沖縄と自衛隊 ―離島地域の「基地問題」―

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日本平和学会2018年度秋季研究大会

 

沖縄と自衛隊 ―離島地域の「基地問題」―

 

東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程

進 尚子

 

キーワード:沖縄、八重山、与那国、自衛隊配備、基地問題、離島経済

 

はじめに

 沖縄において「基地問題」というと、米軍基地を想定するのが常であろう。しかし、本報告で取り上げるのは、自衛隊基地である。在日米軍普天間基地の辺野古移転が世間の注目を集める中で、尖閣諸島領有問題に直面する宮古・八重山諸島では、自衛隊の新規配備が着々と進んでいる。地域住民の受け入れ賛否は地域を二分する事態になっているが、自衛隊が「日本の軍隊」であるがゆえに、それらがもたらす影響や背景が見落とされているのではないだろうか。報告者は沖縄の離島地域で進む自衛隊配備もまた、沖縄と日本本土との構造的差別がもたらす格差によって生まれた抑圧された社会構造がもたらすもうひとつの「基地問題」と捉え、八重山諸島のなかでもすでに自衛隊駐屯が始まった与那国島を事例として取り上げながら、離島地域の自衛隊基地問題について考察する。

 

1.沖縄における自衛隊―イメージの変遷

 太平洋戦争における沖縄地上戦では、沖縄県民が味方であったはずの旧日本軍によってスパイ容疑をかけられ殺害されたり、自決に追い込まれたりといった状況が発生した。この出来事は県民に強い不信感を植え付けることになり、戦後1954年に創設された自衛隊も長らく旧日本軍と同一視され、1972年の日本復帰によって自衛隊が沖縄に進出した後も、自衛隊員の住民登録拒否や自衛官募集業務の未実施などの強い拒否反応に直面することとなった。それゆえ県民の自衛隊アレルギーは他県とは比べ物にならないといわれてきた。しかし、現代ではその沖縄でさえも、自衛隊の存在を肯定的にみる意見が多数となっている。

 琉球新報社が2001年から5年ごとに実施している県民調査では、「あなたは沖縄の自衛隊基地の将来について、どう思いますか」という質問が行われているが、「現状規模のままでよい」とする人の割合は増え続け、最新の2016年調査では45.5%と半数近くを占め、「拡大すべきだ」とする7.3%を加えると初めて過半数を超えた。その背景には、沖縄戦を体験していない世代が増え、親も戦後生まれで家庭内に戦争経験者がいないケースが増えていることに加え、自衛隊がつねにその存在の正当性を問われる中で、東日本大震災などの未曾有の大災害での救助活動や、音楽やスポーツを通じた市民との交流、ドラマや映画への積極的な撮影協力といったイメージ改善戦略に成功したことが大きい。さらに、若年層の失業率がとくに高い沖縄に於いて、戦わない自衛隊は安定した公務員として魅力的な職となった。そうして尖閣諸島領有問題が表面化してきた頃には沖縄社会に溶け込んだ自衛隊が、「戦って」領土を守ってくれることへの期待を語る人々も珍しくなくなった。

 

2.与那国島の自衛隊誘致―その始まり

 沖縄県島尻郡与那国町は、沖縄本島から南西に516キロメートル離れた日本最西端の島である与那国島にある一島一町の町である。最寄りの島は日本国内ではなく、111キロメートル離れた台湾という国境の島であるが、1895(明治28)年の台湾割譲により台湾が「日本」になって以後、1945(昭和20)年の日本の敗戦まで、与那国島は国境の島ではなく、台湾と沖縄島、さらには日本本土をつなぐ中継地であった。

 1972(昭和47)年に日本復帰を果たした沖縄県は、念願の復帰が「本土並み」を実現するものではなく、米軍基地撤退もないことへの失望感が存在していた。一方、同じ沖縄県でも与那国島においては、日本復帰による米軍の影響力低下によって、国境の島に起こりうる不測の事態への不安が生まれていた。1973(昭和48)年3月19日、第一回与那国町議会定例会で決議された「自衛隊の配備について要請決議」にはそれが反映されている。ここにその内容を引用する。

 

自衛隊の配備について要請決議

当与那国島は日本領土の最西南端にあって台湾及東南アジアへの門戸的役割を果す極めて重要な地理的条件下にありかつ又、激動つゞける国際情勢下における昨今、台湾とは僅か八〇マイル距てる指呼の間にあって予期せぬ事態に対峙し住民の不安同様を擁護するため自衛隊の配備を一日も早く実施して貰う様強く要請する。

 

 この要請決議は議長を除く11人の議員で採決され、6対5の僅差で可決されて、町長仲本宗裕によって、防衛庁(当時)に提出された。日本国憲法の存在は多くの沖縄県民が日本復帰を切望する後押しとなったが、その憲法との整合性が常に問われ続けてきた自衛隊は強い反発を呼んでいた。そうした状況下にある日本復帰直後の沖縄で自衛隊の新規配備を要請することは、極めて異例のことであった。戦後28年の沖縄でまだ太平洋戦争の記憶は生々しく残り、当時の日本軍を彷彿とさせる自衛隊に対する印象は日本本土に比べても著しく悪かったため、住民総意とは言えない本要請は日本政府にとって現実味を持たないものであり、住民の間でもいつしかその存在は忘れられていった。

 

3.2回目の自衛隊配備要請

 与那国島において、再び自衛隊誘致への本格的行動が起こされるようになったのは、2007(平成19)年1月の「与那国防衛協会」の結成に端を発す。与那国防衛協会はその目的を「『防衛意識の普及・高揚』『防衛省自衛隊の支援・協力』を目的として活動し、その活動の中で与那国島の地域振興及び地域の活性化を図り、活力ある与那国の再構築を目指す」とし、活動を開始した。現会長の金城信浩氏は、1973(昭和48)年の自衛隊配備要請決議では反対票を投じた元革新系議員であったが、近年の尖閣諸島をめぐる中国の脅威などを通じ、推進派へと転向した人物である。当時の要請決議が日本政府に受け入れられなかった経緯を知るだけに、まず与那国町の人口減少問題の解決を訴え、住民から514名分の署名を集め、与那国町議会に陳情を行った。これを受けて2008(平成20)年9月19日、与那国町議会で「自衛隊誘致に関する要請決議(案)」が決議された。住民からの署名は人口減少問題対策としての自衛隊誘致を掲げていたはずだったが、要請決議は与那国防衛協会の陳情をほぼそのまま流用していることもあり、その目的は「防衛」一色である。一部をここに抜粋する。

 

日本海の竹島問題や、近くは尖閣諸島問題も我々島民の身近な教訓としていつそのような事態が起きても対処できるだけの準備は怠りなくしておかねば、取り返しの付かない結末が待っているのです。〔中略〕周辺に忍び寄る国際紛争にも自衛隊という国家の防衛力で身を守りながら、充実した国家予算を獲得し関連する事業で雇用促進を図りつつ、島民全員が一様に安定した生活基盤を築き上げ、さらに子孫に反映(ママ)をもたらす方策はこれしか、すなわち自衛隊誘致しかない、と言い切っても過言ではありません。 

 

この決議を受けて、実際に防衛省に要望書が提出されたのは、翌2009(平成21)年6月である。本来であれば町議会で決議された決議文が要望書として提出されるべきであるが、町長、町議会議長、そして民間団体である与那国防衛協会会長の名を併記した要望書の中身は決議文の防衛色を薄め、台風や地震といった自然災害対策を第一に、「周辺国の動向」をその次に配している。国防色が薄まったことで、自衛隊誘致の目的に国防を掲げる者、当初の住民署名がそうであったように人口増、ひいては経済効果を期待するがゆえに推進派に与している者が、呉越同舟ながらともに自衛隊誘致にまい進する環境を作り出すことに成功した。社会情勢が大きく変化していたことで、36年前には何も起こらなかった政府への要望は、防衛大臣による現地視察が行われる契機となり、本格的に自衛隊配備が進んでいくこととなった。

 一方、反対派は「与那国自立へのビジョン」を作成し、那覇や石垣を経由しないとたどり着けないもっとも近い島台湾との往来など規制緩和を国へ陳情してきた議員や賛同者を中心に、島がもともと持っている資源を使った地域振興を目指していた。彼らは駐屯地となった南牧場が与那国馬や牛が道路を歩く牧歌的風景の広がる場所で観光客に人気のある場所であり、駐屯地の建物だけでなく、巨大なレーダーが立ち並ぶようになった光景を見ると、観光業や住民の健康に悪影響による経済への打撃、「戦闘態勢」を整えることで国境を接する国々の警戒心をあおり危険が増す可能性を主張した。双方の激しい対立を経て、2015(平成27)年2月22日、すでに駐屯地建設が開始した後に実現した陸上自衛隊沿岸監視部隊配備の是非を問う住民投票で、投票率85.74%、賛成632票、反対445票という結果が出たことで、一年後の2016年3月には自衛隊配備が開始された。小さな島の住民は友人、同僚、さらには家庭内でも賛成派と反対派に分断され、地域社会の横のつながりが政治的対立によって阻害されるまでになってしまった。

 

4.自衛隊がもたらしたもの

 自衛隊駐屯地が町有地に建設されたことにより、町に歳入として賃貸料が入るようになった。歳入増は小中学校の給食費や幼稚園のミルク代、妊婦の渡航費や宿泊費などの無料化によって町民に還元され、今年度からは2年間限定ながら水道料金の基本料金も無料になる。昨夏の町長選で僅差の勝利となった外間町長は、次々と無料化施策を打ち出して自衛隊配備による経済効果を町民にアピールしているが、配備反対派の懸念事項である基地があることによる危険の増大や環境への影響に対するアクションはなく、不安の払拭には至っていない。なにより、自衛隊配備を決定した国にとって、与那国島に自衛隊配備を行うことは地域振興目的であるはずがなく、真の目的は「南西諸島の防衛強化」である。防衛を行うのは危険の存在が前提としてあるわけで、国境の島の「離島苦」は国にとっていわばチャンスであったからこそ、自衛隊誘致以外の地域振興策に非協力だった側面もあるのではないだろうか。こうした状況にもかかわらず、反対派の懸念を不必要なものとして歩み寄る姿勢がなければ、議論がかみ合う日が来ることを期待するのは楽観的すぎると言わざるを得ない。無料化による生活費抑制の一方で、収入増の可能性はというと、自衛隊は転属で配備され、企業誘致のように地元住民に多くの雇用をもたらすわけではないので恩恵は十分とは言えない。人口増についても、自衛隊関係者の転入によって増える人数以上にそれ以外の住民の流出が続けば、次の策を打たなければならなくなる。実際、反対派の世帯が島を離れる事例も発生している。自衛隊誘致が町財政改善につながった「成功例」として町長陣営がアピールを続けるなか、町の分断は固定化しつつある。

 

おわりに

 自衛隊駐屯が始まり、人口も歳入も増えた与那国町は、「地域振興」に成功したように見えるが、自衛隊基地問題は地域を分断する強い禍根を残すこととなった。その状況は住民投票から三年以上を経た現在でも改善されておらず、昨夏に行われた町長選、今夏に行われた町議選でも対立が続いている。与那国町の選挙はいずれも非常に高い投票率であること、さらに自衛隊配備問題が争点となった選挙はいずれも僅差の結果が出ていることを踏まえると、有権者の半数近い人が「少数派」となって意見を取り上げられないことが対立を深める要因になっている。つまり、民主主義の原則が多数決に成り下がり、多数派が少数派の権利や自由の擁護を放棄している状況といえる。国策を巡って地域が分断、多くの少数派の声が届かないという米軍基地問題と同じ構造が国境の島でも展開されている。

 広大な地域に拡がる沖縄の島々によって、日本は広大な排他的経済水域を保持することができている。自衛隊配備により結果的に国土防衛の先兵となったにも関わらず、その事実に目をむけず、「地域振興」と捉える危うさについて、享受するメリットと中長期的な影響も踏まえながら、もうひとつの基地問題として考察していく必要があるだろう。

 

参考文献

  • 岩下明裕編『日本の「国境問題」(別冊『環』)』藤原書店、2012年。
  • 岩下明裕編『領土という病:国境ナショナリズムへの処方箋』北海道大学出版会、2014年。
  • 沖縄県『新沖縄県離島振興計画』沖縄県、2002年。
  • 沖縄県与那国町『与那国・自立へのビジョン 自立・自治・共生 アジアと結ぶ国境の島YONAGUNI 
  • 報告書』与那国町役場、2005年。
  • 佐道明広『沖縄現代政治史「自立」をめぐる攻防』中京大学総合政策学部、2014年。
  • 舛田佳弘・ファベネック,ヤン『「見えない壁」に阻まれて:根室と与那国でボーダーを考える』国境地域
  • 研究センター、2015年。
  • 与那国町史編纂委員会事務局編 (二〇一三) 『黒潮の衝撃波 : 西の国境 どぅなんの足跡』与那国町役場.
  • 琉球新報社『沖縄県民意識調査報告書 2001』琉球新報社、2002年。
  • 琉球新報社『沖縄県民意識調査報告書 2006』琉球新報社、2007年。
  • 琉球新報社『沖縄県民意識調査報告書 2011』琉球新報社、2012年。
  • 琉球新報社『沖縄県民意識調査報告書 2016』琉球新報社、2017年。
  • 八重山日報
  • 八重山毎日新聞