隣国の原子力政策に脱原発国家オーストリアはどう向きあうか 〜現代ヨーロッパにおける「境界」の意味を問う〜

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日本平和学会2018年度秋季研究大会

 

隣国の原子力政策に脱原発国家オーストリアはどう向きあうか

〜現代ヨーロッパにおける「境界」の意味を問う〜

 

福岡大学

東原正明

 

キーワード:オーストリア、反原発、国民投票、極右主義、ナショナリズム、EU東方拡大

 

はじめに

 オーストリアは、1978年の国民投票で脱原発を決定した国家である。脱原発政策はその後に制定された法律によって明確化され、のちに憲法典にも加えられた。国内に原発のない状況で、同国の「脱原発」は周辺諸国の原発への反対として表現されることになった。本報告では、オーストリアの脱原発政策について、原発を保有する隣国との関係を中心に扱う。連邦政府や各政党のほか、とりわけ極右政党とも言われ、排外主義的な主張を繰り返す自由党(FPÖ)が原発についてどのように言及しているのかを検討し、オーストリアにおける脱原発が「理想的」な側面のみを有しているわけではないことを明らかにしたい。

 

1.オーストリアで原発が放棄されるまで

 戦後オーストリアでは、二大政党である社会民主党(SPÖ)と保守政党・国民党(ÖVP)とがともに「原子力の平和利用」に賛成の立場にあり、1960〜70年代に両党の下でツヴェンテンドルフ原発の建設が進められた。一方、反原発運動は1970年代に組織化が進み、「オーストリア原発反対者イニシアティヴ(IÖAG)」が結成された。1978年に実施されたツヴェンテンドルフ原発の稼働の是非を問う国民投票は僅差で反対票が賛成票を上回り、その後、国民議会で「原子力禁止法」が全会一致で可決された。1986年のチェルノブイリ原発事故は最終的にオーストリアを「反原発国家」へと変えたと言われる。1999年には、脱原発政策は憲法の次元にまで高められた。

 

2.オーストリアの原子力政策の現状

 チェルノブイリ原発事故以降、オーストリアでは現在、幅広く原発反対の世論が形成されている。連邦政府も政権綱領に「積極的な反原発政策」などの言葉を掲げ、ヨーロッパ諸国の既存の核施設に対する高度な安全基準の創設が求めたほか、東欧諸国のEU加盟も原発と関連付けて論じられた。オーストリアは、原発を保有する各国に囲まれた国家であり、隣国の原発の存在はそれら諸国家との間の問題である。各政党も、反原発という点では一致し、このテーマに関する政党間競争は隣国における原子力の利用に対してどのように向き合うかという点に集約される。各党から隣国の原発に否定的な態度が示され、世論においても、EUの東方拡大と隣国の原発の存在が一定程度結びつけて考えられていた。2011年の福島第一原発事故はオーストリアにも大きな衝撃を与えた。与野党が協調して原子力反対の立場に立つことが確認されており、反原発の姿勢がさらに確実なものとなったと言えよう。

 

3.極右政党と原発

 極右政党であるFPÖにとって、ドイツナショナリズムや反ユダヤ主義、既成二大政党や労働組合に対する特権批判などは彼らを強く特徴づける要素である。同時に彼らは、チェコのテメリーン原発に反対する国民請願を2002年に行って反原発を訴えるとともに、ルサンチマンやスラヴ系の移民に対する不安をかき立て、チェコのEU加盟に反対するキャンペーンを行った。FPÖによる隣国の原発への反対は、それぞれの国とオーストリアの間の歴史問題や民族的少数派の問題、EUへの加盟の是非と結びつけて語られている。さらに彼らは、自らが原発に対して厳しい態度をとっていることを強調して、自国の政府や他の政党を批判する際にも隣国に原発が存在する事実を利用している。

 

おわりに

 オーストリア連邦政府はイギリスやハンガリーの原発について欧州司法裁判所に提訴するなど、明確に反原発の立場にある。現環境大臣は、「ヨーロッパに原子力の居場所があってはならない」とまで述べている。その背景には、1978年の国民投票ののちに制定された原子力禁止法や脱原発政策の憲法への追加(1999年)といった、同国の歩みがあった。チェルノブイリ原発事故以降、連邦政府や各政党は、原発に対して一致して反対の立場を貫いてきた。その中で、極右政党FPÖは反原発の立場を独自に利用してきた。彼らは、ナショナリズムに訴える政策の中で、歴史問題や民族的少数派の問題と関連付けて隣国の原発を批判する主張を展開している。脱原発を望む立場からすれば、オーストリアの原子力政策の形成とその発展は「理想的」であると言えるだろう。しかし一方で、脱原発政策が自国中心主義的なナショナリズムと結びつけられ、排外主義的な主張として他国を攻撃することに利用されている「道具化」の実態にも注目する必要があろう。

 

参考文献(一部)

  • Kuchler, Andreas 2012. Zwentendorf (1968-1986). Österreich verweigerte die Inbetriebnahme des Atomkraftwerks. in: Oliver Rathkolb, Richard Hufschmied, Andreas Kuchler, Hannes Leidinger, Wasserkraft. Elektrizität. Gesellschaft. Kraftwerksprojekte ab 1880 im Spannungsfeld. (Wien, Kremayr & Scheriau). 
  • Müller, Wolfgang C. 2017. Austria. Rejecting Nuclear Energy - From Party Competition Accident to State Doctrine. in: Wolfgang C. Müller and Paul W. Thurner (ed.), The Politics of Nuclear Energy in Western Europe. (Oxford, Oxford University Press).