歴史修正主義をとりまくメディア体制:メディア文化研究からのアプローチ

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日本平和学会2018年度春季研究大会

 

自由論題部会1(パッケージ企画1)

「慰安婦」問題を歴史化する―日本の現状と今後の課題

「歴史修正主義をとりまくメディア体制:メディア文化研究からのアプローチ」

 

立命館大学ほか非常勤講師

倉橋耕平

 

キーワード:歴史修正主義、メディア文化、右派論壇、サブカルチャー

 

はじめに

 日本における歴史修正主義が狙い撃つ本丸は「慰安婦」問題である。2015年12月、「慰安婦」問題に関する最終的かつ不可逆的な解決を目指す「日韓合意」が発表された。しかし、この「政治解決」は合意に至る協議に被害者を関わらせず、そのうえ、組織的な加害主体である日本の国家責任を認めていないという意味で、加害者の消去も行った。その意味においてこの「解決」は、まぎれもない歴史修正主義に基づくものである。「慰安婦」問題を対象とした歴史修正主義からの攻撃は、「新しい歴史教科書をつくる会」から現在に至るまで、『歴史戦』(産経新聞社、2014年)のように、手を休めることなく続けられている。いくら史実で反論しても、メディア市場においては次々と記事が作られ、物量で圧倒している。

 なぜこのような状況が続くのか。本報告では、これまでほとんど取り上げられることのなかった歴史修正主義の言説を支えるメディア文化に着目する。

 

1.なぜメディア(文化)を問うのか―ゲームの違い

 「慰安婦」問題批判を行う歴史修正主義への先行研究は、「なにが語られているか」を検討し、批判をするものが多かった。しかし、これまでに「どこで語られるか」という視座が抜け落ちてきた。拙著『歴史修正主義とサブカルチャー』(倉橋 2018)では、この点に着目し、右派論壇や小林よしのりの『新・ゴーマニズム宣言』(小学館)による「読者の参加」と「集合知の形成」という観点から、文化生産者による評価が重視されている側面を明らかにした。それは、「共感を最大化させるメディアの論理」で動いていると言い換えてもよいだろう(佐藤 2018)。この点は、(「慰安婦」問題批判を含む)歴史修正主義の主張が、アカデミアの論理(歴史の論理)で動いているわけではないこと、それゆえ学術的な批判が刺さっていないことから、彼らの営為は「ゲームが違う」と指摘した。

 であるならば、情報を存在させる様式であるメディア(大澤聡)をめぐる現象こそ問われなければ、「『慰安婦』問題を歴史化」することはできないのではないだろうか。

 

2.90年代右派メディア文化―参加型文化と集合知

 90年代のメディア文化の特徴は「参加型文化」と「集合知」の生成である。

 小林よしのりは「慰安婦」問題で、歴史認識問題を扱い出す(1996年)。その際に彼が採用したのは、「朝日新聞」と「産経新聞」のどちらが正しいか「読者参加」で決めるという方法だった。小林は読者参加を煽り、読者の多数派が求める内容を当時の保守右派論壇の言説から漫画にしていった。それは史実を重視する態度ではなく、共感の最大化と言ってよい。共感を土台として作られた「集合知」を雑誌メディアが繰り返し「商品」とし、粗製乱造をすることで批判の論陣を構築した。その結果、学術的評価との乖離が生じていった。

 

3.「性奴隷sex slaves」と朝日新聞―党派性によるバッシング

 もう一点重要なことは、歴史修正主義と「慰安婦」問題が、右派論壇おいては「朝日新聞」とセットで論じられる点である。右派は「性奴隷」という認識が「朝日新聞」によって作られ、国連勧告にも引用されたことの影響力を主張してバッシングを強めるが、実際のところ「朝日を叩くと雑誌が売れる」という法則性によるメディア産業のテンプレートである。「慰安婦」問題の本質以上にメディア文化による「ビジネス」という側面もまた歴史修正主義の一部として考えられるだろう。

 

4.インターネット時代へ

 最後に上記の雑誌メディアを梯子として、インターネット上の歴史修正主義がある。ユーザーによる「参加」「集合知」はインターネットにも観察され、かつPV(ページ・ビュー)という具体的な数値を出せる仕組みが、広告収入を上げていく。広告収入やメールマガジンで商業媒体として運営が可能になる。過激な内容がアクセス数を伸ばすならば、歴史修正主義の言説は広告を資源にしながら言説を流布させていく。

 

おわりに

 「慰安婦」問題がなぜ歴史修正主義の攻撃の本丸になったのか。これまでに言われているように、植民地主義、ナショナリズム、戦争美化、性差別、排外主義、反フェミニズムが批判の背後にあることは間違いない。しかし、もう一点考えるべきことは、メディア文化との関連性である。「朝日新聞」の「誤報」というデマや教科書批判は、メディア上のヘゲモニー争いであり、それがビジネスになることが関係している。それらは、「慰安婦」問題という課題の手前で、商業と共感の最大化をねらうメディアの論理を使って、戦争という男の文化を保持するための営為ではなかろうか。

 

参考文献

  • 倉橋耕平『歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』青弓社、2018年。
  • 大澤聡『批評メディア論』岩波書店、2015年。
  • 佐藤卓己「『歴史のメディア化』に抗して 特攻ブームはなぜ生まれたか?」、『中央公論』9月号、中央公論社、2018年、70-79頁。