日本平和学会2018年度秋季研究大会
〈絶対無〉・象徴・決断主義
龍谷大学
嘉戸一将
キーワード:主権、主権者、世界戦争、京都学派、絶対無、象徴天皇制、決断主義
はじめに
二度の世界戦争は主権国家体制への不信をもたらし、また第二次世界大戦後の国際経済や国際組織の展開は、主権国家体制を活動の障壁として糾弾してきた。主権国家体制解体論に対しては、法的言明における有用性の観点から反論が試みられている(例えば、Troper 2010)ものの、政治的次元での批判に対して応えられていない。こうした状況の政治的な問題点とは何か。アラン・シュピオによると、主権者の全能性を掲げたカール・シュミット流の決断主義こそが問題であり、言い換えれば「限界なき権力(un pouvoir sans limite)」が問題であるが、他方で、第二次世界大戦後の先進諸国は、意思決定の透明化と脱-中央集権化を掲げてコーポラティズムや地方分権を進めるが、国民全体の利害が反映されにくくなり、さらにグローバル化の進展によるネオ・リベラリズムの台頭に伴い、国内の社会的分断がもたらされ、国民主権の理念に支えられていた民主主義は解体の危機に瀕しているとも言う(Supiot 2005 : pp.223-240)。つまり、決断主義的な主権者論によって理解される主権国家体制は第二次世界大戦によって臨界に達したと看做され、主権論に代わる法秩序の正統性(legitimacy)の理念が要請されたものの、未だそれに応えることができていない。近代主権論の由来の一つであるローマ法の立法者像(「皇帝は法律から解放されている(princeps legibus solutus)」と「皇帝は法律に拘束されている(princeps legibus alligatus)」)のうち、決断主義によって捨象されてきた「皇帝は法律に拘束されている(princeps legibus alligatus)」というフォーミュラを再び取り込むような主権論によって、法秩序の定礎を構想することができないだろうか。
1.主権論としての〈絶対無〉
主権論としての〈絶対無〉とは、次のようなものだ。共同体の成立基盤として、人が自らを「全体的一」と「個物的多」の「矛盾的自己同一」として自覚する契機、「媒介者」が不可欠である。ところで、この「媒介者」は対象化可能な「個物」(有)であってはならず、また単なる無であってもならない、つまり〈絶対無〉でなければならない(西田 1941 : 347)。この共同体存立の定礎は、近代においては主権と呼ばれる。西田独特の主権論形成の契機の一つには、ジャン・ボダンの主権論との出会いがある。西田はフリードリヒ・マイネッケの国家理性論(マイネッケ 1976 : 75以下)に従って、クラートス(力)に偏ったマキャベリズム的な国家論に対抗する、エートスを軸とする国家論として、ボダンの主権論を位置づけている。西田は、主権的権力が法から解放されていることを強調するボダンの主権概念の定義(Bodin 1986 : p.191)を決断主義とは看做さずに、あたかもローマ法のもう一つのフォーミュラによって補うようにして、一種の主権の自己拘束説へと練り上げる(西田 1941 : 331-332)。そこから、国家を「社会の理性化」として定義し、諸個人が権力によって抑圧されることのない、そして立法者としての責任を負う国家を構想する(同前 : 329, 332)。責任を命じるものは、「神」や「天」とも呼ばれるが、それは主権としての〈絶対無〉として概念化される(例えば、西田 1944a : 95)。後に〈絶対無〉主権論は、侵略戦争批判としても展開されている(西田 1944b : 197-198)。この〈絶対無〉主権論は、決断主義的な憲法制定権力論と対立する立場にある。西田は未公刊の小篇(西田 1944c : 459)において、佐々木惣一による黒田覚批判(佐々木 1943)を踏まえて、憲法制定権力論をマキャベリズムと批判し、「法制定の根拠」が「歴史的世界自己限定の絶対命令」でなければならないと言う。
2.〈絶対無〉主権論の決断主義化――あるいは「象徴」という問題
〈絶対無〉主権論の意義は、「法律から解放されている」に偏向した決断主義的な主権論に、「法律に拘束されている」という観念を取り戻させたことにある。それを可能にしているのが、実体化不可能な真の主権(〈絶対無〉)と、〈絶対無〉という準拠に拘束される現実の主権者との峻別である。ところが、田辺元の敗戦直後の〈絶対無〉主権論においては、両者の境界が不分明となる。その境界を不分明にしたものが「象徴」なる概念であり、象徴天皇制論である。田辺の「種の論理」によると、類(世界)-種(国家)-個(諸個人)は、「融即・分有(participation)」を通じて一=多の世界を形成するが(田辺 1939 : 34以下)、敗戦後の日本は世界史的課題としての社会民主主義の実現を通じて、世界平和に貢献しうる状況にあった(田辺 1946 : 339)。田辺は、西洋の「似姿」概念を想わせる「融即・分有」概念によって〈絶対無〉主権論を構想する。敗戦後、天皇制の問題を自らの政治哲学の「試金石」とした田辺は、まずゲオルク・イェリネックの国家法人説・自己拘束説を斥け、カール・シュミットの決断主義を参照し、その決断者=主権者を昭和天皇に見る(同前 : 369以下)。すなわち、政党などによる社会的対立・分断と、それを「超出する国民全体の統一」を体現する天皇である。そのため社会民主主義への改変の決断は、昭和天皇に委ねられることになる。実質的には主権者に他ならない天皇は、田辺によると、あらゆる利害対立を超越した無私の存在者であるために、「無の象徴たる有」や「絶対無の象徴」と呼ばれる。本来、天皇制と関係なく、また象徴などという概念とも無縁だった〈絶対無〉主権論は、こうして決断主義的な主権論となる。
おわりに
〈絶対無〉主権論の意義は、決断主義化した主権論に「法律に拘束されている」という観念を取り戻させることで、法秩序の正統性論としての主権論を賦活させたことにある。にもかわらず、それが決断主義化したのは、一定の言説環境や敗戦後の状況のみによるのではなく、〈絶対無〉なるものを了解するのが困難であることにも起因する。決断主義化をもたらした「象徴」の問題が突きつけるのは、〈絶対無〉の方便の問題でもあるだろう。
参考文献
- 佐々木惣一『我が国憲法の独自性』岩波書店、1943年。
- 田辺元「国家的存在の論理」(1939年)、『田辺元全集 第七巻』筑摩書房、1963年。
- 田辺元「政治哲学の急務」(1946年)、『田辺元全集 第八巻』筑摩書房、1964年。
- 西田幾多郎「国家理由の問題」(1941年)、『西田幾多郎全集 第九巻』岩波書店、2004年。
- 西田幾多郎「予定調和を手引として宗教哲学へ」(1944年a)、『西田幾多郎全集 第十巻』岩波書店、2004年。
- 西田幾多郎「哲学論文集第四補遺」(「国体」。1944年b)、『西田幾多郎全集 第十一巻』岩波書店、2005年。
- 西田幾多郎「〔参考資料〕国家と国体 附録三」(1944年c)、『西田幾多郎全集 第十一巻』。
- フリードリヒ・マイネッケ(菊盛英夫他訳)『近代史における国家理性の理性の理念』(1924年)、みすず書房、1976年。
- Bodin, Jean 1986, Lex Six Livres de la République (1576), livre premier, texte revu par Christiane Frémont, Marie-Dominique Couzinet, Henri Rochais (Paris : Fayard).
- Supiot, Alain 2005. Homo Juridicus. Essai sur la fonction anthropologique du Droit (Paris : Édition du Seuil, coll. « La couleur des idées »).(アラン・シュピオ『法的人間 ホモ・ジュリディクス――法の人類学的機能』橋本一径他訳、勁草書房、2018年)
- Troper, Michel 2010. « The survival of sovereignty », in H. Kalmo and Q. Skinner (ed.), Sovereignty in Fragments. The Past, Present and Future of a Contested Concept (Cambridge : Cambridge University Press).