日本平和学会2019年度春季研究大会難民・強制移動民研究分科会
中米における難民・強制移動民と平和学
富山大学人文学部
竹村 卓
キーワード:キャラバン、国際人道制度、周縁、中心、中米、人間の安全保障、平和学、平和学徒
昨2018年4月から本2019年5月現在まで、中米からの難民・(強制)移動民の流れは、「周縁」である中米地域から、「中心」であるアメリカ合衆国(米国)へ向かうベクトル(いわゆる「キャラバン」)と、同じ周縁にあるコスタリカに向かうベクトルとに大別できよう(青木:17-18・岡田)。
2018年10月中米ホンジュラスを発し、主に徒歩で米国を目指す人々=キャラバンが、当初160名程度の集団から瞬く間に数千人から数万人の規模に膨れ上がり、メキシコから米国との国境に迫った。11月中間選挙の投票日が迫る中、米国トランプ大統領は、充分な対応をとれなかったホンジュラス・エルサルバドル・グアテマラの中米3か国に対し、援助の停止や大幅な減額で対抗する旨明らかにした。
周縁からの難民・強制移動民に対し、中心部においては様々な対応が見られる(池田)。特に中心側のポピュリズム的対応とその世界史的意味について、人間の安全保障の観点から明らかにした研究に、本学会会員の佐藤幸男による先駆的な業績が存在する(佐藤)。本報告は周縁である中米における難民・強制移動民が、今平和学と平和学徒に突きつけてくる問いかけの意味を、明らかにしようとする試みである。
1. 周縁=中米から中心=米国への移動:脅かされ続ける人間の安全保障
2016年11月「不法移民」排除を公約に掲げる共和党ドナルド・トランプの大統領当選が確実になって以来(翌17年1月大統領就任)、米国国内にとどまらず、隣国メキシコや移民の主要な送り出し国である中米各国においても大きな混乱を生み出してきている(水谷:4-8)。
従来中米諸国では、米国への移民からの仕送り送金即ち移転所得が国の経済を支えてきた。例えば2017年の移転所得の総額と対GDP比はそれぞれ、エルサルバドルでは50億5400万米ドルと20.4%、ホンジュラスでは43億3100万ドルと18.9%に上る(桑山:10、安永・藤城:21)。
米国内での合法・不法併せた移民人口は、エルサルバドル出身が約230万、ホンジュラス出身が約80万とされる。ホンジュラスからの米国への移民は比較的最近の動向であり、2012年時点で米国在住ホンジュラス出身者の半分以上が2000年以降に移住し、約4分の1は2006年以降に移住。ホンジュラス出身移民の60%以上が不法移民であり、その数は2000年1月現在の16万人から2011年には38万人に増加、その間の増加率は132%に及び、同時期の不法移民増加率では、グアテマラ出身者の82%やエルサルバドル出身者の55%を大きく上回っている(United States Department of Homeland Security・田上)。
近年米国における中米出身不法移民の中で、大人に伴われない子ども達だけの不法入国者の増加が、大きな社会問題としてクローズアップされて来た。その背景には中米において犯罪と暴力が蔓延し、日常的に人間の安全保障が脅かされている状態がある。例えばエルサルバドルにおいては、2012年に人口10万人当たりの殺人率は40名台に下落したものの、暴力による死者数が、1980年代の内戦中よりも内戦終了後の方が多い、という状況は変わらない。その隣国ホンジュラスから伝えられる情報は、より深刻の度を増している。人口10万人あたり殺人事件被害率は、米国への麻薬輸送ルート化とそれに伴う海外犯罪組織の進出もあって、2011年・12年の両年90名を超え、「世界で最も殺人に遭遇しやすい国」となってしまった。この犯罪の犠牲となるのは、第1に子どもたちであり、女性がそれに次ぐ。日常的に犯罪や暴力に巻き込まれる死傷者、特に幼小児の死傷者の増加は、目を覆うばかりであり、現地からは連日のように悲惨な状況が報道され続けている。ホンジュラスに代表される中米地域において、人間の安全保障が日常絶えず脅かされ続けている。特に子どもと女性、そして老人という社会的弱者は、生命の危機に日々直面している。人々は、文字通り生命を全うするため、生き残りをかけて自らの生まれ育った土地を離れて移動せざるを得なくなる。せめてわが子の生命を守ろうと親たちが、地縁・血縁など様々な手段を使って国外に脱出させた子どもたちの中で、米国までの移動途中で犯罪の犠牲など落命するものも、少なくない。移動中性犯罪や人身取引といった脅威に曝され続けているのは女性たちも同様である(工藤2016、2018B:24-26・田上・竹村・田中:35)。
2. 周縁=中米から準中心または準周縁=メキシコへ
周縁である中米から移動してきた人々の中には、最終目的地であったはずの中心=米国の手前、準中心(または準周縁)であるメキシコに滞留する者も出てくる。メキシコ外務省は2004年に『メキシコ移民ガイド』という米国移民希望者向けの小冊子を刊行した(柴田:147-148、162-168)。しかし米国入国の困難性などから、メキシコ現地のカトリック系団体などの手助けを得て、現地に定住し家族を再構成する例も報告されている(浅倉:9)。現地で参与観察やインタヴューがなされたのは、2010年9月から12年9月にかけてであり、研究で紹介された事例は牧歌的な感すら与えるものである。しかしそのメキシコにも、日常的に人間の安全保障が脅かされるという、厳しい現実が存在している(工藤2017、2018B:26)。
3.周縁から周縁へ:コスタリカをめぐる難民・強制移動民
一方目をコスタリカに転じてみれば、情勢は一変して見えた。コスタリカから米国への移住民は、2000年から2010年の間、68,558人から126,448人に増加したに過ぎない。GDPに占める移民からの移転所得も僅かなものである(The World Bank)。コスタリカは憲法第31条により政治亡命を認め、国際的には難民問題はじめ国際人権保障に熱心な国是で広く知られて来た。移民に関しても、建前では歓迎してきた。在住外国人や移民の増加に伴い「白人国」の神話が根強かった国民意識にも変化が見られ、2015年1月には憲法第1条を改正して、「コスタリカは、『多民族、多文化の』民主的、自由で独立した共和国である」と多民族・多文化を国柄に加えた(足立2016・国本2016)。
国連開発計画UNDPの『人間開発報告2009』によれば、ニカラグアの対GDP比12.1%に及ぶ移転所得の65%以上は、ラテンアメリカ・カリブ地域からのものである(UNDP)。その大半がコスタリカからの送金であ
る事は、想像に難くない。ニカラグアからの移動者・移住者が増加するに従い「移民を歓迎する」という建前「ではない」本音の言説がコスタリカ社会で表面化するようになってきていた(竹村・2009-2011年科研費報告書:166)。
しかも2018年4月以降、ニカラグアにおけるオルテガ政権の国内弾圧から逃れた市民が、文字通り(避)難民化し、コスタリカに大挙押しかけている。コスタリカ当局は国連難民高等弁務官事務所UNHCRなどとも協力して、この新たな避難民とも向き合っている(足立2018・UNHCR2018・UNHCR/Villegas2018・Alevado2018)。しかしコスタリカ市民によるニカラグア人蔑視の根は深く、2018年8月ついにニカラグア市民に対するヘイト集会が開催され、一部警察との衝突も伝えられるに至った。しかし同時に移民差別に抗議するカウンターデモも行われ、7名の元大統領が連名で移民差別非難の共同声明を発している(青木:18)。
おわりに:平和学・平和学徒への問いかけ
本研究分科会責任者の小泉康一は「世界中で起きている避難の姿は変化し、これまで考えられてきた国家、国境、移住、ネットワークについて、新しい思考法をもつことがせまられている。このことは、国連システムを人の移動の視点から見る場合にも、当てはまる」(小泉2018B:72)と指摘している。事実UNHCRなどからの強い警告と注意喚起を呼び、極めて不充分ながら、中米各国政府と米国・メキシコ両政府、各種国際機関も2017年から2018年にかけて、複数回の会合を重ねて対策を協議している。しかしながら国際関係における既存アクターの機能不全は明瞭である。生命の安全を求めて犯罪や貧困から、半ば強制的に避難を余儀なくされている、これら移動するヒトたちを、既存のいかなる国際公法の規定も掬い上げる術を持たない。本研究分科会責任者小泉が、指摘するように国際人権法をはじめ従来の国際人権レジューム・国際人道制度は、機能不全を起こし崩壊しつつあるように、見える(小泉2018A:312-314・竹村)。
中米という“周縁”からの難民・強制移動民の現状は、見る者をして立ちすくむ思いすら抱かせる(報告者もそういう思いを抱いた一人である)。この現状は小泉が指摘するように、国連システムや国際人道組織にとどまらず「いかなる権力、いかなる対抗勢力、いかなる制度機関も、さまざまな出来事の推移に対して有効な影響力を与えることが、もはや少しもできない」(アタリ:254)現実を可視化して私たちに突きつけてくる。現在ほとんどすべての既存の制度やパラダイムが、問い直されている。もちろん平和学もその例外ではありえない。周縁からの難民・強制移動民は、今、平和学と平和学徒とに鋭い問いを突きつけている。その問いに答えようとするのが、平和学と平和学徒に課せられた喫緊の責務である、と言えるだろう。
参考文献・資料
青木元「コスタリカと難民:米州の国際人口移動の緩衝地帯として」『ラテンアメリカ時報』2018年秋(1424)号、2018年10月、16-19頁
浅倉寛子「移動と再生産労働:メキシコ、モントレイメトロポリタン地区に住む中米出身家事労働者の事例から」『社会科学』(同志社大学人文科学研究所)第46巻第1号、2016年5月、3-31頁
足立力也「第29章人口の1割は外国出身:『移民大国』の光と影」国本伊代編著『コスタリカを知るための60章【第2版】』明石書店、2016年、138―141頁、特に141頁。
同「なぜコスタリカは、難民が発生すると国境を開放して迎え入れるのか」『ハーバー・ビジネス・オンライン』2018年11月3日、https://hbol.jp/17731/ (2019年5月7日報告者最終確認)
アタリ、ジャック(山本則雄訳)『新世界秩序:21世紀の“帝国の攻防”と“世界統治”』作品社、2018年
池田丈佑「第17章難民・国内避難民は弱者か、脅威か」佐藤史郎・川名晋史・上野友也・齊藤孝祐編『日本外交の論点』法律文化社、2018年、179―188頁
工藤律子『マフィア国家:メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』岩波書店、2017年
同A『ギャングを抜けて』合同出版、2018年
同B「子ども・若者たちはなぜ「北」を目指すのか?:メキシコ・中米に広がる格差と暴力」
『ラテンアメリカ時報』2018年秋号(前掲)、24-27頁
国本伊代「第59章神話『白人国』:多民族・多文化社会の現実」国本編著、前掲書、274-277頁
桑山幹夫「移民の経済学:中米移民の動向と郷里送金の重要性」『ラテンアメリカ時報』2018年秋号(前掲)、8-11頁
小泉康一A『変貌する「難民」と崩壊する国際人道制度:21世紀における難民・強制移動民研究の分析枠組み』ナカニシヤ出版、2018年
同B「“グローバル難民危機”と過渡期の難民・強制移動民研究」日本国際連合学会編『人の移動と国連システム』(国連研究第19号)国際書院、2018年、47-75頁
佐藤幸男「世界秩序における暴力体系の変容とポピュリズム:『人間の安全保障』からみたオーストラリア・タンパ号事件を中心に」『法律論叢』(明治大学法律研究所)第77巻6号、2005年3月、115-144頁
柴田修子「『メキシコ移民ガイド』:メキシコは不法移民を推進したのか?」『社会科学』(前掲)第46巻第1号、2016年5月、147-168頁
竹村卓「<周縁>からのヒトの移動と平和学:中米の場合」<周縁>からの平和学編集委員会
『<周縁>からの平和学(佐藤幸男先生古稀記念)』昭和堂、2019年(9月刊行予定)
田中高「中米キャラバンの行き着く先:紛争後40年の帰結」『ラテンアメリカ時報』2019年春(1426)号、2019年4月、34-36頁
水谷裕佳「米国から見るラテンアメリカからの流入移民問題:国内世論と政策の関係性」『ラテンアメリカ時報』2018年秋号(前掲)、4-7頁
安永幸代・藤城一雄「移民に依存するエルサルバドル:移民送金の実態、米国トランプ政権移民政策の影響」同、20-23頁
岡田玄「越えた4500キロ、越えられぬ壁 移民キャラバン、米国境に続々」『朝日新聞』大阪本社版2018年11月19日日付朝刊13版1面
同「移民キャラバン、苦難の道 祖母治療できず病死『人生変えたい』 米国境到着」同、10版6面
「地域主義再考:誰がアクターか―サブリージョナリズムの可能性」(北東アジア学会2011年度学術研究大会2011年10月2日於北海商科大学)平成21―23(2009-2011)年度科学研究費補助金基礎研究(B)研究成果報告書課題番号21402016『グローバル時代のマルチ・ガバナンス:EUと東アジアのサブリージョン比較』(研究代表者多賀秀敏)2012年3月、164-166頁
田上祥子「米国で増加した中米出身の子どもの単身不法入国:ホンジュラス出身者の例を中心に」
富山大学人文学部社会文化コース国際関係論教育研究分野2016年度卒業論文、2017年3月(未公刊)
The Office of the Unites Nations High Commissioner for Refugees (UNHCR) Children on the Run
http://www.unhcrwashington.org/sites/default/files/1_UAC_Children%20on%20the%20Run_Full%20Report.pdf (2014年7月9日付) (2015年11月5日報告者ダウンロード・確認)
UNHCR , “UNHCR steps up its response as thousands flee violence in Nicaragua”,31 July ,2018 http://www.unhcr.org/en-us/news/briefing/2018/7/5b601e4f4/unhcr-steps-its-response-thousands-flee-violence-nicaragua.html?query=nicaragua(2018年9月11日報告者最終確認)
Laura Alevado “UN Refugee Agency Recognizes Costa Rica’s Efforts in Eradicating Statelessness” Costa Rica News ,Oct.2.2018
https://cr/un-refugee-agency-recognizes-costa-ricas-efforts-in-eradicating-statelessness/76377/
(2018年10月5日報告者最終確認)
UNHCR/ Alexander Villegas,“Fleeing violence, Nicaraguans seek safety in Costa Rica”, (13 August 2018), The TICO Times, 15 August 2018 , This story was originally published by the UN Refugee Agency. http://www.ticotimes.net/2018/08/15/fleeing-violence-nicaraguans-seek-safety-in-costa-rica
(2018年9月11日報告者最終確認)
United Nations Development Programme , Human Development Report 2009
Overcoming barriers :Human mobility and development, UNDP,2010
United States Department of Homeland Security U.S. Customs and Border Protection, “Southwest Border Unaccompanied Alien Children” http://www.cbp.gov/newsroom/stats/southwest-border-unaccompanied-children
(2015年11月5日筆者ダウンロード確認)
The World Bank, “ Personal remittances, received (% of GDP)”
http://data.worldbank.org/indicator/BX.TRF.PWKR.DT.GD.ZS(2015年12月26日報告者ダウンロード確認)
本報告は平成29-31(2017-2019)年度科学研究費補助金基盤研究(B)課題番号16H057000「東アジアにおける重層的サブリージョンと新たな安全保障アーキテクチャー」(研究代表:多賀秀敏)の研究成果の一部である。