日本平和学会2019年度春季研究大会
原発事故後の権利回復を目指す市民運動 ―栃木県の事例から
宇都宮大学
清水 奈名子
キーワード:低認知被災地、被害の語りにくさ、被害の不可視化、「福島差別」論、平和学の役割
報告の目的
福島県に隣接する栃木県は、2011年3月に発生した東京電力福島第一原子力発電所事故(東電福島原発事故)によって深刻な放射能汚染に見舞われ、長期的な対策が必要な状況にある。しかし他の福島県周辺の汚染地域同様に、原発事故による被害は十分に認知されない「低認知被災地」となったが故に、公的な対策や支援は限定されてきた。さらには当該地域の放射能汚染について、住民の間でも認知をめぐって対立やゆらぎがみられ、被害についての「語りにくさ」が指摘されている(清水 2016)。原発事故によって侵害された権利の回復を求める当事者が存在する一方で、他の当事者が「語りたくない」「語りづらい」「語ってほしくない」被害について、平和学はどのように向き合い、いかなる役割を果たすことができるのだろうか。本報告は、栃木県における原発事故後の権利回復を求める市民運動が直面している課題に注目し、低認知被災地における被害の語りにくさをもたらす要因について考察することを目的としている。
1.低認知被災地としての栃木県における原発事故被害-被害の不可視化と局所化
東日本大震災によって栃木県では震度6強の地震に襲われ、建物やインフラの崩壊による混乱が続くなか、原発事故によって放射性ヨウ素131については全域が、放射性セシウム134並びに137については、事故後に降雪・降雨のあった県北地域を中心に深刻な汚染を受けた。
しかし放射性物質が東電福島第一原発から約120キロ離れた栃木県にまで及んでいるという情報が市民に伝えられず、一部の農産物に出荷停止措置がとられたものの、市民生活全般に関しては必要な放射線防護対策がとられることがないまま、教育機関では2011年4月から通常通りに授業が実施され、県知事名で観光に関する安全宣言が出されるなど、県内産業への原発事故による影響を防ぐ措置が優先されていた。2011年5月になって実施された教育施設の放射線線量測定の結果、県北地域を中心に深刻な汚染が確認されたが、学校の除染が始まったのは同年8月以降であり、通学路や住宅地の除染は十分に行われていない。このように被害状況の調査と情報公開、対策の実施のいずれもが滞るなか、当該地域住民は原発事故後の最も放射線量が高かった時期に、適切な防護措置が不在のまま被ばくを余儀なくされたのである。
2.権利回復を目指す市民活動の展開
国や東電、また関係する自治体の不作為に由来する政策的な失敗によって、被ばくを余儀なくされた栃木県の住民たちは、専門家を招いて勉強会を開催し、自らの手で地域の汚染状況を調査し、情報を発信することで問題提起を行い、必要な対策を自治体や国に求める活動を事故直後から開始した。さらに福島県とは異なり国費による健康調査が栃木県では行われていないことから、甲状腺検査をはじめとした公的な健康調査の実施を求める活動を続けつつ、市民団体として民間での甲状腺検査を実施する活動も展開してきた(清水 2018)。これらの活動の特徴としては、福島県の市民団体に加えて、低認知被災地に共通する問題に直面する東北や関東各地の市民団体が相互に協力・連携しながら展開されている点にある。一連の活動の成果として、一部の自治体で除染や健康調査の実施などの公的な対策に結びついた事例もみられ、原発事故によって侵害された権利の回復を目指すうえで、市民活動が重要な役割を果たしてきたと言えよう。
3.権利回復を困難にする要因-被害の不可視化と
その一方で、被害者の権利回復を困難にしている要因が依然として数多く存在し、被害の深刻化と不可視化をもたらしてきたこともまた事実である。こうした被ばくを伴う被害状況の不可視化は、グローバルヒバクシャ研究が明らかにしてきたように、核エネルギーの軍事利用によって生み出されたヒバクシャの多くが置かれた状況と酷似している(グローバルヒバクシャ研究会 2005、Cooke 2009,竹峰 2015)。東電福島原発事故についてもまた、国際的な核エネルギー利用をめぐる利害を反映している国際原子力機関(IAEA)や原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)(高橋 2018)、そしてこれらの機関と密接な関係にある国際放射線防護委員会(ICRP)が示す見解や報告が、リスクを過小評価する専門家によって用いられてきた問題が指摘されてきた(藤岡 2017、島薗 2019)。国際機関の権威を帯びた専門家の言説によって原発事故の被害が否認されてきた結果、当事者が被害について語りにくい状況が生み出されたのである。その意味において、東電福島原発事故もまた、「グローバルな核被害」の一端として捉える必要がある。
他方で、東電福島原発事故による被害を「グローバルな核被害」と認定することを望まない被害当事者が存在することも、被害の語りにくさをもたらす要因となっている。「福島差別」論(池田他 2018)に代表されるように、原発事故による健康影響が発生するほどの被ばく量ではなかったという前提で、被ばくを避けようとして避難や保養を行うことや、事故による健康影響を懸念することが、福島の人々への差別を招くとして批判の対象となるのである(疋田 2018)。栃木県においても、放射能汚染の被害を指摘する住民に対して「風評被害を煽るのか」といった非難が寄せられ、健康調査の必要性を訴えると「栃木県民も被ばくしていることが全国に知られることになり、差別を招く」といった反論が行われてきた。その結果、原発事故の被害や、被害が発生する可能性についての不安を語ることさえもタブーとなり、更なる被害の不可視化が進むことが懸念されている。
今後の課題
当事者が語ることを望まない原発事故の被害について、平和学はどのように向き合うことができるのだろうか。被害の背景にあるグローバルな問題構造を明らかにすることで、権利侵害をもたらしているのは「被害を指摘する人々」ではなく、「被害を与えながらも被害を否認する核エネルギー利用の利害関係者」であることを示す作業は、すでに複数の先行研究によって進められている。こうした研究を継続してその成果を社会に発信すると同時に、被害の語りにくさをもたらす要因についてのより詳細な研究が必要である。特に、原発事故前から社会に存在してきた格差や差別の構造が、ジェンダー、優生思想、「中心」と「周縁」、「専門家」と「一般市民」等を軸として、原発事故を契機に顕在化した問題(加納 2013、吉田 2016、疋田 2018、清水 2019)について、学際的かつ市民との対話に開かれた議論が求められている。市民としての日常の生活を営みながら、権利回復ための活動に無理なく参加できる場を確保し、またそうした活動の内実を支え、継続するために必要な学知を模索し続ける役割を果たすことが、現在の平和学に求められているのではないだろうか。
参考文献
- 池田香代子他『しあわせになるための「福島差別」論』かもがわ出版、2018年。
- 加納実紀代『ヒロシマとフクシマのあいだ』インパクト出版会、2013年。
- グローバルヒバクシャ研究会編著・前田哲男監修『隠されたヒバクシャ ―検証 裁きなきビキニ水爆被災』凱風社、2005年。
- 島薗進『原発と放射線被ばくの科学と倫理』専修大学出版局、2019年。
- 清水奈名子「「核・原子力 話しにくい原発事故の被害」風間孝・加治宏基・金敬黙編著『教養としてのジェンダーと平和』法律文化社、2016年、168‐174頁。
- 清水奈名子「被災者の健康不安と必要な対策」淡路剛久監修『原発事故被害回復の法と政策』日本評論社、2018年、254‐263頁。
- 清水奈名子「健康不安の語りにくさを呼ぶ重層的な差別 -聞き取り調査から浮かび上がるもの」『週刊金曜日』1223号、2019年3月、26⁻28頁。
- 竹峰誠一郎『マーシャル諸島 ―終わりなき核被害を生きる』新泉社、2015年。
- 疋田香澄『原発事故後の子ども保養支援 ―「避難」と「復興」とともに』人文書院、2018年。
- 藤岡毅「放射能汚染地域への機関政策はいかに決定されたか ―低線量被曝健康影響の科学と政治をめぐって」『科学史研究』第56巻、No.283、2017年10月号、224‐233頁。
- 吉田千亜『ルポ母子避難 ―消されゆく原発事故被害者』岩波書店、2016年。
- Cooke, Stephanie 2009. In Mortal Hands: A Cautionary History of the Nuclear Age, (New York: Bloomsbury).