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秋季研究集会内で、広報委員会主催の第1回「若手および非正規雇用研究者問題を考えるフォーラム」が開催されます(10月27日(土)12:10-14:10)。詳しくはこちら。
日本平和学会2018年度 秋季研究集会プログラム
2018年10月27日(土)・28日(日) 会場:龍谷大学深草キャンパス
共催:龍谷大学アフラシア多文化社会研究センター
集会テーマ 「平和」の帝国主義
<開催趣旨>
日本社会を覆う政治的経済的な閉塞感について、<将来>の展望の暗さ、たとえば、人口減少による日本という国自体の縮小、AIとの競争による雇用の喪失、そして国家財政の破綻といった社会経済的な原因がつとに指摘される。しかしながら、それはむしろ、<過去>の政治的責任の忘却や軽視、つまり、日本近代史における侵略・植民地支配、戦後におけるそれらの忘却、占領から独立にかけて生まれた米国偏重・アジア軽視の外交姿勢、そして過労死を厭わぬような働き方でしか「豊かさ」を経験できなかった経済的「成功」といったものの政治的社会的代償として、生まれているのではないか。その意味で、「公」・「文書」偽造にいたるような日本の政治腐敗は、歴史を軽視し「真実はどうでもよい」「すべては他人事」という政治的ニヒリズムを常態化するという意味で、恐ろしく根深いものだと言わなければならない。
「唯一の戦争被爆国」を国民のアイデンティティの柱であるかのように掲げ続けるいっぽうで、核兵器禁止条約には反対、原発については再稼働を容認するのみならず有力な輸出産業として推進し、「積極的平和主義」のために有効な軍事力が必要であり、政財官学が一体となって軍事技術開発と科学研究の一体化を進めるべきだ、という権力機構の詭弁や欺瞞に対して、わたしたちが平和を語るためには、歴史的な傷の切開からはじめ、膿を出し切る必要がある。これ抜きに、わたしたちは、平和の責任主体・対抗主体として立ち上がれないのではないか。
平和学会は、これまでも研究大会・集会を通じて、平和学の、ひいては日本の平和主義の責任をさまざまなテーマを通じて問い続けてきた。これらの問題意識をしっかりと継承しながら、本大会では、日本が戦後に発展させてきた平和(主義)は、実は帝国主義や植民地主義の無批判な受容や継続と「共存」して来たのではないか、そしてそれが学問的な真理追究の名の下に、悪質にも偽装され正当化され続けてきたのではないか、という批判的な問題意識をもって、「『平和』の帝国主義」をテーマに掲げることとした。
開催校では、龍谷大学アフラシア多文化社会研究センターとも共催のもと、2つの開催校企画部会(京都学派の戦争責任とアイヌ、琉球の遺骨盗掘問題)、経済学史学会との共催部会(戦争と平和の経済学)、そして入澤崇・龍谷大学学長の講演会も設けることができた。さらに、旧731部隊隊員への医学博士授与問題について、分科会でも関連企画を立てることができた。
本大会が、日本と世界の平和を足下と内面から自ら問い直し、平和学の将来を展望するきっかけになることを願っている。
開催校理事 原田太津男
10月27日(土)
9:10-11:40
部会1(開催校企画・経済学史学会との共催)
戦争と平和の経済思想――戦間期と冷戦期の「国際協調」主義
このセッションでは、「戦争と平和の経済思想」に関して、近年、積極的に論考を発表している経済学史学会のメンバーを招き討論を重ねることで、より総合的な知見を獲得したい。
具体的には、戦間期と戦後(冷戦期)のヨーロッパを直接的な対象としながら、①経済学の知見や経済思想の重視は戦争と平和のどちらを指向する傾向にあるのか(帝国主義の発展か解消か)、②経済的な知見に基づいた平和を促進する構想(非同盟・連邦主義・国際協調体制)はどのような特徴をもっているのか、③戦争によって逆に経済学の知見がどのように進んだのか、などを論じる。それぞれ国際連盟と国際連合の立役者の一人であったウルフとミュルダールを取り上げることで、2つの時期の「国際協調」を通じた平和の可能性について、歴史的条件の異同も浮き彫りになるだろう。さらに思想史的なアプローチを踏まえつつ、現在の状況に対して得られる教訓とは何かも考えてみたい。
報告:藤田菜々子(名古屋市立大学)
「ミュルダールにおける戦争と平和~スウェーデン中立・非同盟の国際主義」
報告:籔田有紀子(京都大学ほか)「レナード・ウルフと帝国主義の平和」
討論:高英求(中部大学)
討論:尹春志(西南学院大学)
総括:小峯敦(龍谷大学)
司会:原田太津男(龍谷大学)
9:10-11:40
自由論題部会1(パッケージ企画1)
「慰安婦」問題を歴史化する――日本の現状と今後の課題
日本軍「慰安婦」が韓国の女性運動によって問題提起されてからおよそ30年が経つ。「慰安婦」問題の解決を目指す国境を越えた女性運動は、「慰安婦」問題の関係国間を超えて、戦時性暴力を「人道に対する罪」とする国際規範の形成をもたらした。しかし日本国内に目を転じれば、「慰安婦像」をめぐる大阪市とサンフランシスコ市の姉妹都市解消や、朝日新聞による「慰安婦」報道の「捏造」をめぐる訴訟にみるように状況は混迷している。こうした状況を前にいま、何を考えなければならないのか。逆に言えば、何が見落とされてきたのか。被害当事者たちが求めてきた日本政府による真摯な謝罪と補償が実を結ばないまま長い月日が流れたことの重みを考えると、「慰安婦」問題を歴史化し再考する必要があるのではないだろうか。
本企画では、「慰安婦」問題が提起された当初から運動の第一線に関わってきた研究者・参加者に続く世代に位置づけられる者たちが、日本の現状を理解するために「慰安婦」問題を歴史化する。その作業を通して、日本政府による「慰安婦」問題の幕引きに抗するための課題を様々な立場から提起したい。
報告:倉橋耕平(立命館大学ほか非常勤講師)
「歴史修正主義をとりまくメディア体制:メディア文化研究からのアプローチ」
報告:木下直子(日本学術振興会特別研究員PD)「「慰安婦」問題解決運動をめぐる現状分析」
報告:土野瑞穂(大妻女子大学ほか非常勤講師)
「『女性のためのアジア平和国民基金』をめぐる政策過程の一考察」
討論・司会:内海愛子(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター所長)
9:10-11:40
自由論題部会2(単独報告)
報告:宮本佳和(神戸大学大学院国際文化学研究科)
「土地紛争における伝統的権威の役割:アフリカ南西部・ナミビアの牧畜社会を事例として」
報告:大野光明(滋賀県立大学)
「脱軍事化の実践と経験:1970年代、沖縄へ渡ったアメリカ人反戦運動(パシフィック・カウンセリング・サーヴィス)を事例に」
討論:勝俣誠(明治学院大学)
討論:阿部小涼(琉球大学)
司会:長谷部貴俊(日本国際ボランティアセンター)
11:40-12:10 昼休み 12:10-14:10 分科会
14:20-15:10 総会
15:20-17:50
部会2(開催校企画)
京都学派――帝国の知の実践
日本では「先の戦争」が往々にして1941年からの対米戦争を意味し、それにともなう教訓もまた「なぜ無謀な戦争に突き進んだのか」という点ばかりが強調された結果、それ以前の帝国主義的・植民地主義的歴史が忘れ去られようとしているのではないか。こうした<内なる帝国主義・植民地主義>を克服するという問題意識に立って、「京都学派―帝国の知の実践」部会を設定する。
現在、さまざまな分野で京都学派についての再考が進みつつある。宗教学はもちろん政治学や国際関係論などでも、国内外において多くの研究が進んでいる。これまでの京都学派についての研究は主として、戦争協力についての擁護派としてのリベラル的京都学派像、糾弾派からのナショナリストとしての京都学派像が提示されてきた。しかしながら、こうした二項対立的図式は、逆に京都学派それ自身の研究及び政治的な参画をわかりにくくしてきたのではないだろうか。そのため戦後においては京都学派について触れること自体タブーとなり、事実日本の戦後における京都学派についての言及は竹内好と廣松渉以外、最近までほとんどなされてこなかった。本パネルでは、こうした二項対立の図式をできるだけ避けながら、京都学派哲学が、戦前の政治体制とどう関係をもち、また戦後の戦争責任をどう果たし、そして京都学派にまつわる言説が戦後の平和運動とどう関わったかという観点から、その光と影を照射したい。できるだけ京都大学で行われた原爆開発研究なども射程に入れつつ、より広い視点から知と帝国主義との関係を批判的に再考してみたい。
報告:嘉戸一将(龍谷大学)「〈絶対無〉・象徴・決断主義」
報告:川村覚文(関東学院大学)「個物の政治:西田幾多郎の政治哲学とその問題」
討論:内藤酬(河合塾)
司会:清水耕介(龍谷大学)
15:20-17:50
部会3(企画委員会企画・市民スペースNGOアクションネットワークと共催)
市民社会スペースの危機――新たなる不透明性を越えて(パネルディスカッション形式)
今日、「平和的な集会、言論、結社の自由が法的にも実践的にも尊重される領域(CIVICUS HPより)」としての〈市民社会スペース〉は、重大な危機に直面している。市民活動と市民社会の強化のために結成されたグローバル連合体CIVICUS(1993年設立・本部ヨハネスブルグ)によると、世界195カ国で市民社会スペースが開放的な(open)国は44カ国に過ぎず、狭められている(narrowed)国が42カ国、妨害されている(obstructed)国が53カ国、抑圧されている(repressed)国が33カ国、そしてこの政治‐社会空間が閉鎖されている(closed)国も23カ国にのぼる。それぞれ歴史的背景や政治制度、経済状況は異なるとはいえ、いまや先進国か途上国かを問わず、世界の多くの国々で市民社会スペースの狭隘化や抑圧が進行しているのである(2018年5月5日レポート)。
それゆえこの部会では、現在の市民社会スペースの危機的状況について多角的に検証するとともに、この新たなる不透明性の分析と閉塞状況の打開に向けてNGOと研究者のあいだの対話をおこないたい。そのため第一報告では、これまで国際社会が取り組んできた民主化支援の観点から、近年の民主化支援が抱えるディレンマについて取り上げる。また第二報告では、市民社会スペースの危機に世界のNGOがいかに取り組んでいるのか、今年翻訳が刊行された『市民憲章』の意義も踏まえて国際動向を検討する。さらに第三報告では、日本国内での具体的事例を通じて市民社会スペースの狭隘化の実態と対抗アドボカシーの現状を詳らかにしていく。本研究部会ではこれらの報告を踏まえ、討論者はもちろんフロアにもひろく議論を開いて問題の共有と分析の深化をはかることとする。
報告:杉浦功一(和洋女子大学)
「民主化支援の今日的ディレンマ――国際社会から見た現状と課題」
報告:重田康博(宇都宮大学・国際NGOセンター)
「市民憲章の意義とその射程――市民社会スペースをめぐる国際動向」
報告:加藤良太(市民社会スペースNGOアクションネットワーク)
「狭隘化の実態と対抗アドボカシー――市民社会スペースをめぐる国内動向」
討論:藤岡美恵子(法政大学)
討論:佐伯奈津子(名古屋学院大学)
司会:高橋良輔(青山学院大学)
18:00-20:00 懇親会
10月28日(日)
9:10-11:40
部会4(企画委員会企画)
朝鮮半島平和体制に向けた動きと日朝関係――分断国家成立70周年、朝鮮戦争停戦65周年にあたって
2018年は、朝鮮半島の南北に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)という二つの分断国家が成立してから70周年、朝鮮戦争の停戦協定締結から65周年にあたる。
この節目の年に、朝鮮半島における平和体制の構築をめざした大きな動きが進んでいる。過去9年の韓国保守政権下における南北関係の極度の悪化、DPRKの核および長距離弾道ミサイル開発の推進により高まり、2017年には戦争前夜の如き緊張の頂点に達していた朝鮮半島情勢は、2018年に入って平昌冬季五輪を契機に、一転して前例のないほどの対話局面に入った。南北間でさまざまな対話が開始され、分断の最前線である板門店では2度の南北首脳会談がおこなわれ、板門店宣言が採択された。さらに文在寅・韓国政権を介してトランプ米政権と金正恩政権との直接交渉も進展し、ついにはじめての米朝首脳会談も開催されることになった。朝鮮半島の非核化の行方は不透明な面があるが、これらの対話を通じて「朝鮮戦争の終戦」に合意する展望が開けたことの意義は大きい。法的におよそ70年間継続してきた朝鮮戦争が終結するならば、北東アジアから核戦争の危機を拭い去ることに大いに寄与するばかりでなく、米日・米韓軍事同盟の存在根拠を揺さぶることになる。
1990年代以後の日本、とりわけ安倍晋三政権は「北朝鮮の脅威」を、日本国憲法下の戦後体制を改変し、軍事的拡大や集団的自衛権を容認する法整備のために徹底的に利用してきた。日本社会のなかでも「北朝鮮の脅威」認識は広く浸透し、議会政党は与野党・左右問わずDPRKに対する制裁の拡大強化を支持してきた。朝鮮半島における植民地支配の歴史は相対化され、日本が朝鮮戦争における「国連軍」の後方基地であり、現在も「国連軍地位協定」のもとで「国連軍」後方司令部や「国連軍」利用可能施設を設置しているという現状も忘却されている。朝鮮学校や在日コリアン(主に朝鮮籍者)に対する人権侵害・圧迫政策すらも「北朝鮮の脅威」のもとで容認される社会的風潮は蔓延の一途を辿っている。
朝鮮半島における平和体制構築の動きは、このような日本の政治・社会のあり方を根底から見直すことを迫るものとなるであろう。とくにマスメディア報道において朝鮮半島対話に対する冷笑的な論調が、韓国に対する侮蔑的な言説とともに支配的である現状にあって、かかる見直しの取り組みは切に必要とされるものである。
本部会は、朝鮮半島における平和体制構築の動きを反映して、日朝関係の今後をいかに切り拓くべきか、一面的な安全保障論的言説とは異なる角度から考察し議論することを目的とする。とくに、この間に日本社会で蔓延した「北朝鮮の脅威」論のなかで無視されがちであった、「第三世界」・非同盟運動加盟国たるDPRK側から見た国際関係・日朝関係認識、また在日朝鮮人の人権問題について正面から検討したい。多様な価値観と多民族・多文化の共生を受容する視点こそが、朝鮮半島和平後の北東アジアにおける日本に求められることになるはずである。
報告:石坂浩一(立教大学)「朝鮮半島における平和体制構築と日朝関係の過去・現在・未来」
報告:山本かほり(愛知県立大学)「朝鮮半島における平和体制構築と在日朝鮮人の権利問題」
報告:李柄輝(朝鮮大学校)「朝鮮民主主義人民共和国から見た国際関係と日朝関係」
討論:李泳采(恵泉女学園大学)
司会:高林敏之(早稲田大学)
9:10-11:40
自由論題部会3(パッケージ企画2)
Re-examining the Refugee Protection and Repatriation: A Case Study of Rwandan Refugees
While the UNHCR and Government of Rwanda have claimed that Rwanda has become peaceful and secure since the 1994 genocide, the majority of Rwandan refugees have long refused to repatriate. It is argued that promotion of voluntary repatriation and invocation of the cessation clause of the Rwandan refugees’ status were premature due to their fear of and trauma associated with the Rwandan Patriotic Front, the current Rwandan Government, because of its serious human rights record. Using a case study of Rwandan refugees, this package session aims to critically re-examine the international protection, UNHCR’s core mandate, and the repatriation, which has been considered the most appropriate solution for refugees. With growing numbers of refugees worldwide, it is hoped that this package session will enhance understanding of the importance of legal protection and the high risk of forced and premature repatriation.
In the package session, first, Mr. Froduald Ntezilimana, a former Rwandan refugee, will speak about the failure of protection and repatriation based on his own experience. Since he fled Rwanda following the 1994 genocide, he has had dreadful and traumatic experiences in Zaire (present DR Congo), Republic of Congo, again in DRC, and Zambia. Then, Ms. Yonekawa, based on the literature review and field research in several countries, especially in Africa, will speak about the Rwandan Government’s motives to have refugees repatriated and the “self-protection” of refugees. Finally, Ms. Sugiki will discuss about the impact of forced refugee repatriation on political order and stability, as well as ‘human securities’ from several cases in Africa.
Keynote Speaker:
Froduald Ntezilimana (Representative of Former Rwandan Refugee Committee in Zambia)
“Failure of Forced Repatriation and Protection of Rwandan Refugees”
Presenter 1: Masako Yonekawa (Rikkyo University)
“Rwandan Government’s Motives to Repatriate Refugees and Their ‘Self-Protection’”
Presenter 2: Akiko Sugiki (Keio University)
Commentator 1: Koki Abe (Meiji Gakuin University)
Commentator 2: Saul Takahashi (Rikkyo University)
Chairperson: Masanobu Horie (Mukogawa Women’s University)
11:40-12:10 昼休み
12:10-14:10 分科会
14:20-15:00 入澤崇(龍谷大学学長)講演
「和の実現はいかにして可能か――仏教の立場から考える」
アフガニスタンのバーミヤーンで大仏が造られているとき、そこに紛争があったでしょうか。社会の安定がないと巨大な大仏を造ることなどできるはずもありません。では、社会の安定すなわち和の実現はいかにして可能であったかを考えてみたいと思います。
かつてアジア一帯に仏教が行き渡りました。古代インドで仏教伝播に大きく貢献したのが前3世紀のアショーカ王です。アショーカ王は仏教に感化され平和政策を推進しました。1 世紀から3 世紀にかけてのクシャーン帝国時代には、紛争地帯であったガンダーラ(現パキスタン北部)で、軍事に長けたイラン系遊牧民であるクシャーン民族が仏教に帰依し、仏像の制作を普及させました。仏教造像活動はシルクロードに広まりました。盛んな造像活動や壮大な寺院の建立は平和の社会でなければできないことです。
仏教の「利他という発想」が多くの為政者や商人の心を捉えました。為政者が自分のもっている権力を人々の幸せに振り向けるとき、社会の安定がもたらされたのです。「利他」が顕現した事例に平和問題を考える鍵があると考えます。
15:10-17:40
部会5(開催校企画)
学知の帝国主義、植民地主義批判
今年は北海道が命名されて、つまり近代日本の植民地になって150年となる。そして1879年に琉球も日本に併合された。その後、日本は台湾、朝鮮、「満州」、南洋群島、グアム等に植民地を拡げる帝国主義の国となった。日本の帝国主義が拡大するのと並行して研究者が植民地において研究をおこない、その帝国主義や差別を正当化する研究を行ってきた。アイヌ、琉球人は自らの土地だけではなく、研究者によって遺骨を奪われ、現在も大学によって保管されている。
本部会は、アイヌ、琉球の遺骨盗掘問題の検討を通じて、日本における帝国主義がまだ清算されていないこと、「学問の暴力」に対して平和学がどのように向き合うべきなのかについて議論をおこないたい。
報告:植木哲也(苫小牧駒澤大学)「〈滅びゆく民族〉――学問という植民地政策」
報告:松島泰勝(龍谷大学)「日本帝国主義と琉球――脱植民地化としての遺骨返還運動」
討論:佐藤幸男(帝京大学)
司会:木村朗(鹿児島大学)
15:10-17:40
部会6 ワークショップ(平和教育プロジェクト委員会企画)
トレーナーズトレーニング やり⇔とり力を育てる:高校の新設必修科目「公共」に向けて
2022年より、高校の教育課程において、「現代社会」に代わって「公共」が必修科目として新設されることとなった。2018年度から小・中学校では週に1回の「道徳」が教科化され、「公共」においては、「現代社会」で扱っている“基本的人権の保障”や“平和主義”は削除され、高校での“道徳教育化”が懸念されている。
「公共」の授業でつかうことができる教材は、現場の教員からのニーズも高いことから、授業でつかうことを想定した、平和な共生社会をつくってゆく国家に回収されない主体としての個を養うことに資する平和教育素材を提供する。
あわせて、「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)のために授業をファシリテートするのに必要な「やり⇔とり」力のトレーニングにもなるプログラムをおこなう。
ファシリテーター:
奥本京子、笠井綾、高部優子、暉峻僚三、中原澪佳、松井ケティ、ロニー・アレキサンダー