日本平和学会2018年度秋季研究大会
ミュルダールにおける戦争と平和――スウェーデン中立・非同盟の国際主義
名古屋市立大学
藤田菜々子
キーワード:G.ミュルダール、スウェーデン、中立、国際主義、冷戦、UNECE、SIPRI
はじめに
スウェーデンにおいて、経済学者グンナー・ミュルダール(Gunnar Myrdal: 1898-1987)は福祉国家推進論者であったが、彼はまたその対外的弊害として「国民主義的限界」を指摘し、福祉国家を越えた「福祉世界」の構築の必要を説くようになった(Myrdal 1960)。彼は福祉と同等以上に平和にも継続的な関心をもっていた。本報告では、ミュルダールの思考がいかに発展し、それがスウェーデンや世界の政治経済動向といかに関連するものであったかを考察する。経済学の浸透は国際紛争を軽減できるか。
1.大戦間期のアメリカ・スイス・スウェーデン
「政治経済学者」ミュルダールは大戦間期に誕生した。それまでのミュルダールは「理論派経済学者」であったが、1929-30年という大恐慌期のアメリカに滞在したことで、政治的実践活動への関心をもつようになった。また、1930-31年にスイス・ジュネーブの国際研究大学院の臨時講師となったことで、国際連盟の平和構築の努力を間近に見て、世界へと視野を広げたと推察される。1931年6月にスウェーデンに帰国したミュルダール夫妻は、社会民主労働党に入党し、新しい経済政策・社会政策の方針を決定づけた。ただし、この時点における彼の福祉論は国内にとどまっており、平和論との接点はなかった。
2.第2次世界大戦下のスウェーデンにおける「中立」論議
ミュルダールの平和論が初めて公的に展開されたのは、第2次世界大戦下である。1938年からミュルダールは黒人差別問題調査のためにアメリカにいたが、1940年4月にドイツがデンマークとノルウェーを空爆すると、帰国を決めた。スウェーデンは「中立」を宣言していたが、ドイツへの譲歩がかなりあった。夫妻は『アメリカとのコンタクト』(Myrdal 1941)を書き、個人の自由と民主主義を志向するアメリカに希望を寄せ、レジスタンスを説いた。『平和楽観主義への警告』(Myrdal 1944)では、小国スウェーデンが国際主義の伝統を築いてきたことが強調され、平和に対するスウェーデンの貢献が展望された。
3.冷戦下のUNECEにおける東西融和
1947年にミュルダールは国連欧州経済委員会(UNECE)の初代事務局長に指名され、ジュネーブに到着した。UNECEの目標は東西融和とされ、第1に、各国利害にとらわれない国際研究組織を作ること、第2に、東西貿易の拡大が目指された。ミュルダールは自由貿易の二面性を説くようになった。平和に対して自由貿易が有効だとの認識は保持されたが、先進諸国と低開発諸国に格差拡大をもたらすとも考えられた。政治的条件が整ってこそ、自由貿易は有効である。「低開発諸国の自助努力」と「先進諸国の責任」がともに必要であり、貿易については「二重の道義的水準」の設定、援助については国際機関経由への変革が提言された。こうしたミュルダールの方針は、スウェーデンの防衛・外交政策の方針と合致していた。
4.平和と平和研究
1957年4月にUNECEを辞職したミュルダールは、1961年まで駐インド大使となっていた妻アルヴァと暮らした。1962年にスウェーデン上院議員となったアルヴァは、同年から1973年までジュネーブ軍縮会議のスウェーデン派遣団を統率する。1964年には政府主導でスウェーデンの150年の平和を記念した研究機構の設立が検討され始め、1966年にストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が設立された。初代所長はアルヴァが務めたが、彼女が軍縮大臣になり、1967-73年はグンナーが務めた。SIPRIの人員や研究手法にはUNECEからの連続性があり、理論的研究以上に経験的研究が重視された。ミュルダールは1960年代後半にはベトナム戦争批判を展開した。1975年の論文「平和研究と平和運動」(Myrdal 1975)では、平和運動の弱さ、平和研究の意義、平和研究の科学性の追求を論じ、彼の平和論の最終見解が示された。
おわりに――ミュルダール平和論の歴史的限界と今日的意義
第2次世界大戦下でのアメリカ主導の国際主義的な政治経済秩序構築への期待、戦後まもなくの幻滅、1960年代半ば以降の代役を主体的に担うべきスウェーデンといった彼の見解の推移は、彼自身の経験から生じた部分も大きいが、スウェーデンが中立・非同盟という特殊な政策をとったことで東西両陣営を批判・仲介しうる外交的立ち位置に会ったこと、自由貿易主義の伝統があったこと、またアルヴァのほか、ハマーショルド、パルメといった印象的な政治家を輩出したことを反映するものであった。1990年代以降、冷戦が終焉し、スウェーデンの特殊な立ち位置は失われ、世界平和への独自な貢献は難しくなった。しかし、先進諸国と低開発諸国の格差、国民主義という問題はむしろ顕著になっており、ミュルダールの国際主義に基づく平和論はいまや普遍的意義をもつとも考えられる。
参考文献
- Myrdal, A. and G. Myrdal 1941. Kontakt med Amerika (Stockholm: Bonnier).
- Myrdal, G. 1944. Varning för fredoptimism (Stockholm: Bonnier).
- ――1960. Beyond the Welfare State (London: Gerald Duckworth).
- ――1975. Peace Research and Peace Movement, in Myrdal, G. 1979. Essays and Lectures after 1975 (Kyoto: Keibunsha).
- 藤田菜々子『ミュルダールの経済学――福祉国家から福祉世界へ』NTT出版、2010年。
- ――『福祉世界――福祉国家は越えられるか』中央公論新社、2017年。