美術家・赤城修司「僕の見た福島」をみる・聴く

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③「平和と芸術」分科会 テーマ:3.11後の世界を撮る

 

美術家・赤城修司「僕の見た福島」をみる・聴く

立教大学

佐藤壮広(本分科会企画委員)

 

キーワード:原発事故被災地、不安、非日常の常態化、沈黙、同調圧力、写真、記録、未来

 

記録の未来

 福島に生まれ、現在、地元の高等学校で美術教員をしている赤城修司は、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故を機に、写真を撮影するようになる。除染作業のため、町の通りは大型トラックが行き交い、放射線量の高い地区には表土を削り取るための重機が運び込まれる。黒々と積まれた放射能汚染物質の袋の山は、最初は異様な光景だったが、1年、2年と時がたつとその山は日常の風景になった。赤城はその非日常の常態化を撮影し、記録し続けている。

 福島産の農作物に関する「風評被害」により、農家の生活が立ち行かなくなる。除染の様子を映すメディアが、その風評被害に加担している。だから、その様子も次第に報道されなくなる…。また、避難区域外とされた福島市内では、子どもたちの遊ぶ公園の遊具や土除染され、そこで子どもたちが元気よく遊ぶひとときが戻りつつある。そのように見える。

 不安を言い立てるのではなく、困難に皆一丸となって立ち向かうことが価値ある行為とされ、「がんばろう福島」の広告や街角に立てられた幟が、福島のひとを励ます。赤城はその看板や幟の文字なども撮りためてきた。そこに、目にみえない圧力や、不安をぐっと押し込めた人びとの沈黙をみるからだという。彼の写真は、未来の自分自身へと残すための記録だという。2011年3月以降自分が経験している状況と見ていることそれ自体を、なんとか残すために、写真を撮っているのだ。本分科会に登壇する赤城修司と会い、撮ることを通して赤城が問いかけることを、聴き、考え、そして語り合う70分間に、ぜひ参加してほしい。

 

参考文献

赤城修司『Fukushima Traces, 2011-2013』オシリス、2015年。

椹木野衣「7年が経つということ 赤城修司「Fukushima Traces, 2017」展」『美術手帖』2018年6月号(第2067号)、美術出版社、2018年。

赤城修司「福島を撮り続ける 日常の中の非日常」『週刊金曜日』2019年3月8日号(第1223号)、週刊金曜日。