「全世界の国民の平和的生存権」という憲法物語:福島より

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日本平和学会2019年度春季研究大会

 

「全世界の国民の平和的生存権」という憲法物語:福島より

 

福島大学行政政策学類

金井光生

 

キーワード:全世界の国民の平和的生存権、日本国憲法、人格的生存権、鈴木義男、福島、nuclear

 

数次の人権宣言に於て試みられた基本権の要求はおのおの多少のニューアンスを抱持して居るのではあるが、これを包括して一つの命題に要約するならば、「萬人をしてその生存上にその所を得せしめよ」と云ふことに外ならないのではあるまいか。これを各人の生存を最小限度に於ても保障せよと云ふ古き意味の生存権の概念に対して、一層高次的な意義あるが故に人格的生存権の要求と呼ぶことが出来ようかと思ふ(鈴木1926:57-58)。

 

はじめに

 2011.3.11原発震災により、「福島」は原発政策・地方格差・弱者へのしわ寄せ等々、戦後の日本国家が生み出してきた問題構造を可視化した「フクシマ」として現象した。地震・津波・放射能汚染・風評被害の四重苦に苦しみ、現在に至るまで本質的な憲法問題を世界に突きつけ続けている。にもかかわらず、「権利よりも利権」が優先される空気の支配の下にある風土でnuclear国策が推進される中、法の支配を体現する1946年日本国憲法の前文2段に「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と謳われる「全世界の国民の平和的生存権」(以下、「平和的生存権」と略記)は、一層重要である(報告者の「思想の自由市場」論(Oliver W. Holmes, Jr.)研究からしても)。本報告では、被災地福島より、福島県出身の公法学者・弁護士・政治家であった鈴木義男の憲法思想を取り上げて、「平和的生存権」理念と「福島」との立憲的精神史にひとつの光を当ててみたい。

 

1.「人権としての平和」としての平和的生存権論

 平和的生存権論はいまだ憲法学において通説的地位には至っていないものの、1960年代から自衛隊関連訴訟との絡みで有力な論者たちによって理論的に彫琢されてきた。2008年4月17日の自衛隊イラク派兵違憲訴訟名古屋高裁判決(確定)では、「全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利」であると判示され、その法的権利性のみならず具体的権利性・裁判規範性も認められた。カント的平和構想も湛えながら、「積極的平和」(Johan Galtung)や「人間の安全保障」や国連「平和への権利宣言」等との理論的接続可能性も広がる中で、特に3.11原発震災以降、「人権としての平和」(高柳信一)の先達としての日本国憲法の平和的生存権のポテンシャルは、一層高まっている。

 

2.平和的生存権のポテンシャル

 私見では、平和的生存権は憲法上の権利という実定法的次元に存在する一権利には留まらない。「生きよ、そして生かしめよ!(Leben und lassen leben !)」(Fichte)という平和的共生の原理こそ、「各人に各人のものを(suum cuique)与えよ」というRecht理念の要請するところであるはずである。年間約2.5~3万人前後もの自殺者が出ている日本において、まして国策原発人災を体験した被災者(以下、「被ばく者」を含む)のモルモット化が続く現状で、平和的生存権の理論的可能性は、あくまで対軍事を中心としつつも、フランクリン・D・ルーズベルトの「四つの自由」も援用すれば、文言どおり、対軍事のみに限定されず広く「専制・隷従・圧迫・偏狭」等を含む「恐怖と欠乏」からの自由へと拡張されるはずである。「nuclearに対抗する権利」等を含む諸々の被災者の権利も、あえて憲法「前文」に記されたこのような大文字の平和的生存権から流出するのであって、その根源的な憲法理念的根拠として平和的生存権が措定されている。

 

3.平和的生存権のひとつの立憲的精神史

 この大文字の平和的生存権はGHQ草案前文(Alfred R. Hussey, Jr.の起草?)で出現した文言であるとはいえ、この観念の意味するところは、戦前からの福島人または東北人の思想にも伏流水のごとく流れていたのではないか?もともと福島は憲法と歴史的に縁が深い。戊辰戦争、福島事件(1882年)、ウラン採鉱強制(太平洋戦争末期)、松川事件(1949年)、矢部喜好(1884-1935)、鈴木義男(1894-1963)、鈴木安蔵(1904-1983)等々。なかでも義男と安蔵の「W鈴木」は現行日本国憲法成立に大きな役割を果たしており、この意味で、日本の立憲的精神の源流のひとつに「福島」があると言ってもよい。本報告では、鈴木義男 (以下、「鈴木」と略記)の憲法思想と平和的生存権の思想的関連性を見ていきたい。

 鈴木は、吉野作造の影響下で「社会民主主義」を標榜し、欧州留学等を経て、福田徳三らが参加した「社会政策学会」にも関与したのち「民主社会主義」を強く主張し、健全な議会主義的政党政治の実現を目指した(鈴木は生涯マルキシズムには否定的であった)。日本国憲法との関わりでは、終戦後に高野岩三郎の呼びかけで鈴木安蔵、森戸辰男らにより発足した「憲法研究会」にも参加しており、第90回帝国議会では社会党議員として現行憲法の成立に深く関与した。特に重要な功績として、政府草案にはなかった、①9条の戦争放棄に「平和」目的を明文化したこと、②国家賠償請求権(17条)や刑事補償請求権(40条)を規定化したこと、③森戸辰男らとともに「生存権」を条文化したこと(審議過程で「それならば生存権は最も重要な人権です」と主張して流れが変わった)がある。本報告との関連では、「平和」と「生存権」の自覚的導入が重要であるが、これらには鈴木自身の前史としての憲法ナラティヴがあった。

 鈴木は戦前、(1)学校での配属将校による軍事教練に対して、一般教育・軍事教育分離論からする痛烈な批判を展開し(それがもとで東北帝国大学教授を辞職)、(2)単なる動物的生存でもなく、労働者を典型とする社会的弱者の経済的救済としての狭義の「生存権」でもなく、文化的価値を重視した精神的な「人格的生存権」を主張して法律の「社会化」を説き(1919年ヴァイマル憲法151条1項の「人間に値する生存(ein menschenwürdiges Dasein)」規定の衝撃から)、(3)教育・文化の重要性に基づき、広く文化一般にまで関連する社会福祉諸制度が充実した「文化国家」理念を軍事国家に対抗して論じていた。

 戦後は新憲法を解説して、日本国憲法9条は国際法上の自衛権まで放棄したものではないとしつつも、「要するにもはや戦争というような野蛮な方法によつて国運を伸張しようというのは、世界的に見て時代おくれであつて、小さいながらもわれわれも、一層合理的世界体制建設の一翼に参加し、合理的に生存権を主張し、産業経済と文化的方面においてうるおいもあり、香りも高い文化国家建設に邁進すべきである。これを国是として宣言して居るのが前文と第二章第九条の意義である」(鈴木1948a:35)と述べ、ガルトゥング流の構造的暴力の克服を含む「積極的平和」構想と類似の観点から、各国の生存権の確保を目指すべく「世界連邦運動」という合理的運動を推進することを提唱してもいる(鈴木1948b:38-40)。

 鈴木自身は冷戦下「原子力の平和利用」の道を模索していたが(鈴木1954)、規範論理的には、人格的生存権は平和――「武力やnuclearによる平和」をも超克した真の平和――(的生存権)のうちにしかありえないだろう。とはいえ、鈴木の思想の「人格的生存権―文化国家―平和主義」というトリアーデのうちに、「人権としての平和」である大文字の平和的生存権理念の胚胎を見ることも可能ではないか。

 

おわりに――もう1つの憲法ナラティヴ

 このような大文字の平和的生存権が3.11原発震災後に要請しているのは、要するに、「人びとの望みを知り、当局と専門家は放射線量の低下を目指しながら、それを支える手段を共に考え、実施せよ」(安東2019:99)ということでもある。原発災害避難者の継続的実態調査の分析者は、「最善の道が未確定の場合には次善の策を取るしかない。被災者がどの選択を取っても将来にわたってケアをするというメッセージと保障を国や東京電力に求めることがこの時点で必要なのである。…なぜ被害者が首をすくめて生きていかなくてはならないのか」(今井2018:70)と総括しているが、改めて日本国憲法の平和的生存権理念の自覚の重要性を考えるとき、遡れば同じ東北の岩手県出身の詩人の憲法ナラティヴが聞こえてくる――「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治「農民芸術概論綱要」)、と。この声はW鈴木やその恩師吉野作造(宮城県出身で生存権も提唱)たちにも届いていたのかもしれない。

 戦後、一部の「改憲」の言挙げにもかかわらず、現行日本国憲法が70年以上に亘り日本市民のものとなってきたのは、まさに日本市民自身のナラティヴズとメンタリティのうちに、おのずから共通言説として支持されてきたからに他ならない。この点、2012年の自民党「日本国憲法改正草案」が、現行憲法97条とともに「全世界の国民の平和的生存権」を抹消しているのは、国策原発人災という事件とその被災者等のDaseinを抹殺することに等しい。オキナワ・ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ等々の地方からの憲法ナラティヴズの声を消し去るような改憲(壊憲)は、Recht理念の人類史への背徳である。

 

参考文献 *詳細はフルペーパーに譲ります。

安東量子『海を撃つ』みすず書房、2019年。

今井照「原発災害避難者の実態調査(7次)」、『自治総研』(地方自治総合研究所)474号、2018年。

金井光生「2016年平和的生存権覚書」、『行政社会論集』(福島大学)29巻2号、2016年。

――――「フクシマ憲法物語」、片桐直人・岡田順太・松尾陽編『憲法のこれから』日本評論社、2017年。

古関彰一『日本国憲法の誕生(増補改訂版)』岩波書店、2017年。

澤野義一『脱原発と平和の憲法理論』法律文化社、2015年。

清水まり子「鈴木義男と生存権規定成立への関与について」、仁昌寺正一研究代表『キリスト教教育と近代日本の知識人形成』学校法人東北学院、2011年。

―――――「鈴木義男と生存権規定成立への関与」、仁昌寺正一研究代表『キリスト教教育と近代日本の知識人形成(2)』学校法人東北学院、2012年。

鈴木義男「所謂基本権の法律的実現」、『社会政策時報』(協調会)64号、1926年。

――――「新憲法逐条解説(2)」、『社会思潮』(日本社会党社会思潮編集局)11号3月号、1948年a。

――――『新憲法讀本』鱒書房、1948年b。

――――『原子力時代の経済の革命的展開』民主評論社、1954年。

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会『国会事故調報告書』徳間書店、2012年。

東北学院資料室運営委員会「大正デモクラシーと東北学院」調査委員会編『大正デモクラシーと東北学院』学校法人東北学院、2006年。

中里見博「原発と憲法」、『憲法問題』(全国憲法研究会)24号、2013年。

深瀬忠一『戦争放棄と平和的生存権』岩波書店、1987年。