日本平和学会2019年度春季研究大会
リミナーズが経験する分断――つながりの創造と痛みへの想像
北海道大学文学研究院
石原真衣
キーワード:アイヌ民族、サイレント・アイヌ、リミナーズ、多文化主義、当事者とケア
はじめに
情報化社会を迎え、科学やテクノロジーが進化し、さまざまな世界の枠組みそのものが急速に変化し続ける社会の中で、多文化共生が謳われるようになって久しい。その一方で、「分断」という言葉が台頭するようになった背景には、ポストフォーディズムを迎え、徹底した個人主義であることを強いられるようになった人類が、存在論的不安を抱え、その不安はやがてレイシズムへとつながった状況がある(塩原2012、2017)。
攻撃の矢が向けられる当事者は、連帯を強めるために戦略的本質主義を採用せざるを得ない。そこで立ち上がる様々な言葉やカテゴリーは、その急変する事態に対応できない人びとにとっては、新たな分断となりうる。本発表では、サイレント・アイヌの経験から、当事者が予期せぬ他者化や一方的な包摂によって、構造と構造のはざまに陥ってしまうリミナーズとなるプロセスを明らかにし、批判的多文化主義や、当事者とケアという概念から、いかにつながりを創造できるかについて考える。
1.現代アイヌ民族を取り巻く状況
2019年4月、「アイヌ施策推進法」が成立した。同法では、日本における法律で初めてアイヌ民族が「先住民族」であると明記されたという意味において、1997年の「アイヌ文化振興法」から一歩進んだ法律として評価することができる。一方で、「〈アイヌ文化〉レジーム」がより深化していることには、注意が必要である。小田博志は、「〈アイヌ文化〉レジーム」について、「この体制の特徴は、アイヌに関わる事柄を国がこの法律で定義する<アイヌ文化>に限定する一方で、84 年新法案に盛り込まれていた政治経済的側面、土地や資源への権利、さらに本稿で問題になっている repatriation の権利などの「先住権」を排除する構造を形成し続けていることである」とした(小田2018)。アイヌの中には、先住民族として認められた点や、アイヌ民族差別の是正を促進する文言が入ったことで、同法の成立を歓迎している人びともおり、アイヌ民族が経験した近現代を照らし出すための一歩となることは喜ばしい。しかし、行政や法律が許容できる範囲の「アイヌ文化」のみが焦点化されるため、この問題は、多文化主義に関する議論が提示した問題点を露呈している。
2.アイヌ民族に関する多文化主義のゆくえ
米山リサは、リベラル多文化主義、企業的多文化主義の問題点を明らかにし、批判的多文化主義の観点から、「地域研究的・文化人類学的知が、どのように国内外の植民地主義的状況や人種化された暴力との密接な関わりのなかから形成され、また、これに携わる研究者たちがいかなる当事者性・位置性を備えもってきたかを見定めること」の重要性を提示する。近年のアイヌ民族を取り巻く状況を、以上の多文化主義との連関でとらえることは重要である。
3.「サイレント・アイヌ」のポストコロニアル経験
日本社会における他者である、「アイヌ民族」は、彼ら・彼女らの大地が、一方的に北海道と名付けられ奪われたのちにも、「アイヌであること」を継承し続けた。一方で、私たち家族は、それぞれが生存するために「アイヌであること」を継承しなかった。曽祖母つるは、文化的虐殺と唇の入れ墨というスティグマによって、困難な生を歩んだ。祖母ツヤコは、日本人となることによって自己を破壊し、生き延びた。母イツ子は、人種的排他性と民族的分離のはざまで、自己を定義できずに、今も生きている。他者化の暴力と包摂の暴力を経験した「私」は、透明人間となり、今も沈黙の契機にさらされ続けている。
4.「他者化か包摂か」から「当事者のケア」へ
アイヌの出自を持つ私は、自己の痛みと向き合う契機を持とうとし、カミングアウトを始めると、「マイノリティ」「被植民者」「(歴史の)被害者」「先住民族」として、多数派日本人から他者化され、一方で、アイヌの人びとが強くもつアイヌイメージや経験を共有できないことで同族意識をもつことができず、その結果、社会において行き場をなくし、沈黙せざるを得なかった。「サバルタンとは、社会構造にアクセスできない人びと」(スピヴァク2008)とすれば、私がアクセスできる社会構造はなかったため、私はサバルタン化していった。
再び、語り始めるためには、「ニーズの主人公」(上野2011)という上野千鶴子の当事者概念によって、自己を当事者化し、自らの言葉を紡ぐことが有効だった。その枠組みは、「アイヌ民族/和人(多数派日本人)」、「マイノリティー/マジョリティー」、「被害者/加害者」という枠組みからは零れ落ちてしまうリミナーズである自己を、分析可能な主体として立ち上げるために、必要なものだった。
ケアの概念は、人びとの痛みに優先順位や優劣をつけず、痛みを抱えている人びとの声に耳を傾けることを可能にする。私たちは、可視化されている現状のみによって、人びとを他者化するのではなく、しかし、自己の経験した痛みを前提に、一方的に包摂するのでもなく、それぞれの人びとが、どのような痛みを経験し、いかなるニーズを携えているのか、辛抱強く、思考を続けていくことで、分断を乗り越え、つながりを想像することが可能となるのである。
おわりに―透明人間の声を聴く
複雑化された現代において、「私たち」の被害は多元化し、その実態を把握することが困難な状況が続いている。このようなプロセスにあって、当事者のニーズを無視した他者化や、一方的な包摂は、新たな分断や暴力を生む可能性を秘めている。欲望や権力に抗して、被害の実態を明らかにし、痛みを癒しながらも同時に、分断や暴力を回避するために、1.当事者とケアの概念から、他者の痛みを想像する、2.リミナーズの存在を受容し、語る場を確保し、議論への参画の機会を生む、3.気長に、ハッピーに、言葉を紡ぎ続け、しかし同時に、深く、思考と批判を続ける、ことを提唱したい。
参考文献
石原真衣 『〈沈黙〉のオートエスノグラフィー(仮題)』、北海道大学出版会、2020年2月刊行予定、(2018年に北海道大学に提出・受理された博士学位論文『<沈黙>のオートエスノグラフィー―「サイレント・アイヌ」におけるサバルタン化のプロセスとポストコロニアル状況―』)。
上野千鶴子 『ケアの社会学―当事者主権の福祉社会へ』太田出版、2011年。
小田博志「骨から人へ:あるアイヌ遺骨のrepatriationと再人間化」『北方人文研究』. 11:73-94、2018年。
塩原良和 『現代社会学ライブラリー3 共に生きる 他民族・多文化社会における対話』光文堂、2012年。
『分断と対話の社会学 グローバル社会を生きるための想像力』慶応義塾大学出版会、2017年。
スピヴァック・ガヤトリ 大池真知子(訳)『スピヴァク みずからを語る―家・サバルタン・知識人』岩波書店、2008年。
米山リサ 『暴力・戦争・リドレス』岩波書店、2003年。