コンゴ動乱と国際連合の危機

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日本平和学会2018年度秋季研究大会

 

コンゴ動乱と国際連合の危機

 

東北学院大学

三須拓也

 

キーワード:コンゴ動乱、国連平和維持活動、介入資源の確保、国連人事と国際政治

 

はじめに

 コンゴ動乱は1960年代に起こった国際紛争である。これは主に東南部のカタンガ州の分離問題を巡って展開したが、東西冷戦を含む様々な国際対立が投影され激化した。他方この紛争に対して国際連合は、「防止外交」の旗印のもと、武力行使権限を伴った冷戦期最大の平和維持軍(コンゴ国連軍)を派遣した。しかし3度の武力行使を含む国連の介入にも関わらず、紛争はなかなか鎮静化しなかった。しかも1964年の国連軍の撤退に伴って、紛争は再燃した。なぜ国連の努力は充分な成果をもたらさなかったのか。本報告は、以下の論点を通じて、紛争複雑化の要因の一つに国連の関与のあり方があったことを論じる。

 

1.脱植民地化を巡る紛争

 国連の紛争処理に「適した」紛争はあるのだろうか。まず本報告は、コンゴ動乱は本質として国連の紛争処理能力を超えた紛争であった可能性を指摘する。特にカタンガ問題は、莫大な経済権益がかかった植民地主義とコンゴ民族主義の対立であった。それゆえ分離支持勢力は、網の目のように張り巡らされた国際ネットワークを作り上げ、その終結に激しく抵抗した。しかもその実力は、傭兵を中核とした軍事力、資金力の面で、国連を凌駕するほどであった。

 

2.介入資源の確保の問題

 国連の紛争処理能力に物理的な限界があったことで、紛争処理はより複雑化した。国際組織である国連は、政治的権威はあるものの、独自の権力源泉に乏しい。これは、通貨発行権や徴税権、あるいは軍事力を有する主権国家とは異なる。このため国連は、平和維持活動を行うにあたって、部隊確保、資金、技術面などで加盟国の協力を仰がねばならず、その紛争処理能力は加盟国の協力のいかんに左右された。しかも当時、平和維持活動の法的根拠は幾分曖昧であり、国際的権威を維持するために国連は、活動の「無謬性」を強調し続けねばならなかった。要するに国連の平和維持活動は、その枠外の国際的な利害関係に大きく左右されがちなのであり、この事情も紛争処理に影響を与えた。

 

3.大国の動向、特に米国の問題

 一方で本来の紛争処理能力を大きく越える問題であっても、国連が対応可能なこともある。それは大国が積極的に国連を利用する場合である。コンゴ動乱の場合、米国がそうであった。米国は、アフリカの脱植民地化問題が、西側同盟関係に負の影響を与えることを嫌い、コンゴでは国連を介した関与を望んだ。1950年代半ばからの脱植民地化の動きには、このような米国の意向も影響を与え、コンゴ問題では国連は米国という強力な後ろ盾を得た。介入資源が比較的安定的に確保できるようになったのである。ただしこの事情は国連に、今ひとつのジレンマをもたらした。それは、為すべきことの負担が大きければ大きいほど、国連は深刻な対米依存を余儀なくされ、一方でその「中立的」体裁を巡る国際的正統性への疑義が深刻化するというジレンマであった。

 

4.人事のあり方

 もちろん国連は常に米国に従属していたわけではない。国連の枠外の国際政治の状況いかんによっては、国連事務局は若干の自立性を持ちえた。例えば、コンゴ国連軍の場合、資金面、技術面での米国の存在感は圧倒的であったが、部隊提供面ではアジア・アフリカ諸国の役割は重要であった。特にインド、ガーナは、米国とは異なる思惑から国連の利用を積極的に構想し、動乱の局面においては米国の行動を抑制、修正する役割を果たした。

 そもそも国連には、反植民地主義運動のプラットフォーム的な性格があった。新独立諸国は、国連の植民地問題への関与を求めた。ただし米国流の反植民地主義とアジア・アフリカ諸国的な反植民地主義は同じでは無かった。このため国連事務局は、現地代表を巡る人事を通じて、二つのバランスを取ろうとした。特にハマーショルド事務総長の時代には、米国人職員が重用されると同時に、反英的な志向のインド人、アイルランド人職員も起用された。

 

5.米国と国連の協同介入としてのコンゴ動乱

 しかし総じて言えば、コンゴ動乱は米国の構想を基軸として展開した。公式説明とは異なり、国連事務局の自立性はきわめて限定的であり、国連事務局は、多くの局面において米国の意向に沿って行動し、親米的な統一コンゴの形成に協力した。ただし国際的な正統性への疑義が深刻化しかねない局面において、国連事務局は米国の思惑を越えた独自の論理で行動した。それが組織防衛の論理であった。

 米国の後ろ盾を得たことでコンゴ国連軍はカタンガ分離を終結させることができた。「身の丈」を越えた紛争処理能力を発揮したとも言える。ただし米国への過度の依存は、その後の組織防衛の問題を深刻化させた。財政危機と組織としての正統性の危機である。組織存続の危機に陥った国連は、コンゴの紛争の火種を完全に消すことができず、結果として後のモブツ独裁体制への道を整える役割を果たした。

 

参考文献

三須拓也『コンゴ動乱と国際連合の危機:米国と国連の協働介入史、1960~1963年』(ミネルヴァ書房、2017年)