日本平和学会2018年度春季研究大会
「明治150年」と朝鮮の150年‐「戦争」と植民地支配の視点から
法政大学社会学部
愼蒼宇(シンチャンウ)
はじめに
今年は「明治150年」の年である。内閣官房「明治150年関連施策推進室」は、「明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」「日本は、非西洋諸国の民主化・自由化のフロントランナーであったとも言えよう」と述べ、明治以降の「立憲政治」と「産業革命」を礼賛しているが、そこに日本の帝国主義化と侵略戦争・植民地支配の歴史は一切出てこない。それだけではなく、ここ十数年のあいだに、官民双方で、日本軍「慰安婦」問題や朝鮮人強制連行、関東大震災時の朝鮮人虐殺などをめぐる歴史修正主義的言説が跋扈するようになり、それはもはや「普通」になりつつある。また、知識人のレベルにおいても、戦争責任に比べ、植民地支配責任に対する問い直しは極めて不十分であるといわざるをえない状況である。
以上の現状認識に立って、本稿では、朝鮮近現代史から見た日本の戦争観と植民地認識の問題点を浮き彫りにするため、①朝鮮から見た日本の戦争観・植民地支配観の問題点、②朝鮮をめぐる「150年戦争」という視点に立った東アジア近現代史像、③朝鮮民族運動が提起してきた日本問罪論から考える「植民地支配責任」、という三つの論点について考えてみたい。
1 朝鮮から見た日本の戦争観・植民地認識の問題
◆1 「戦後70年」における「戦争」とは?
【狭義】 1941年12月8日以降の戦争。太平洋地域だけでなくアジア地域でも戦闘。
【広義】 「15年戦争」- 1931年満州事変、1937年日中戦争の全面化も対象。
【新しい視点】 「50年戦争」-台湾・朝鮮・満州での軍事行動(19世紀以降)。
「朝鮮から見ると日本との関係はけっして15年戦争ではなく、50年戦争なのであり、その間は継続した戦時、または準戦時だったのである」(宋連玉2011)。
◆2 「50年戦争」の限界/「150年戦争」へ
・【構造的視点】:日朝関係のみ。朝鮮全体を取り巻く「戦争」として考えていない。
・【時期区分】1860年代後半~1894年、1945年~現在は?
・筆者「140年戦争」(拙稿2011)-三つの複合戦争
・著者のいう「戦争」‐「戦争」(近現代の諸戦争・軍事行動)+植民地下の「戦時」。
*前田朗「500年の植民地主義と150年の植民地主義」(前田朗2018)。
*植民地での「戦争」 二つの局面
①「治安戦」 日本軍警による民族運動への弾圧と武装抵抗。「非対称性」とジェノサイド。
② 「戦時」と「平時」の未分離な「日常生活の治安対象化」の恒常化
◆3 植民地支配責任への問い直しの不十分さ 日米韓(「親日派」)の共通分母
・戦争責任における「平和に対する罪」の植民地版としての「植民地責任」(清水2009)
「ある地域を植民地化し、植民地住民への政治支配を及ぼすことで、甚大な被害と損害を与えたことに対する責任」「独自の文化的アイデンティを持つ地域の平和的存続を阻害し、一方的に植民地化する責任」
・日本の諸論壇:個別犯罪には言及/全体の「植民地支配責任」は問わず
80年代以降、社会主義・ナショナリズム批判/潜伏する嫌韓/近代化論。
➡ 日米韓の知識人の「共通分母」?アメリカ発「日本の歴史家を支持する声明」(2015)。
‐「日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、あまりにゆがめられてきました」「元「慰安婦」問題の被害者としての苦しみがその国の民族主義的な目的のために利用されているとすれば、それは問題の国際的解決をより難しくするのみならず、被害者自身の尊厳をさらに侮辱することになります」→ 責任を日中韓の民族主義のせいにすり替え。アメリカの責任は?
・「明治100年」のイデオロギー:「松陰から栄作まで」「松陰以来の革命的伝統」
主体は「皇国史観」と「近代化論」の結合という統一戦線➡ 「明治150年」においても継続?
2 朝鮮半島をめぐる「150年戦争」
◆1 「非平和」は三つの位相で構成される
1)朝鮮支配をめぐる国際紛争(陰謀の大海としての朝鮮)
2)日本と朝鮮とのあいだの「戦争」「植民地支配」+戦後の冷戦と植民地主義の継続
3)朝鮮内の対立と「内戦」「分断」
◎朝鮮の独立・統一を求める広範な民族運動を上記三つの位相が暴力で「封じ込め」
◎「植民地支配責任」は2)に関わる問題+1)2)の責任も問う必要あり。
◆2「150年の非平和」の時代区分
〈1〉開港期から大韓帝国前期(1870前後-1904) 半植民地化の危機と抵抗/日清・日露戦争
➡ 東学農民戦争の二重革命(内政変革/反侵略戦争)/東アジア最初のジェノサイド。
〈2〉日露戦争から保護国期(1904-1910) 日本による朝鮮征服と抗日戦争/勢力圏の形成
➡ 第二次日韓協約締結以降、植民地期(1905‐1945)/二つの国権回復運動
〈3〉武断政治期(1910-1919) ポスト朝鮮征服戦争の憲兵警察・2個師団体制/第一次世界大戦とロシア革命・民族自決
➡ 中国・ロシアでの抗日運動とシベリア出兵/三・一独立運動と上海臨時政府の樹立
〈4〉文化政治期(1919-1931) ベルサイユ体制と日本/民族分裂政策/国際共産主義運動
➡ 労働者・農民・女性解放運動と左右合作運動/在日朝鮮人運動と日本共産党
〈5〉アジア・太平洋戦争期(1931‐45)侵略と戦争動員/満州抗日戦争/ファシズムと人民戦線
〈6〉 朝鮮戦争への過程と展開(1945‐53)分断国家の成立と朝鮮戦争
〈7〉「休戦」状態と南北分断の固定化 日韓基本条約と軍事独裁/冷戦の継続と日米韓軍事連携の強化/アメリカの対外戦争と韓米同盟の強化
〈8〉板門店宣言以降?
◆3 日本の植民地主義と植民地征服戦争(400年/150年/「韓国併合」まで)
① 壬辰・丁酉倭乱/薩摩藩による琉球服属(両属体制)/和人によるアイヌ民族の支配強化
② 書契問題・征韓論と江華島事件・日朝修好条規(1876)の締結
・「日本書紀」を基盤とした神国意識、天皇を「現人神」とする国体護持が明治国家の基盤。
・日朝修好条規‐「朝鮮は自主の国」(第1款)/開港・領事裁判権
「修好条規付録に付属する往復文書」‐無関税通告。日本の不平等条約よりはるかに苛酷。
・内政干渉のはじまりと壬午軍乱(1882)/福沢諭吉と急進開化派/官民一体の朝鮮排撃論
③ 朝鮮「保護国化」構想と日清戦争・甲午改革(1894‐95)
・朝鮮利益線構想(1890年山県有朋の施政方針演説):「主権線」-「利益線」。外征軍拡。
・東学農民戦争: 東学殲滅作戦/農民軍の犠牲者:3~5万人(ジェノサイド)。
・甲午改革:陸奥の朝鮮保護国化構想/井上馨:「朝鮮のエジプト化」(経済的→政治的浸透)・
④ 大韓帝国時の日本勢力扶植(1897‐1904)
・京釜鉄道敷設契約・京義建設への借款/土地集積の進行/朝鮮臨時憲兵隊の創設
⑤ 日露戦争:植民地征服のはじまり(1904‐1905)
・朝鮮の実権掌握(外交+方針) 表向きの「朝鮮独立」保全/保護国化方針/財政・外交顧問。
・兵站化・経済利権獲得‐ 日本軍駐留権、軍用地収用、鉄道敷設、電信電話線など。
・戦争労働力収奪:軍需物資輸送・鉄道敷設/役夫は奴隷労働 → 逃亡続出/請負業者。
・民衆の抵抗‐電信・電話線の破壊・列車転覆など。人夫のストライキ。米穀放売制限。
・韓国駐箚軍による民衆弾圧:「軍律」と連座制/軍事警察:ソウル/軍政:咸鏡南北道。
⑥ 韓国保護国化と植民地収奪の拡大(1905‐1907)
・土地収奪の進展(大資本・零細資本・農業移民)/鉱業権・漁業権奪取/財政借款。
・統監政治における金融・農政・モノカルチャー経済の強化(後述)/警察制度・地方制度改革
⑦ 内政の掌握/植民地戦争体制の確立(1907-1910)
・高宗の退位/第三次日韓協約/韓国軍解散 ➡ 後期義兵戦争の勃発。
・苛烈な「膺懲的討伐」軍隊派遣(1個師団半)/駐箚憲兵隊/植民地征服戦争の実態
⑧ 「韓国併合」と武断政治(1910‐1919)
3 朝鮮知識人たちの日本問罪論 植民地支配責任の所在
◆1 「植民地責任」(colonial responsibility)と「植民地犯罪」(colonial crimes)
・植民地犯罪:植民地支配の過程で行われた住民への暴力(性暴力)、虐殺、略奪、侮辱行為、強制労働徴用、奴隷化。→ 「15年戦争」だけに収まらない。甲午農民戦争(1894年)から。
◆2 いつから朝鮮人は植民地支配の不法性とその罪を告発したのか?
*イメージとしての第一次世界大戦以降 → 欧米中心の見方
・諸条約無効論:三・一独立運動期以降、「情緒」化してきた民族的主張(海野福寿2000)?
・「植民地支配責任論」は1960年代に「戦争責任」に対応させて派生(板垣2015)?
・欧米的国際法に見る自然法的な植民地主義:西欧の論理のみでは克服できない。
◆3 朝鮮における公法・公理観 帝国主義の「現実」のなかで普遍性・規範性を追求
・1870年代後半以降の開化派の公法観/「道理、仁義、信、理」を基盤とする王道的な公法観
→ 国際法の普遍主義的な側面を重視し、武力による威圧が蔓延する状況においてこそ、あえてその普遍性・規範性を追求する外交、国内法の整備が進行(趙1985)。
・開化派の兪吉濬:威圧によって応諾させた条約の承認は無効【資料1】
・高宗:「保護条約」の無効化に向けて積極的な外交を展開。ハーグ密使事件。
・鄭喬:西洋の公法は「公法の虚」、朝鮮の公法は「公法の実」(康成銀2005)。
◆4 義兵将たちの日本問罪論① 崔益鉉(1833‐1906)
〈上疏①〉 日朝修好条規締結に反対する「持斧伏闕斥和議疏」(1876.2)(『勉庵集』1巻)
*日本と国交を結ぶ弊害は5点。儒教的な「倭洋一体論」。
① 日本の武力的威嚇に屈しての条約締結による和には永続性がない
② 日本との貿易の危険で国土は荒廃する
③ キリスト教の書や天主の像の流入によって、人倫道徳が破壊される
④ 日本人が朝鮮に往来することで、朝鮮人の財産や婦人を略奪される
⑤ 夷狄(清)は人であるからつきあえるが、禽獣(日本)と付き合うのは危険である。
‐「貴国が今から、もし幡然と悔改め、厳格に洋賊との関係を絶ち、好悪と正義に明らかに質することができれば、昔のような好き交隣の国となり、ふたたび乱賊の党助とはならないだろう。しかる後に初めて貴国は我国に修好の説を講じ定めることができる」(『勉庵集』1巻:273~274頁)。
〈上疏②〉 「宣諭大員命下後陳懐待罪疏」(1896年2月25日)【資料2】
➡ 甲午改革時:「倭洋一体論」から万国公法を受容・援用した先駆的な日本問罪論へ。。
〈上疏③〉「請討五賊疏」(1905年11月25日)(『勉庵集』1巻)。【資料3】
◎再び国際法を援用した日本問罪論、条約無効論/詐欺の「独立保全」批判
〈上疏④〉「日本政府に寄せる書」(『勉庵集』3巻:417~430頁)
「東洋三国併存論」‐「天下の大勢はすでに古とは異なり、東漸の四勢は独りでおさえることはできない。必ず韓清日三国は轉車唇歯となることで東洋大局を全うすることが必要である」
➡ 日本には信を棄て義に背いてきた16の罪=「棄信背義十六罪」がある。【資料4】
「十六罪を悔改め、統監を罷収し、顧問及司令官を召還し、各国に謝罪して、我独立自主の権を侵害することがないように」→ 植民地支配責任論の原型。
◆5 日本問罪論の継承
・全羅北道義兵将李錫庸:「日本政府大官に呈す」【資料5】
➡ 責任者処罰(伊藤統監の処刑を要求)と謝罪、親日派の処断、統監府の撤退と諸条約の破棄。
・安重根の伊藤を狙った理由(尋問調書より)
閔妃殺害/第二次日韓協約(保護条約)の不利益/第三次日韓協約による韓国軍解散/韓国皇帝の廃位/韓国の良民を虐殺/韓国の諸権利を奪った(外交権、行政・司法他)/朝鮮の学校の教科書を焼却/新聞規制/金融支配/土地簒奪/東洋平和を撹乱/韓国民の憤慨/韓国に不利な施設を設置/他国には韓国は無事と欺いている。
◆6 三一独立運動と日本・列強問責論
*1 パリ平和会議:「臨時政府・韓国独立承認請願書」(1919年):韓国併合条約の永久的廃止。
①この条約が詐欺と暴力によって締結された、
②傀儡である朝鮮皇帝(当時の純宗皇帝のこと)に併合条約締結の権限はない、
③それ以前の朝日間の諸条約および諸列強との条約にあった朝鮮の主権および領土保全の規定を日本は侵し国際公法そのものを侵害している、
④日本は連合国の一員としてウィルソンの「十四ヶ条」を実行する約束があり、講和会議も韓国併合条約の廃棄を宣言する責任がある、
⑤ ポーランドの復活、フランスへのアルザス・ローレンの回復がなされるのだから、朝鮮民族が国権回復の権利を要求する十分な根拠がある(海野2000)。
*2「二・八独立宣言」
「アメリカ、イギリスは保護と合併に対して率先して承認したという理由によって、今日その旧悪を贖う義務がある」➡ 「韓国併合」を認めた米英を厳しく断罪。
*3「三・一独立宣言書」【資料6】道義が貫徹する時代(「公法」=「実」の時代)
*4 上海臨時政府の立場 朴殷植の日本・列強問責論(「韓国独立運動之血史」)【資料7】
まとめ 東アジアの「平和」を構想するために
◆1 「戦後70年」=平和論には立てない
・朝鮮戦争への加担/戦後日本とアメリカ、朝鮮半島/1965年日韓基本条約とベトナム戦争
→ 個人補償、真相究明、責任者処罰など多くの問題。
・朝鮮民主主義人民共和国(「共和国」)とは国交を正常化していない。
・日本は朝鮮半島情勢が危機になるたびに官民一体で、「朝鮮有事」という「例外状況」を演出しては「有事対応」の国家主義体制・日米安保体制を強化する循環。朝鮮学校の「無償化」排除。
◆2 「150年戦争」の解決へ
・「朝鮮半島の平和と繁栄、統一に向けた板門店宣言」(2018年4月27日)
停戦協定の平和協定への転換/南北米3者または南北米中4者協議
共同繁栄と自主統一の未来「わが民族の運命は自ら決定するという民族自主の原則を確認」
➡ 革命と民族独立+統一国家樹立運動:上記の三層が抑圧+封じ込めてきた150年の近現代史。
◎「150年戦争」:当事者である三者(日本/アメリカ/韓国支配層)は連携をしながら、植民地支配の責任や「親日派」の処罰、朝鮮半島の恒久平和と統一を求める「下から」の動きやその政治への反映を抑圧し続け、「共和国」の脅威を口実に、「戦争」の構えを維持してきた。
◆3 植民地支配責任を果たすとは
・当初から問われていた日本の罪・責任の所在
責任者処罰:伊藤統監の処罰(罷免・処刑)/協力した朝鮮人大臣の処罰(処刑)
諸権利・主権回復:日本人官吏の召還、各種利権の返還/虐待した人民への損害賠償
◎朝鮮の民族運動指導者たちは、楽観的に世界に訴えが通じるとしていたわけでもなく、それでも公法を「虚」にしている「強権の世界」に向かって、強く日本の公法違反の罪とその責任の所在を厳格に命がけで提起し、世界を「道理の世界」に戻すため、公論を喚起しようとした。
◎参考文献
- 清水正義(2009)「戦争責任と植民地責任もしくは戦争犯罪と植民地犯罪」(永原陽子編『「植民地責任」論』青木書店。
- 宋連玉(2001)「公娼制度から「慰安婦」制度への歴史的展開」(金富子・宋連玉責任編集『「慰安婦」戦時性暴力の実態〔1〕日本・台湾・朝鮮編』緑風出版。
- -(2011.10)「「慰安婦」・公娼の境界と帝国の企み」(『立命館言語文化研究』23-2)。
- 姜徳相(2010.3)「繰り返された朝鮮の抵抗と日本軍の弾圧・虐殺」『前衛』。
- -(2014.6)「一国史を超えて‐関東大震災における朝鮮人虐殺研究の50年」『大原社会問題研究所雑誌』668号。
- 前田朗(2018)「私たちはなぜ植民地主義者になったのか」(前田朗・木村朗共編『ヘイトクライムと植民地主義』三一書房)。
- 拙稿(2008)『植民地朝鮮の警察と民衆世界』有志舎。
- -(2011)「「140年戦争」の視座から」(国立歴史民俗博物館編『「韓国併合」100年を問う‐2010年国際シンポジウム』岩波書店)。
- ‐(2011)「植民地戦争としての義兵戦争」『岩波講座 東アジア近現代通史2‐日露戦争と韓国併合』岩波書店。
- -(2013a)「崔益鉉」(『東アジアの知識人①』(有志舎、2013年)。
- -(2015.12)「朝鮮から見た日本の戦争観・植民地認識の問題-朝鮮の「150年の非平和」と植民地支配責任論の源流」『人権と生活』41号。
- -(2013b)「朝鮮の義兵将」(『東アジアの知識人②』(有志舎、2013年)。
- 永原陽子(2011)「植民地体制の国際化と「植民地責任」」歴史学研究会編『「韓国併合」100年と日本の歴史学』青木書店。
- 梶村秀樹(1993)『梶村秀樹著作集2 朝鮮史の方法』明石書店。
- 朴宗根(1982)『日清戦争と朝鮮』青木書店。
- 長田彰文(2013)『世界史の中の近代日韓関係』慶應義塾大学出版会。
- 趙景達(1985)「朝鮮における大国主義と小国主義の相克-初期開化派の思想」『朝鮮史研究会論文集』22)。
- 康成銀(2005)『1905年韓国保護条約と植民地支配責任‐歴史学と国際法学との対話』創史社。
- 吉野誠(1975.12)「朝鮮開国後の穀物輸出について」(『朝鮮史研究会論文集』12)。
- -(1979.12)「李朝末期における米穀輸出の展開と防穀令」(『朝鮮史研究会論文集』15)。
- -(1979)「李朝末期における綿製品輸入の展開」(旗田巍先生古希記念会編『朝鮮歴史論集』下、龍渓書舎)。
- 海野福寿(2000)『韓国併合史の研究』岩波書店。
- 旗田巍(1969)『日本人の朝鮮観』勁草書房。
- 山内弘一(2013)「朴珪壽‐「実学」から「開化」へ」(『講座 東アジアの知識人①文明と伝統社会』有志舎)。
- 板垣竜太(2015.8)「植民地支配責任論の系譜について」『歴史評論』784。
- 大沼久夫編(2006)『朝鮮戦争と日本』新幹社。
- 「特集:〈明治百年祭〉批判」『歴史学研究』330、1967年11月。
◎資料編
【資料1】
「大国も一国であり、小国も一国である。国の上に国がなく、国の下にも国がまた無い。一国の国たる権利は彼此が同等であって、少しも差が生じない。そのため、諸国が友好的で平和であるという意味で、均等な礼を用いて条約を互換し、使節団を派遣することで、強弱の分別を立てず、その権利をたがいに守って侵犯することを敢えてしなかった」(兪吉濬全書編纂委員会編『兪吉濬全書Ⅰ 西游見聞(全)』一潮閣、1971年、108頁)「強大国が自分の十分な力関係をほしいままにして弱小国の適切な権利を侵奪するのは、不義の暴挙であり、道に外れた悪習であるために、公法の許さないものである」(同書、111頁)「かりに弱小国が、強大国の道理にもとる威嚇と乱暴な強迫によって、自国をすすんで保持する方法として、かつてなかった属国の体制を一時自認することがあっても、これによって、長い間堅持してきた権利が失われることはない。威嚇と逼迫の下では、自ら進んで肯定的に承認することはできず、またそのような承認は合法的な措置ではないために、百度の承認を脅迫の下でしても、一条の公法によってそれは抹消されるのである」(同上、113頁)
【資料2】
「臣の聞くところ、各国が友好関係を結ぶ、いわゆる公法というものもあり、さらに条約というものもあります。臣は未だにこの公法、この条約に、はたして隣国の逆賊を助けて、君主を脅かし、国母を殺してよいという文字があるのかを知りません。このような理は絶対ないでしょう。もしそうでないのであれば、そのような法や条約というものは、いかなる文字を用いるべきでしょうか。すでに公法は樹立され、条約は設けられています。そうであるならば、倭の罪を数えて諸各国に伝え、問罪の帥を起こし、憤嫉の大義をともにするべきではないでしょうか。しかし、そうではなく、今我が国はすでに倭を恐れて敢えて口を開かず、各国もまたそれを当然のように見ています」(華西学会/勉庵学会編『勉庵集』1、青陽郡、2006年、301~303頁:下線は引用者。以下、『勉庵集』〇と略記)。
【資料3】
「盟約を破壊することを得意とし、同文書の大義を念じず、各国の公論をも顧みずに、専ら他国への侵略を恣ままに行うことを憚るところがありません」「あの馬関(下関)条約・日俄宣戦書以来、我が国の独立及領土を保全すると云うことが何度もありましたが、それは我国の利益を占奪することでした。また、韓日両国の交誼をさらに密であると常に称することも何度かありましたが、その欺詐・侮弄は測りがたいものがあります」「契約の書は、幸にも陛下の準許・参政の認可が出ていなければ、彼(日本)の持つ所のものは諸賊勒調の虚約に過ぎません」(『勉庵集』Ⅰ、436頁)。
【資料4】:原資料は長文につき、旗田巍氏の要約を引用
1、1884年竹添進一郎はわが皇上(高宗)を強制して移し、宰相を殺した、
2、1894年大島圭介は宮闕を焼き、財物を奪い、典章をこわした、
3、三浦悟楼は母后(閔妃)を殺した、
4.林権助・長谷川好道は鉄道を敷き、各種利権を奪った、
5、軍事上と称して土地を取り、人民を虐げた、
6、日露戦争後も鉄道・土地を占領、軍律を施行している、
7、韓日議定書をつくり、わが国権を衰えさせた、
8、国王へ疏陳する愛国の士をとらえ殺し、忠言をおさえた、
9、東学土匪の末流を一進会と名付け手先として利用し、儒者の団体を弾圧した、
10、役夫を徴集して虐使し、愚民を集めてメキシコに売った、
11、電信・電話の通信機関を奪った、
12、各部の顧問官をいれ、財政を支配、軍人・警官を削減した、
13、借款を強制し、貨幣制度を改悪し、わが財富を取り上げた、
14、伊藤博文・林権助・長谷川好道等は兵を率いて宮中に入り、政府を脅迫して条約を調印、わが外交を奪い、統監をおき、我が国の独立・自主の権を喪失させた、
15、はじめは外交の監督といいながら、ついに一国の政事を支配した、
16、移民条令をつくり人種をかえる悪計を行った(旗田巍1969:290~291頁)。
【資料5】
「今日の計をなしとげるには、日本の権臣が互いに議論して、急ぎ統監による権力の濫用をやめ、斬伐をみだりにおこなう悪しき兵卒を収還し、官員を招戻し、乙巳勒約の書を焚き、我国母の賊を誅殺し、伊藤の首を凾に入れて、以て我が国に謝罪すれば、即ち我々も亦義挙の矛を納め、軍隊に号令をして、五逆七賊を斬り、之の罪を謝罪するものである」『韓末義兵戦争資料集‐暴徒檄文』韓国精神文化研究院、ソウル、2000年。
【資料6】 三一独立宣言書
われらはここにわが朝鮮国が独立国であること、および朝鮮人が自由民であることを宣言する。これをもって世界万邦に告げ、人類平等の大義を克明し、これをもって子孫万代におしえ、民族自存の正当なる権利を永遠に有せしむるものである。半万年の歴史の権利によってこれを宣言し、二千万民衆の忠誠を合わせてこれを明らかにし、民族の恒久一筋の自由の発展のためにこれを主張し、人類の良心の発露に基づいた世界改造の大機運に順応し、並進させるためにこれを提起するものである。これは天の明命、時代の大勢、全人類の共存同生の権利の正当な発動である。天下の何ものといえどもこれを抑制することはできない。旧時代の遺物である侵略主義、強権主義の犠牲となって、有史以来千年をかさね、はじめて異民族による箝制の痛苦を嘗めてからここに一〇年が過ぎた。かれらはわが生存の権利をどれほど剥奪したであろうか。精神上の発展にどれほど障礙となったであろうか。民族の尊厳と栄光をどれほど毀損したであろうか。新鋭と独創によって世界文化の大潮流に寄与、補裨できる機縁をわれらはどれほど遺失したであろうか。
(中略)丙子修好条規以来、種々の金石の盟約をいつわったとして、日本の信のないことをとがめようとするものではない。学者は講壇で、政治家は実際において、わが祖宗の世業を植民地的なものとみなし、わが文化民族を野蛮人なみに遇し、もっぱら征服者の快楽を貪っている。わが久遠の社会の基盤と卓越した民族の心理とを無視するものとして、日本の少義を責めんとするものではない。自己を策励するのに急なわれわれには、他人を怨みとがめる暇はない。現在を綢繆するのに急なわれわれには、宿昔を懲辨する暇はない。今日われわれがなさなければならないことは、ただ自己の建設だけである。決して他を破壊するものではない。厳粛な良心の命令によって自家の新運命を開拓しようとするものである。決して旧怨および一時的な感情によって他を嫉遂、排斥するものではない。旧思想、旧勢力に束縛され日本の為政者の功名心の犠牲となっている、不自然でまた不合理な錯誤状態を改善、匡正して、自然でまた合理的な正経の大原に帰そうとするものである。当初から民族的要求としてだされたものではない両国併合の結果が、畢竟、姑息的威圧と差別的不平等と統計数字上の虚飾のもとで、利害相反する両民族間に永遠に和合することのできない怨恨の溝を、ますます深くさせている今日までの実績を見よ。勇明、果敢をもって旧来の誤りを正し、真正なる理解と同情とを基本とする友好の新局面を打開することが、彼我の間の禍いを遠ざけ、祝福をもたらす捷径であることを明知すべきではないか。憤りを含み恨みを抱いている二千万の民を、威力をもって拘束することは、ただに東洋永遠の平和を保障するゆえんでないだけでなく、これによって、東洋安危の主軸である四億の中国人民の日本に対する危懼と猜疑とをますます濃厚にさせ、その結果として東洋全局の共倒れ、同時に滅亡の悲運を招くであろうことは明らかである。今日わが朝鮮の独立は朝鮮人をして正当なる生活の繁栄を遂げさせると同時に、日本をして邪道より出でて東洋の支持者としての重責を全うさせるものであり、中国をして夢寐にも忘れえない不安や恐怖から脱出させるものである。また東洋の平和を重要な一部とする世界の平和、人類の幸福に必要なる階梯となさしめるものである。これがどうして区々とした感情の問題であろうか。
ああ、新天地は眼前に展開せられた。威力の時代は去り道義の時代がきた。過去の全世紀にわたって練磨され、長く養われてきた人道的精神は、まさに新文明の曙光を人類の歴史に投射しはじめた。新春は世界にめぐりきて、万物の回蘇をうながしつつある。速氷、寒雪に呼吸を閉蟄していたのが一時の勢いであるとすれば、和風、暖陽に気脈を振いのばすこともまた一時の勢いである。天地の復運に際し、世界の変潮に乗じたわれわれは何らの躊躇もなく、何らの忌憚することもない。わが固有の自由権を護り、旺盛に生きる楽しみを享けられるよう、わが自足の独創力を発揮して春風に満ちた大界に民族的精華を結紐すべきである。
(最後の部分は省略)
(朝鮮憲兵隊司令部編『朝鮮三・一独立騒擾事件』巌南堂書店、復刻、1969年)5~9頁。
【資料7】
「日本は、国際法上の確固とした条約としてしばしば世界に公約したものを、みずから破棄し、詐欺による盗国の野心を逞しくし、わが二千万の民意をふみにじって少しもかえりみず、世界公理公法の結局はけっして滅びないことをひとり信ぜず、その国際的地位は、まさに孤立の地位に陥っているのである」(白巖朴殷植先生全集編集委員会編『白巖朴殷植全集』2巻、2002年、93頁。以下、『全集』と略記)。
「しかし、この世界に果して公理があるのであろうか。もしあるとすれば、どうしてかの残忍極悪の野蛮な種族を容認しているのであろうか。かの野蛮人が人類社会をほしいままに跳梁しているのに、どうして膺懲がないであろうか」(『全集』、208頁)。