音楽が果たす平和への役割 ─実践的な教育の現場から:アフガニスタン、そしてヒロシマからウガンダまで─

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日本平和学会2018年度春季研究大会

報告レジュメ

 

音楽が果たす平和への役割

─実践的な教育の現場から:アフガニスタン、そしてヒロシマからウガンダまで─

 

ミュージシャン/ウガンダ共和国親善大使

漆戸啓

 

キーワード:音楽、平和、楽曲制作、想像力、創造力、共感力

 

1.はじめに

 本報告では、音楽が平和のためにどのような役割を果たしていけるのかを考察していく。

 報告者漆戸啓は、1995年にポップスディオ“カズン”というグループでデビューをして、メジャーでの音楽シーンで活躍すると共に、2001年国連の定めるボランティア国際年に発売された『ひまわり』という楽曲がサポートソングに起用されたことをきっかけに、音楽を通し様々なチャリティーイベントなどに参加する機会が増える。

 2003年に、チャリティーコンサートで集まったお金をアフガニスタン難民キャンプへ直接届けることとなった。また、その経験を通しテーマソングを制作。報告者は、広島、長崎の被爆から60年となった2005年に、広島で子ども達と平和をテーマにしたコンサートを行った。そこでは、子ども達と平和への思いを歌う楽曲を制作。

 その年から、毎年のように子ども達との音楽交流が広がり、2013年には、JICAの協力を得てアフリカのウガンダの子ども達とのコラボレーション楽曲『The Pearl of Africa』を制作。この事をきっかけに、ウガンダ共和国の親善大使に任命。

 このような音楽活動を通しての子ども達との交流の中で、音楽が子ども達の未来、そして平和にどう貢献していくことができるのかを報告するものである。

 

 

2.アフガニスタン難民救済チャリティーコンサートを受けての現地訪問の経験

 2001年9・11アメリカ同時多発テロを受け緊迫していたアフガニスタン。報告者は、2002年の1月4日から10日ほどの行程で、現地を訪れるドキュメンタリーのレポーターとして現地に赴いた。パキスタンから入国。すでに空爆が始まっていたアフガニスタン方面を目指して行く行程。

 報告者は、このドキュメンタリーのエンディングには是非歌を作って欲しいと依頼されていたこともあり、様々メモを取り、アンテナを張り巡らせていたが、厳しい状況を目の当たりにし、一体音楽で何が出来るのかという思いが強くあった。

 報告者は、そんな中、難民キャンプの学校を訪れ、意識を大きく変える経験を得た。アフガンからパキスタンへ逃げて来た子ども達が通う学校で、朝礼に集まって来た子ども達が楽しそうに友達とおしゃべりをしたり、遊んだり、朝礼が始まっても後ろの方の子ども達は友達とひそひそ話をしていたり、その光景は平和な日本の子ども達と変わらないものであった。前日には、物乞いをしてくる多くの子ども達を街で目にして意気消沈していた報告者が、その朝、学校で感じた守るべき大切なものをその場で一言メモを取った。「そこには『未来の空気』が溢れていた」と。この言葉が歌のタイトルとなった。

 そのほか、病院や、心の傷を負った子ども達をケアする施設や、モスクなど様々訪問し、現地の人々と話をする機会を得た。報告者は、そんな中でも大きく印象に残った出来事があった。それはアフガンとの国境付近のコートカイ(Kotkai)キャンプでの事。まさに今アフガンから空爆を逃れて来た人が多くいる難民キャンプで、私たちが音楽家であることを伝えると、「うちの子どもも歌がうまい!こっちの子も歌を歌う!」と、次から次へといろんな子ども達が集まって来て歌を歌い出した。音楽を聞くことも、歌うことも許されなかったタリバン政権下で、堰を切ったように音楽、歌が溢れ出した。最後に報告者もオリジナル曲である『ひまわり』を歌った。最後の部分は歌詞が無く、ラララになるのだが、ラララになると子ども達も一斉に真似をして歌い出した。音楽は国境を超える事を実感した瞬間だった。ちなみに現地でラララ〜の歌詞に何か言葉の意味があるのかと現地のガイドの方に聞いてみると、「何もない」といった意味があるとのこと。本当に楽しそうに何もないと歌ってた子ども達のその笑顔に溢れた場所は、未来の空気に満ちていると感じた。後にこの難民キャンプでの経験は、自らの音楽、表現の変化に繋がっていくこととなった。

 

3.広島の子ども達との出会い

 広島、長崎の被爆から60年を迎えた2005年、広島出身で被爆二世の現代美術家である田中勝氏と、父親が原子爆弾開発に携わっていたアメリカの画家ベッツィ・ミラー・キュウズ氏によるコラボレーション作品の展覧会開催にあたり、展覧会と同時に子ども達とのコンサートができないかとの依頼を受けた。そしてそのコンサートで広島の子ども達と歌う楽曲が作れないかと。

 報告者は、とかく平和の思いを乗せた楽曲はそのテーマの重さから、楽曲もどこか直接的で音を楽しむ音楽として楽しめないものが多いように感じていた。せっかく子ども達と歌うのだから、元気で楽しく、未来の空気に溢れ、その音楽が奏でられている瞬間、空間そのものに平和を感じられるものを作りたいと思っていた。

 報告者が歌を作るときに最初に決めるのは、タイトルとテーマ。いろんな事に思いを巡らせ、広島の子ども達とも交流する中、辿りついたタイトルは『僕が君から借りたもの』。私たちの生きる世界の全て、海も山も空気も空も街も風も全ては未来を生きる子ども達から借りているもの。より良い世界にして未来を生きる人たちへ返していきたい。それが歌のテーマだった。子ども達と一緒に歌う楽曲とはいえ、子どもの歌というよりも今大人たちがしっかりと胸にとどめて置かなくてはいけない事を表現したいと思っていた。子ども達が元気に歌うメッセージが大人の心にもしっかり届くようにと。歌詞の中でどうしてもしっかり広島、長崎の事を表現して置きたいと悩んでいた一行がある。最後に出来上がったその一行は「♪空に光るのは花火がいい!」だった。

 現在、広島に限らず全国様々な学校でこの歌を歌って頂いている。また、歌詞についてディスカッションする学校もあるという。ある学校の校長先生が話しかけてくれたことがあった。「『僕が君から借りたもの』を全校生徒で練習しています。みんなこの歌を歌うと生き生きしてます。不思議な事に一生懸命この歌を練習する取り組みをする中で学校からいじめがなくなったんです。」と。何のために音楽をやっているのか、音楽で何ができるのかという、常々自らに問いかけて来た事に一つの答えをみた思いであった。と同時に、音楽というものは正しくも正しく無くとも届いていく力がある事を改めて感じる経験となり、表現をしていくものの責任を再確認する経験ともなった。

 

4.アフリカ、ウガンダの子ども達たちとの出会い

 2013年、ウガンダ共和国の子供たちと作った楽曲『The Pearl of Africa』の現地レコーディングが実現した。

 事の始まりは、当時、青年海外協力隊としてウガンダの学校へ派遣されていた大塚泰法氏からのメールがきっかけであった。偶然見かけた記事にカズンが広島の子ども達と平和コンサートを続け、楽曲を作っているという内容が書かれていた。赴任先のウガンダの学校の生徒たちも音楽が大好き。何か音楽を一緒に作る事で、彼らの思いを外へ伝えていくような支援のかたちはないものかと思っていたところ、その記事を見つけ、ならばそのカズンにと、すぐさま熱い思いのこもったメールが届いた。

 報告者は、その一青年の熱い思いに何か応えられたらとの思いで、是非協力させて下さいとメールを返信、メールのやりとりで楽曲を作っていくプロジェクトが密かに動き出し、その楽曲が出来上がっていくに連れ、熱がどんどん広がっていき、やがてJICA本体へと波動は広がり、現地でのレコーディングが実現した。

 歌のタイトル『The Pearl of Africa』は、イギリス元首相チャーチルの言葉。自然の恵み豊かなウガンダを一言で表しているこの言葉を今も現地の人たちは誇りに思っている。楽曲を作る初めの段階からこのタイトルは決まっていた。子ども達から送られて来たアイディアを元に歌詞を直し、曲を組み立てて行った。当初、歌詞とメロディーはアイディアがたくさん詰まっていたものの、どこかとりとめのなく続いて盛り上がりにかけるものではあったが、彼らの思いやエネルギーは十二分に込められていたため、その元の良さを活かしながら、よりエネルギッシュに、そして歌詞の面でもその平和へのメッセージをより伝わるように塾考を重ねて行った。よりキャッチーに、そしてアフリカの息吹と日本のポップス、文化の融合を力強く。

 報告者は、そうしてメールだけのファイルのやりとりでデモトラックが完成していくに連れ、その楽曲のエネルギーが次々と広がって行き、JICAの本部から是非現地でのレコーディングをというお話を頂く事に。どんなに説明をするよりも、音楽は時にその数分で語らずして多くを語るもの。既にそのデモトラックの段階でその熱は大きく広がりを見せていたのだ。

 報告者の現地での作業は、3日間程度であったが、前もって何度も歌を作る工程をやりとりしていたことで、出会って一緒に歌ってみた瞬間から、既に旧知の友のようにいろんな思いを分かち合えたような気持ちになった。音楽は国境を超える。それは実感としてあったのだが、歌を一緒に作っていくというのはどこかその先を行っているように感じた。もちろん言葉は無くとも分かり合える音楽の利点もあるが、互いの思いを言葉にし、歌にするというのはもっと多くを共有できる特別な経験を得ることが出来た。

 教室をスタジオにして、一生懸命歌う子ども達のレコーディングは一つ一つが奇跡の連続。レコーディングのrecordとは文字通り記録するという意味がある。その奇跡のセッションはことごとく一つ一つのトラックに記録されて行き、エネルギーの詰まった楽曲に仕上がっていった。アフリカンドラムが得意な男子生徒も加わり、さらにアフリカのエネルギーか重ねられて行った。

 レコーディングを終えた生徒たちのインタビューは、どれも素晴らしいものであった。報告者は、この楽曲を通して、ウガンダという国を世界の人たちに知ってほしいと取り組んで来たが、ウガンダの一学校の子ども達の思いは既に世界と繋がっていた。

 

5.まとめ

 音楽というもので、世の中そのものが変わるということは難しいかもしれない。しかし、一人一人の心の変革というのは、平和的価値を広げていくことが出来ると言えるのではないだろうか。ここで言う「心の変革」とは、楽曲の作詞作曲者が、一緒に歌を歌う目の前の人と歴史に寄り添う想像力を働かせ、表現するとことと、歌を歌う側も、プロフェッショナルの楽曲の作詞作曲者と向き合って生まれる互いの敬意の態度のことである。世界は、どこまでも人と人との繋がりで成り立ち、平和的関係を築くには共感力が欠かせない要素の一つである。音楽が、その共感力を育む役割を担っていることは、多く語られてきた。報告者が述べたアフガニスタン、そしてヒロシマからウガンダまでの事例は、音楽における共感力をベースに、互いの敬意の態度から生まれた平和的価値の広がりと言えるのでないだろうか。

 現代美術家の宮島達男氏は、「人間の歴史は経験をして知るということが多くあるが、戦後70年以上経つ現在、日本においては戦争を経験した人たちが少なくなっている。しかし、戦争だけは経験して分かるという事は二度と許されてはいけない。だからこそ、人間の想像力を養うという事の重要性が問われる。」と述べた。

 音楽が果たす平和への役割は、共感力を持って人間の想像力を養う機会を与え、また、その感性を磨き、積極的平和としての音楽を創造し、人と人を繋ぐ舞台をつくり出しているのではないだろうか。