最近の中国における防空研究

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平和学会2018年度春季大会 「戦争と空爆問題」分科会

最近の中国における防空研究

                              石島 紀之(フェリス女学院大学名誉教授)

 

キーワード:国民政府の防空建設.積極防空.消極防空.中国各地の空襲と防空.

 

     はじめに

これまでの中国の防空に関する研究――重慶の防空が中心(参考文献参照)

袁成毅『抗日戦争時期国民政府対日防空研究』(中国社会科学出版社、2016年)について

 著者:1964年生.杭州師範大学教授.『中日間的戦争賠償問題』など著書6冊.

 ――国民政府の防空建設についての最初の本格的研究

 

  目 次

序 言 研究綜述

第一章 航空的軍事取向与早期的空襲・防空

第二章 中日航空発展的不同軌迹与巨大差距

第三章 中国民衆遭遇来自日本的早期空襲

第四章 国民政府対日防空計劃的制定与実施

第五章 戦前国民政府防空体系的逐歩建立

第六章 全面抗戦爆発後的空襲与中国的防空

第七章 日軍大規模“政略轟炸”与中国防空的困境

第八章 戦時中国各地的防空

第九章 中美互為戦略支持及中国防空局面的改観

結 語 国民政府的対日防空之検討

 

国民政府の防空建設についての中国における二種の見方

① 国民政府の空軍建設は紅軍の鎮圧と内戦のため.国防の準備は問題外.

② 国民政府は九一八事変(満州事変)後,国防建設を開始し,とくに空軍の発展計画と飛行機製造工場の建設の面で重要な成果をあげた.

 最近,戦前と戦時の各種の防空建設についての系統的研究が始まる.

探求すべき問題:①国民政府の戦前の防空戦略と戦争中の調整.②南京と西南地区(重慶・成都)以外の防空.③地上の防空部隊と消極防空.④日本航空部隊の戦略と実施.

本書の目的:積極防空と消極防空の両面について,国民政府の戦前と戦時の防空建設を研究し,その効果と得失を分析する.代表的な省市の防空を略述する.

 

     一 戦前の国民政府の防空建設

国民政府の防空建設は九一八事変後に始まる.

積極防空

 「空軍作戦防空計画」(1931年下半期):積極防空の開始

 主要な内容:航空隊の規模の拡大.地上防空部隊の建設.航空学校の創設.飛行機製造工場の建設.

 困難さ:飛行機の生産能力のなさ.航空人材の育成能力の不足.

 地方航空部隊の収容・改変:広東空軍・広西航空隊・福建航空隊など

 1936年の航空兵力:わずかに300余機(実践可能200余機).cf.日本 陸軍1100機(1934年),海軍1220機(1937年).

 地上防空部隊:武器装備は国外(とくにドイツ)からの輸入に依存

航空機構の調整.航空人材の育成.飛行機の製造.

 航空署(1928年8月)の航空委員会への改変(1934年5月)

 中央航空学校(1932年9月):アメリカ式の訓練方法と飛行技術の採用

 飛行機製造工場(1934年10月操業開始):アメリカとの合資.技術面での対外依存.

防空体系の確立

 防空演習:1934年11月,南京.1935年以後、東部と中部の比較的大きな都市で実施.

 防空学校(1934年1月,杭州):防空人材の育成.民衆への防空教育.作戦の指揮.

 防空教育:民衆向けの出版物.展覧会.

中央と地方の防空組織

 中央:軍事委員会防空処など.地方:防空協会.

 防護団:1936年秋に成立した基層防空組織

 防空監視隊(哨):1936年春,全国監視情報網の配備計画をたてる.10の省市に205の防空監視隊,1345の防空監視哨を設置.日本軍の前線の飛行場を監視下におく.

 防空避難施設と疎開

総括:抗戦勃発前,国民政府は逐次消極防空体系を建設.なお脆弱.地域間の不均衡.

 

     二 中日全面戦争時期の防空

(1)  戦争初期

日本の空爆作戦についての予測(1936年3月「防空作戦計画」):①中国空軍の制空権の粉砕.②陸軍の作戦への協力.③運輸を阻止し,国際援助路線を妨害.④中国の軍事・政治・経済・工業の中心を破壊.⑤猛爆により国民の戦意を喪失させる.

 主要目標:南京と上海.ついで北平と天津. 

「防空法」(1937年8月19日,立法院通過):中国史上最初の防空に関する国家法律.防空への服役と物力供給の義務を人民に課すなど.

航空作戦

 華東における国民政府軍機の積極的抗戦.損失巨大.12月,ソ連航空志願隊の支援.

地上防空:武器の不足.分散使用.

(2)  武漢陥落後

日本軍の政略爆撃に対する積極防空

 空軍の損失大のため,小規模な奇襲作戦の他,全体に守勢をとる.

 陳誠の回想:武漢陥落後から1941年末までの中国空軍の困難な状況について.

 地上防空:アメリカからの武器輸入.しかし高射砲が不足.

消極防空:防空体系の調整

 防空機構の再編:防空総監部の設置.省・県・鎮の防空機構の整備.

 「防空法施行細則」(1940年2月公布)

 防空情報網の改善.防護団の拡大.防空洞などの増設.

各地の空襲と防空

 防空の重点区域の移動:東部→中部→西南・西北→西南・東南

 [東・南部地区] 浙江:戦前の重点国防区.杭州陥落後,防空の中心は金華,ついで雲和に移動.江西:重要な戦略的位置.細菌戦の被害.空襲による死傷者が多かった省の一つ.安徽:空襲による民衆の生命財産の損失比較的大.広東:空襲の重点地区.

 [中部地区] 湖北と湖南:戦前の防空準備は東部地区と比べると不十分.上海戦と徐州終了後,日本航空隊の頻繁な襲撃を受ける.武漢陥落後、武漢は西南大後方への政略爆撃の基地となり,湖北・湖南の未陥落地区もたえず空襲を受ける.

 [西南地区] 重慶:武漢陥落後,政略爆撃の重点的対象.戦争初期,防空建設の着手は比較的遅かったが,国民政府の重慶移転後,面目一新.四川のその他の地区:成都の爆撃の強度は重慶につぐ.平坦な地勢での間接防空(疎開・消防など).貴州:軍事的価値の高さ(東南アジアとの交通の要道など)により,1938年から44年にかけて52回の空襲を受ける.広西.雲南.

 [西北地区] 甘粛:省都蘭州は中ソ国際交通上の重鎮で中ソ空軍の基地があり,蘭州とその周辺の都市は空襲の重要な目標となる.とくに1939年空襲がもっとも激しかった.陝西:戦前から防空建設開始.1937年11月から45年1月まで空襲が行なわれる.延安も17回の空襲.寧夏:1937年11月から40年月まで空襲を受ける.

(3)  戦争後期

日本の航空兵力の太平洋戦場への移動

アメリカの軍事援助

 中国空軍米国志願大隊の成立(1941年8月)

 武器援助:「武器貸与協定」(1942年6月)など

1942年,中米空軍の協同作戦

1943年,中米空軍,基本的に中国領内の制空権を掌握

1942年以後,日本軍機の空襲回数の減少.1942年828. 43年664. 44年917. 45年49.

アメリカへの空軍基地の提供とその代価

 ドゥリットル空襲(1942年4月)→浙贛戦役

 台湾の日本軍基地攻撃(1943年下半期)→豫湘桂戦役(大陸打通作戦)

 成都からのB29による日本九州爆撃

 

     おわりに

国民政府の防空建設についての評価

 国民政府の防空にかかわった二人の人物

  蔣介石:航空の国防上の意義に対する認識.航空委員会委員長・中央航空学校校長など航空関係の要職に就任.アメリカへの支援要請.

  黄鎮球:ドイツで防空を学習.防空学校校長・防空総監を歴任.消極防空を重視.民衆の組織化を提唱→防護団の創設.

 九一八後の防空建設の構築の努力

 社会経済の発展水準の低い国家に適応した防空体制:消極防空の重視

 日本軍機による空襲の損害をかなり軽減

 地域的不均衡

 対外依存性:技術・武器・戦略

 

中国空軍の戦果(典拠:何応欽『八年抗戦之経過』)

 撃墜機数:568.撃墜の可能性がある機数:27.損傷を与えた機数:63.

中国高射砲部隊の戦果(典拠:何応欽『日本侵華八年抗戦史』)

 撃墜機数:171.損傷を与えた機数:374.

日本軍機の空襲(典拠:行政院新聞局編『中国空軍』)

 空襲回数:12,144.日本軍機:24,948.投下爆弾数:213,565.

空襲による中国民衆の被害(典拠:同上)

 死亡:335,934人.負傷:426,249人.計:762,183人. 

cf. 戦時の中国人の死傷者:12,784,974人.庶民の死傷者:9,134,569人.

   (典拠:遅景徳『中国対日抗戦損失調査史述』国史館,1987年)

 

参考文献

前田哲男『戦略爆撃の思想』(朝日新聞社,1988年.新訂版,凱風社,2006年)

重慶抗戦叢書編纂委員会編『抗戦時期重慶的防空研究』(重慶出版社,1995年)

西南師範大学重慶大轟炸研究中心他『重慶大轟炸』(西南師範大学出版社,2002年)

荒井信一『空爆の歴史』(岩波新書,2008年)

戦争と空爆問題研究会『重慶爆撃とは何だったのか』(高文研,2009年)

潘洵『重慶大爆撃の研究』(岩波書店,2016年)