日本平和学会2019年度春季研究大会
「過去との決別なきフィリピン:二つのアキノ政権における移行期正義の挫折」
京都産業大学 クロス京子
はじめに
イスラム教徒による分離独立闘争が長期に渡って繰り広げられたフィリピン・ミンダナオ島で、2019年イスラム自治政府の樹立が承認され紛争終結が最終段階に入った。これに先立ち、2014年の包括的和平合意に基づき設置された移行期正義和解委員会(TJRC)が、ミンダナオ紛争終結にあたって導入されるべき移行期正義のメカニズムを勧告している。しかし、TJRCの勧告に基づいた移行期正義が実施される可能性は低い。本報告では、まずフィリピンの主要な過去の人権侵害を振り返りそれらの暴力の連続性を指摘する。その後、反マルコスを掲げたコラソン(コーリー)・アキノ大統領とその息子であるベニグノ(ノイノイ)・アキノ3世大統領による移行期正義の試みを概観したうえで、移行期正義なき体制移行によって負の過去と決別できないフィリピンの現状を論じることとする。
1.フィリピンにおける大規模人権侵害
フィリピン独立後に生じた大規模な人権侵害の多くが、植民地支配下で構築された大土地所有制やパトロネージに支えられた寡頭政支配体制に起因するとされる。これらの人権侵害は、大きく①国家による暴力、②左派勢力の革命運動に伴う暴力、③イスラム勢力の分離独立闘争に伴う暴力に分類できるが、互いに密接に関連しており連続性がある。まず①の国家による暴力としては、1965年から1986年のマルコス政権下、とりわけ戒厳令が布告された1972年以降の共産党員やイスラム教徒、一般市民に対する拷問や殺人などの人権侵害が挙げられる。また、アロヨ政権(2001~2010年)下で行われた超法規的殺人も左派系ジャーナリストや人権活動家が標的とされている点で共通している。
次に、②左派勢力による革命運動に伴う暴力として、共産党の軍事組織である新人民軍(NPA)による政府軍との武力闘争がある。1969年に武力革命を目指して結成され、貧しい農民や都市労働者の不満を受け皿に急成長したNPAは、分裂と組織内抗争を経て弱体化したが現在も武力闘争を継続している。コルディリエラ(山岳地域)で分離独立運動を展開した先住民も、一時期NPAと共闘していた。
③はミンダナオのイスラム教徒による分離独立運動に伴う暴力である。1969年に結成されたモロ民族解放戦線(MNLF)とその分派であるモロ・イスラム解放戦線(MILF)を中心とするイスラム反政府ゲリラが政府の治安組織と武力衝突を繰り返した。半世紀に及ぶ紛争の中で、多くの住民が紛争に巻き込まれ土地を追われた。政府との断続的な和平協議は2012年に合意に至った。
これらの暴力の特徴は、①が国家による違法な市民・政治的権利の侵害であるのに対して、②と③は反政府武装勢力による違法な暴力活動に対する正当な暴力行使だと政府側が主張してきた点にある。他方で、反政府組織には貧困と不平等から成る構造的暴力への抵抗という「正当な」理由がある。共産党系、イスラム系ともに組織されたのがマルコス戒厳令体制下であったことからも分かるように、同政権下の人権侵害への抵抗が主要な武力闘争の直接的な引き金であったことを考えれば、国家による違法な暴力だったと認められない限り武力闘争に駆り立てられた人々や紛争に巻き込まれた市民の不正義の感情は解消されることはないといえるだろう。
2.コーリー・アキノ政権下の移行期正義(1986~1992)
1986年の「ピープル・パワー革命」後就任したコーリーは、直ちに行政規律委員会(PCGG)と大統領人権委員会(PCHR)の二つの調査委員会を設置した。前者は、マルコスやその取り巻きの経済犯罪、すなわち推定50億ドル以上といわれる不正蓄財の調査と接収を目的とし、後者は1972年以降の戒厳令下の人権侵害の調査を任務とした。前者については、国内外の関連資産の多くを凍結・接収するなど一定の成果をあげたが、後者については、コーリー政権がマルコス政権で肥大した国軍の抵抗を抑えることができず政権基盤が安定しなかったため、実質的な成果を出すことなく1年余りの活動後解散した。
他方でコーリー政権時代の1986年、外国人不法行為請求権法に基づいて米国連邦裁判所にマルコス戒厳令下の人権侵害被害者9,539人がマルコス家を提訴し、総額19億ドルの懲罰的損害賠償を勝ち取った。しかし、不正蓄財の回収を急ぐフィリピン政府との綱引きに加え、賠償金の分配をめぐって被害者組織が分裂したため、2011年と2014年に弁護団によって提訴時よりも少ない7,526人の被害者に対し少額の賠償金が給付されただけであった。なお3回目の給付は2019年5月に予定されている。
3.ノイノイ・アキノ政権下の移行期正義(2010~2016)
ノイノイ政権の移行期正義の成果としては、第一にMILFとの和平合意締結がある。実際の自治政府樹立のための法案成立は後のドゥテルテ政権まで待たなければならなかったが、高度な自治権の付与はミンダナオのイスラム教徒にとっては正義の実現を意味した。第二に、PCGGによって接収されたマルコス不正蓄財の一部を用いて、戒厳令下の人権侵害被害者に対し賠償する新たな国内法を制定した。コーリー以降の歴代の政権はマルコス家の政界復帰の影響を受け、米裁判所による賠償金支払い命令を30年以上にわたり放置していた。委員会による認定を経た2018年、11,103人の被害者に対し賠償金が支払われた。母であるコーリー同様、反マルコスを打ち出したノイノイだからこそ実現した政策ではあったが、アロヨ政権の経済犯罪を追及する真実委員会設置の試みが失敗に終わるなど、政治家の犯罪に対する寛容な文化に阻まれ、マルコス政権以降の人権侵害の責任追及を積極的に押し進めることはできなかった。
おわりにー移行期正義なき体制移行の課題
フィリピンでは、マルコス政権、及びその後の政権の人権侵害の責任追及がないまま、海外での訴訟を経て被害者に賠償金が給付された。過去の人権侵害がフィリピン国内で議論・認知されるプロセスが抜け落ちており、その結果、フィリピンで起こった大規模人権侵害の被害者は、マルコス時代の暴力、ひいては植民地支配の歴史に根を持つ多様な暴力の被害者であるという共通点にも関わらず、賠償金が支給される被害/支給されない被害という選別に基づき分断されてしまった。人権侵害の真実が明らかにされないまま、近年ではマルコス家、及びその関係者の政界復帰が進み、戒厳令下の人権侵害を否定する歴史修正主義的発言が相次いでいる。ドゥテルテ政権の麻薬戦争に見られるように、過去との決別のないまま体制移行したフィリピンでは、国家権力の乱用という古くて新しい問題が再生産され続けている。