日本平和学会2018年度春季研究大会
「細菌部隊731部隊と原爆開発に関わった京都大学の資料公開の現状と検証責任」
京都新聞報道部兼論説委員
岡本晃明
キーワード:731部隊、原爆開発、京都帝国大学、公文書管理、戦争と医学、アーカイブ
はじめに
旧満州の関東軍731部隊はペスト菌など細菌戦研究で知られるが、京都帝国大医学部が部隊長をはじめ多くの人材を供給した。また京都帝大理学部は海軍の委嘱により、原爆開発「F研究」を進めていた。京都帝大の軍事研究に関係する資料は敗戦時に多くが廃棄され、731部隊関連資料について京都大学は戦後70年以上経過した今も検証をしたことがない。眠っていた京都帝国大の軍事研究関連資料の掘り起こし取材をする過程で突き当たった壁、公開と調査を阻む現代的な課題を報告する。
1.「帝国の骨」―京都に存在したはずの資料
731部隊についてさまざまな調査や研究が蓄積されているが、依然未解明なことが多い。部隊員の新たな証言を得ることが時の経過で困難な中、資料の重みは増している。資料を当たると、京都帝大医学部出身者は731部隊で多数の解剖を行ったが、原爆投下直後の広島でも被爆者の病理解剖を行ない、731部隊の人体標本と被爆者の人体標本が同じ場で保管されていたことなど、知られていない資料がいまだ埋もれていることが分かった。また、原爆開発に関わっていたことを示す京都帝大の湯川秀樹博士日記も明らかにすることができた。帝国大学は領土を拡張する「帝国」のシンクタンクであり、多岐に渡る科学戦を支える頭脳だった。特に京都帝国大は学知と人材を多くの機関に派遣し、戦争を検証する上でその存在感はきわめて大きい。
2.核兵器と倫理―核兵器の使用は倫理的に許されるのか
一方、軍事機密だった731部隊員の学位論文が京都大学では不存在とされ、国立国会図書館には保管されているなど、未調査/未検証という不作為のために、知られていない資料が存在する可能性はある。特に「満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める会」が今年設立され、京都大学と交渉を行っているように、論文や名簿が70年以上前の出来事へと辿り着く基礎資料として重要である。軍事研究にどのような予算が配分されたかも、未解明なことが多い。しかし、戦後の大学行政の中で、戦時中の資料が分散したり廃棄されたり、未調査のまま放置されるなど、あいまいな状況に置かれている。公文書では管理ルールが極めて不十分ながら法制化されているが、研究領域では1次資料や引き継いだ研究室の資料などの管理ルールがなく、大学博物館の歴史資料は予算的にも空間的にも制約が多い。
3.軍事研究と開示
京都帝大による被爆者の病理標本は占領下、米軍によって持ち去られ、研究発表も封じられた。731部隊の病理標本と研究も米軍によって持ち去られた。共に、米国の最高機密とされたが、米国法により開示が進んでいる。米側資料に依らないと、日本の軍事研究のことが解明できない現状がある。
被爆者の生体試料については1973年、日本に返還された。「広島のものは広島に。長崎のものは長崎に」。それが返還時の原則だった。調査した学者ではなく、患者や子孫が暮らす地域へ。そこで複数の資料が有機的に結びつけば、研究は生かされ、語り継ぐ礎となる。
しかし日本では帝国大学時代に収集した資料が返還されないままであり、有機的に結びついてはいない。
原爆資料の中に731部隊出身者の名前があり、京都帝大医学部病理学教室が731部隊に深く関与するだけでなく、アイヌ遺骨・琉球遺骨収集を行っていたなど、「帝国」を担う大学人脈は密接につながっている。旧帝国大学にどのような戦時資料があるかは調査を経て広く公開されるべきであり、本来どこにあるべきか、どうすれば有機的に結びつくかを議論すべきだ。
4.デユアル・ユースという要請
プロセスに倫理的/人道的に問題があっても科学技術は無色透明で役に立つ、と考える人が少なからずいることは、デュアル・ユース(軍用と民生用のどちらでも使える技術)という言葉を使う人たちの存在で分かる。戦時下の京都帝大の医学者/科学者たちにも、時代の多数者の側の要請と、研究目的という「大義」はあったのだろう。だが得られた知識を現地の人に返さず、奪われる側の痛みにまひすれば、どうなるだろう。学知が本質的にそもそも「帝国主義」を抱えており、領土を拡張しようとしてきた。731部隊では京大出身の医師たちが細菌戦の実験や多数の人体解剖を行い、資料を日本に持ち帰ったが、その「成果」は軍事機密の闇と関係者の沈黙に閉ざされたままである。戦時の大学の軍事研究と秘密/公開、廃棄をいま見つめ直すことは、大学と防衛研究費の問題を考える上でも重要である。
参考文献
岡本晃明 連載「帝国の骨」 京都新聞、2018年