タイ-ミャンマー国境地域の移民・難民たち
~タイ・メソートを訪ねて考えたこと~
佐渡友 哲
(日本大学法学部)
1 はじめに
タイ北西部にあるタイ=ミャンマー(ビルマ)国境の町、メソート(Mae Sot)の人口は約12万人であるが、住民の半数以上はミャンマー人であるといわれている。ショッピング・モールの食品売り場を覗くと、タイ語とビルマ語、時にはカレン語が表示されている。中心地から西に7㎞のところに、タイとミャンマーを隔てるモエイ川が流れていて、そこには大型トラックが行き来できるコンクリート製の友好橋(1997年開通)が架けられている。私もこの橋を歩いて対岸の町ミャワディ(Myawaddy)を散策し、越境する人々を観察した。この地に押しかけて来るミャンマー人は、タイのすぐ隣り合わせのカレン州から陸路でやってきたカレン族が多い。本報告では、カレン州から「越境パス(border pass)」を所持して橋の入国管理を通ってタイに入国する人、すでに30年間もタイ側のいわゆる難民キャンプで定住する人、毎日、1バーツ(約3円)を払ってパスポートやパスも所持せずに小型ボートでタイ側に入国する人など、多様なミャンマー人の実態を紹介しながら、国境と移民・難民問題を現場から考えてみたい。なおここでは、タイに入国している多様なミャンマー人を総称して移民(migrant)と呼ぶことにする。
2「難民キャンプ」と「移民学校」の現状
ところでカレン族はもともと自治意識が強く、1948年のビルマ独立以降、ビルマ連邦政府と敵対関係が続いていた。カレン族の反政府運動組織であるカレン民族同盟(KNU)は、同国の反政府武装組織としては最大の規模を誇る。特に1988年以後の軍事政権に対する反政府暴動によって多くのカレン族は戦火を逃れ国境を超えてタイに流入した。これが世界で報道されるようになった、タイにおける、いわゆるミャンマー(ビルマ)難民問題である。ところが、タイ政府は、難民条約に加盟しておらず、越境してきた避難民を保護する義務はない。そこでタイ政府は、国境地域に10数万人いるとされている彼ら/彼女らを一時避難民(temporarily displaced people)として、人道的観点から滞在場所(難民キャンプ)を提供しているのである
メソート近郊に通称「難民キャンプ」が3か所あり、そのうち最大規模のメラ難民キャンプを訪問した。私たち多くの人にとって、難民キャンプというと草原や砂漠の中にたくさんのテントがある、というイメージであるが、ここはまったく違っていた。道路沿いに数キロにわたり木々に囲まれた、伝統的な「村」という印象であった。道路に面してフェンスのゲートが3か所あって、それぞれタイ政府の兵隊が構えている。一般に「キャンプ」と呼ばれているが、ゲートにはMaela Contemporary Shelter Area(メラ一時避難地域)という正式名が書かれている。キャンプではなくシェルター(避難所)なのである。
メソート地区には、ミャンマーからやってくる子どもたちのための移民学校が62校あり、9,000人以上が学んでいるという。これはタイ政府が関わった公立学校ではない。子どもたちは、タイの公立学校に行くことも可能ではあるが、タイ語がわからないうえ、制服や図書・文具代に費用がかかることから、無料の移民学校に行かざるを得ないのである。移民学校は基本的に、NGOなどの財政的支援のもとにボランティアによって運営されている。しかしタイ政府は「タイにいるすべての子どもに教育の権利を」という政策を掲げている。そこでタイ政府は、移民学校を「学習センター」と呼んで、支援している。数百人規模の大きな学習センターには、簡素ではあるが寄宿舎を備え、保育所から高校まである。そこではビルマ語、タイ語、英語、数学、理科など、学年によって多様な科目が教えられている。成績が良ければタイやミャンマーの高校などに進むことができるという。
3 課題と今後の展望
現地で知ることができた大きな課題について述べなければならない。それは、ミャンマーが民主化し、各国の経済制裁が解かれ、世界の関心が同国の市場に向けられるようになったことと関係する。いま世界からの支援が、アウン・サン・スーチー国家顧問が率いる新政権の発足によりミャンマー国内に集中し、国境を超えたミャンマー移民への支援が激減していることである。そのため移民学校、学習センターがいま、存続の危機にあるというのだ。2015年7校が閉鎖され、2016年には16校が支援を打ち切られたという。
これまでも多くの国境地域を視察してきたが、これほど多くの移民が善意の人々に支えられているところはなかった。これほど長く海外の支援を受け、この地が世界に知られるようになったのに、新政権が世界から注目されることにより、善意の活動が続けられなくなるとは思いもしない皮肉である。ただ長期的に考えると、メソートは単に貧しい移民の町ではなく、大規模ショッピング・モールも高級外車の販売店も存在する都市である。この地はベトナム―ラオス―タイ、そしてミャンマーのヤンゴンを結ぶAsian Highway(東西経済回廊)の通り道であり、経済特区構想もある。貿易と人流のハブになる可能性も十分ある。メソートが移民に支えられた、世界的にもユニークな越境協力(cross-border cooperation)の都市になることも考えられのではないか。