バングラデシュ政治史におけるロヒンギャ難民問題 ―人道支援とローカル・ポリティクスに関する一考察―

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日本平和学会2018年度秋季研究大会

 

バングラデシュ政治史におけるロヒンギャ難民問題

―人道支援とローカル・ポリティクスに関する一考察―

 

東京外国語大学

日下部尚徳

 

キーワード:ロヒンギャ、難民、バングラデシュ、人道支援

 

はじめに

 2017年の「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)を名乗る武装勢力によるミャンマー警察・軍関連施設の襲撃のあと、70万人のロヒンギャが国境を越え難民となってバングラデシュ国内で生活を送っている。本発表においては、ロヒンギャ難民問題を事例に、援助に国内政治が与える影響を考察すると同時に、現地調査から明らかになった現状のロヒンギャ難民支援が抱える課題について論じる。

 

1.ARSAによる襲撃と難民の発生

 ARSAは2017年8月25日、ミャンマー警察・軍関連施設を襲撃した。これに対してミャンマー国軍は、ロヒンギャのいくつかの村々で掃討作戦を実施した。国境なき医師団の調査によるとこの作戦で1か月の間に6700人のロヒンギャが殺害された。その中には、女性や子どもも含まれており、ARSAの攻撃に対する報復的意図があっとことも否定できない。また、多数のレイプ被害が報告されており、これらが組織的な指示体系のもとでおきたものなのか、現在調査が進められている。

 掃討作戦はミャンマー国軍が主体になって実施されたが、警察や国境警備隊、一般の村人も部分的に関わったとされる。ロヒンギャの村々を訪れARSAの捜索という名目で、拷問、処刑、レイプなどが公然と行なわれたとして、国連や国際NGOは批判を強めている。キャンプを11月に訪問したバッテン国連事務総長特別代表は、ミャンマー国軍兵士による女性に対する集団レイプなど「人道に対する罪」にあたる残虐行為が組織的に行われたとして、ミャンマー政府を非難した。

 この作戦の中で、軍はロヒンギャの村々に火をつけARSAのメンバーが隠れる場所を徐々になくしていく作戦にでたことから、ロヒンギャの人びとはバングラデシュの側に追い立てられることとなった。川を渡って逃げる人びとを岸から銃で狙い撃ちしたり、戻ってこられないように地雷を敷設したりするなど、一連の行為は「テロ掃討作戦」の範疇を大きく逸脱していた。

 

2.難民支援の遅れ―支援に勝る国内政治事情

 バングラデシュ政府は当初、イスラーム武装勢力に対する懸念をミャンマー政府と共有するなど、ミャンマー政府を擁護する立場をとった。その背景には、昨年の民間人20人が殺害されたダッカ襲撃テロ事件以降、イスラーム武装勢力掃討作戦を実施しているバングラデシュ政府にとって、ミャンマー政府および軍部との協力関係が不可欠であったことや、最終的な難民のミャンマーへの送還を念頭に置き、ミャンマー政府と良好な関係を維持したいという思惑があったと考えられる。ミャンマーを通って中国に抜ける交易ルートと、ラカイン州との貿易に関する権益の確保もそれを後押しした。

 また、安全保障上の理由から難民化したロヒンギャをバングラデシュに留めたくないインド政府の方針もあり、バングラデシュ政府はこれ以上の難民流入を防ぐ目的でロヒンギャ難民支援に消極的な態度をとった。NGOや国連機関に活動の許可がだされず、政府による体系だった支援も実施されなかったことから、難民は厳しい状況に置かれた。

 

3.支援方針の転換―政府を動かしたイスラーム保守・タカ派

 しかしながら、急増する難民と国際社会の関心の高まりから、ロヒンギャ難民への対応策は変更を余技なくされた。バングラデシュ政府の方針転換の背景には、ロヒンギャ難民に対して支援を十分に実施しないことに対して、野党やNGO、イスラーム保守層からの批判が高まったことがある。特にイスラーム保守・タカ派「Hefazat-e-Islam(HI)」が積極的に政府批判を展開した。HIの代表は「ロヒンギャへの弾圧がやまなければ、ミャンマーでジハードが起きるだろう」と発言するなど、政府に対する攻勢を強めた。2018年末から2019年初頭に予定されている国会総選挙を前に、野党やイスラーム保守層が、ロヒンギャ問題を政治化し、与党批判の材料として使うのを無視できない政治的な思惑があったと考えられる。

 また、インドとしても親インド政権であるアワミ連盟に政権の座にいてもらう必要があったため、支援を最小限にすることによりロヒンギャをバングラデシュに入れないという政策から、バングラデシとミャンマー両政府にロヒンギャを厳重に管理させる政策へと方針を転換せざるを得なかったといえる。

 

おわりに―人道主義はローカル・ポリティクスを越えることができるのか

 ロヒンギャ難民問題発生当初、バングラデシュ政府の対応は極めて消極的であったが、国内政治情勢の変化から一転して積極的な支援の姿勢を見せるに至った。バングラデシュ政府が支援を最低限にとどめた期間に失われたロヒンギャの人びとの命は少なくない。NGOや国連機関が難民発生当初から活動できていれば、多くの人命を救うことができた。しかしながら、NGOであっても国連機関であっても、現地政府の許可なしに人道支援活動を実施することはできず、人道主義がローカル・ポリティクスを越えるだけの普遍性を備えていないのが現実だ。国境を越えた難民問題に、各国の政治事情を乗り越えてどのようにアプローチすべきなのか、分科会参加者とともに議論を深めたい。

 

参考文献

  • 日下部尚徳「バングラデシュから見たロヒンギャ問題」『世界908号』岩波書店、2018年、198-207頁。
  • 西芳美、篠崎香織編『東南アジアの移民・難民問題を考える―地域研究の視点から』地域研究コンソーシアム、2015年。