長崎における原爆被害の語りに着目して ――「証言」と語られないもの

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日本平和学会2018年度春季研究大会

部会3「核兵器禁止条約と市民社会の役割――核兵器の非人道性への着目」

 

長崎における原爆被害の語りに着目して

――「証言」と語られないもの

 

長崎大学・日本学術振興会特別研究員PD

四條 知恵

 

キーワード:長崎、原爆被害の語り、証言、語られないもの、ろう被爆者

 

1. はじめに

 核兵器の非人道性が着目される中で、被爆者の「証言」は大きな役割を果たしてきた。長崎の被爆者も、山口仙二氏をはじめ多くの方が、国内はもとより海外においても、証言という形で自らの被爆体験を語ってきている。被爆者は証言することを通じて「核兵器を語ることのできる真の専門家」(山崎 2017)として、核兵器廃絶を目指す運動を牽引してきた。しかしながら、被爆体験の「証言」が代えがたいものとして脚光を浴びる一方で、本人自身の体験を含め、多くの語られない原爆被害がある。

 

 〇「証言」とは

…原爆被害の語りの中の一様式。音声で語ること、文章で書くことなど、幅広い意味を含む。

〇「被爆体験証言」の特徴   

  

2.語られないものが生み出される様々な布置

 ①被爆体験を「証言」というスタイルで語ることができる人の少なさ

 ②今現在、傷となっているものを語ることの困難

 ③被爆者の中でも周縁に置かれた人が語ることの困難

 (朝鮮半島出身の被爆者/被差別部落の問題/障がい者)

 ④原爆被害を語ることに対する肯定的な意味づけの必要性

 

3. 長崎におけるろう被爆者の原爆被害の語り

・被爆から40年を経て出版されたろう者の被爆体験手記集の冒頭には、「ろうあ者は忘れられた存在

だった」と綴られている。  

・長崎におけるろう者の被爆体験手記の発行

・「長崎でろうあ被爆者の体験を聞き書きし、文章化して残そうという活動が始まるのは、一九八三年ごろからである」(長野 2017: 171)

→発信時期のずれと沈黙

① 長崎におけるろう者の原爆被害

・「原爆の洗礼を受けた、耳の不自由な者は、長崎県内で、約百名と推定される。うち、三十名ほどが犠牲となって直後に倒れた」(「ろうあ被爆者」長崎県ろうあ福祉協会・全国手話通訳問題研究会長崎支部 1986: 40)

・義務教育化は1948(昭和23)年以降

・ろう学校関係者(卒業生を含む)、ろう学校と無関係に生活していた人々

・「義務制が布かれてから就学率も急速に向上し…(中略)さりながら、未だに聾児を人前に出して勉強させるに忍びないと一ずに恥心にとらわれる古老もあつて三割位の不就学児があるのは甚だ遺憾である」(「本校の六十年を顧みて 学校長 白川倫太郎」長崎県立聾学校 1959: 10)

    →被害の実態を正確に把握することは難しい。

② ろう学校の原爆被害

・市史など

・ろう学校の学校史→被爆体験は掲載されず、原爆被害を掘り下げた積極的な原爆被害の発信は行われていない。

〔理由〕

・学徒動員中の被害ではない。

・場所…移転後の元校舎が被爆し、その後被爆した上野町の校舎に戻ることはなかった。

・ろう者そのものの集団は、形成されなかった。

③ ろう者の被爆体験記の特徴

・社会的情勢の認識の遅れ

  ・語られる時間の違い

  ↓

 ○原爆被害を語るとはどういうことなのか

 

4. おわりに

 語られないものに目を向けることで、従来の「証言」や「原爆被害」という枠組みを再考しつつ、原爆被害という歴史的出来事を語る営みをより豊かにしていく取り組みが必要なのではないか。

 

参考文献

 NHK NEWS WEB, 2017, 「ICAN事務局長インタビュー原点は?原動力は?」 (2018年5月15日取得,https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2017_1209_interview.html).

高山真, 2016,『〈被爆者〉になる――変容する〈わたし〉のライフストーリー・インタビュー』せりか書房.

長崎県ろうあ福祉協会・全国手話通訳問題研究会長崎支部,1986,『手よ語れ――ろうあ被爆者の証言』北人社.

長崎県立聾学校,1959,『創立六十周年記念誌』.

平岡敬,1983,『無援の海峡――ヒロシマの声、被爆朝鮮人の声』影書房.