪失の状況は改善していない

 だが、その後も放射線健康影響に関わる科学者・専門家をめぐる問題状況は変化していない。むしろ悪化している感がある。たとえば、伊達市における被ばく線量評価について、国際専門誌に掲載された2つの論文(2016年12月、2017年7月)が引き起こした問題がある。被ばく線量を何分の1に低く見積もる評価をし、除染をめぐる伊達市の政策に大きな影響を及ぼしたものだ。著者は宮崎真氏(福島県立医大放射線管理学講座講師)と早野龍五氏(東京大学名誉教授)の2名である。これについて、黒川眞一氏らによる批判(黒川眞一「被災地の被曝線量を過小評価してはならない」『WEBRONZA』2017年5月、黒川眞一・島明美「住民に背を向けたガラスバッジ論文」『科学』2019年2月、黒川眞一・谷本溶「インテグリティの失われた被ばく評価論文」『科学』2019年4月等)が提起されているが、両氏から応答がなされていない。

 この分野に関わる科学者・専門家への不信感が軽減されるような気配は乏しい。復興・帰還政策が強行され、放射線「安全」論はますます強められていき、それに疑いをもつ人々は口を閉ざさざるをえない状況だ。被災地住民のなかにも放射線「安全」論を疑うことは復興の妨げになり、そのようなことをしてほしくないという意識が強まっているようだ。この問題について「ものが言えない」故に悩みが深いという声をしばしば聞く。福島原発事故による放射性降下物の影響で甲状腺がんが増えたのかどうかという問題があり、福島県県民健康調査では、甲状腺を手術で切除した若者や子供が増えたという事実がある。放射性ヨウ素の影響ではないかと推定できる材料はあるが、これを否定する論拠は明確でない。そこで、「過剰診断」だという議論が幅をきかせているが、多くの甲状腺の専門家はそれに対して疑問を表明している。他方、事故の後、早い時期の放射線被曝はどうだったか。これについても議論が続いており、「格段に少なかった」こと確証するような十分な資料はない。

『原発・放射線被ばくの科学と倫理』

 この度、専修大学出版局から刊行された『原発・放射線被ばくの科学と倫理』(2019年 3月刊)は、福島原発事故後、8年を経てもなお続く、放射線健康影響をめぐる科学者・専門家への信頼の低下・欠如について、その要因を明らかにしようとしている。また、原発事故によって飛来した降下物が発する放射線のリスクはとるに足りないものだから、無視してふつうの生に戻るよう求める言説の危うさを論じている。

 『つくられた放射線「安全」論』を引き継ぎ、放射線健康影響(核医学や保険物理や放射線生物学という専門領域と重なり合う)の言説の検討が主だが、新たに精神医学・精神保健学の分野も検討の対象となっている。原発事故後になって初めてこの領域に関わるようになったが、放射線健康影響の専門家の言説をそのまま受け入れて、それに追随しつつ被災者が「不安」をなくすこと(減らすこと)こそ重要だという考え方にそった研究や臨床的支援の活動をしてきた科学者・専門家たちである。

現代の科学者の倫理を問う視点

 このように『原発・放射線被ばくの科学と倫理』は、『つくられた放射線「安全」論』の続編といってよいものだが、加えて新たな題材を組み入れた。それは、なぜ脱原発でなくてはならないかという問題を倫理的な側面から考察した第3部である。とくに宗教団体や宗教者による声明や意見表明に注目した。日本の宗教団体や宗教者がそれぞれの立場から提示した「原発の倫理的批判」を比較検討し、さらにドイツの議論や宗教者ではない日本人の議論とも比べている。「放射線被ばくの科学と倫理」と「原発の科学と倫理」はもちろん深いところでつながりあっているが、とりあえずは異なる議論が行われている。本書ではあえて両者を結びつけることなく、第1部・第2部と第3部で並列して取り上げた。

 すでに刊行されている佐藤嘉幸・田口卓臣『脱原発の哲学』(人文書院、2016年)などとも切り結ぶことを願っている。『脱原発の哲学』の論点は多岐に及んでいるが、現代の科学が長期的な視野に立って、多数の人々に及ぶ危機を回避することが困難になっていることの理由をどう捉え、どう対処するのかについて考えたい。

参考文献

佐藤嘉幸・田口卓臣『脱原発の哲学』人文書院、2016年

島薗進『つくられた放射線「安全」論』河出書房、2013年

 同 『原発・放射線被ばくの科学と倫理』専修大学出版局、2019年

長瀧重信『原子力災害に学ぶ放射線の健康影響とその対策』丸善出版、2012年

中川保雄『放射線被曝の歴史』増補版、明石書店、2011年

ジャン=ピエール・デュピュイ『聖なるものの刻印』(西谷修他訳)以文社、2014年