日韓国交正常化交渉をめぐる植民地責任論の現況

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日本平和学会2018年度春季研究大会

報告レジュメ

 

日韓国交正常化交渉をめぐる植民地責任論の現況

 

新潟国際情報大学

吉澤文寿

 

キーワード:日韓国交正常化、日朝国交正常化、請求権、植民地責任、積極的平和

 

1.はじめに

 2005年以降、韓国および日本で10万枚以上の日韓国交正常化交渉(日韓会談)に関する外交記録が公開、整理されたことにより、浅野豊美ら(2011)、木宮正史ら(2015)などの研究成果が発表され、近年も金恩貞(2018)、朴敬珉(2018)などの若手研究者が精力的にこの交渉を研究している。その一方で、高崎宗司、太田修、吉澤文寿らがこの交渉の研究で目指してきた、日本の朝鮮植民地支配に対する責任についての議論はやや立ち後れている。注目すべき研究成果を整理し、今後を展望する議論が欠落している。この報告ではそのような基礎作業を引き受けたい。

また、吉田裕(2018)らが指摘するように、日本の戦争体験世代が全人口の1割となる状況で、植民地責任論をどのように開いていくのかという方法論を鍛える必要もある。この報告では「積極的平和」(Positive Peace)をキーワードに、そのような要請に応える議論を目指したい。

 

2.日韓国交正常化交渉研究の現況

(1)日本

 言うまでもなく、植民地責任の当事者は日本である。日韓会談の交渉過程における論点の一つは、1950年代の「相互放棄」方式から1960年代の「経済協力」方式への移行に対する理解である。太田修(2015)は日韓請求権協定が「相互放棄」に「経済協力」を積み上げた処理方案であると論じた。金恩貞(2018)はさらに外務省が大蔵省などの他省庁との協議を通して上記の方式を確定させたのであり、決して1960年代になって政治家がそれまでの過程を断ち切って妥結させたのではないと論じた。また、太田は「経済協力」方式の土台に植民地支配正当論があり、世界史的にみて、日本の植民地支配認識は他の旧植民地帝国との共犯関係が見られると論じた。

 吉澤文寿(2012、2014、2015)は上記の論点のほかに、1965年4~6月の条文化過程を考察し、日本側が韓国側のすべての請求権が主張できなくなるような条文を目指したことを明らかにした。ただし、日本側はとくに在朝日本人財産の補償問題を抱えていたため、外交保護権のみを処理し、国内の個人請求権もあいまいにしようとした。

 これらの議論に関連して、請求権問題でまとまった論集となった吉澤文寿(2016)や日韓会談が韓国の「政治的請求権」を封印するものであったとする浅野豊美(2015)らの議論を紹介し、考察する。

 

(2)韓国

 近年の韓国における研究のうち、韓国政府が日本の植民地支配に対する責任を十分追及できなかったことや、日韓国交正常化後の国内補償に不備があったことなどを指摘する論考が注目される。張博珍(2014)は韓国政府が『対日賠償要求調書』の作成から日韓会談における姿勢を詳細に検証し、とくに一つ一つの請求項目に対する準備が不足しており、請求内容の内実を十分把握していなかったことなどを指摘した。このような韓国政府の交渉姿勢は日本側の態度とともに、今日の韓国人の個人補償が未解決となっている要因であるというのである。

 また、日韓国交正常化以後の韓国政府による民間請求権補償については、吉澤文寿(2015)、金丞垠(2016)がある。これらの研究により、韓国政府(朴正熙政権)が日本からの無償経済協力3億ドルが賠償的性格を持つと説明しながら、財産被害補償と被徴用死亡者への弔慰金支給のみに限定し、それ自体も不十分であったことが明らかになった。このような「国民全体の利益」として経済開発を優先させた、韓国政府の「責任」論も深まりつつある。

 

(3)米国

 米国の日韓会談研究は、Chong-Sik, Lee (1985)はその古典的な著作である。その後、Victor D. Cha(1996), Tae-Ryong Yoon(2008)らをはじめ、多くの研究が発表されてきた。それらの研究の特徴は次の二点である。第一に日韓交渉妥結前の交渉過程に注目していることである。これは、これらの研究の多くが英文資料を利用し、とくに米国の交渉への介入に焦点を当てているためである。第二に、歴史認識に関心を持つ研究は国民意識やナショナリズムに重点を置いている。そのため、植民地責任の問題もしばしば日韓両国の国民感情の「和解」が焦点となる。

 これらの研究の多くは英文資料に依存しており、とくに先述した日韓両国で開示された外交文書はほとんど参照されていない。もっとも、日韓両国においても、これらの資料が英語圏で活用するような情報発信が十分になされているとは言えない。第二に、植民地責任問題の核心である、加害-被害関係がしばしば見えにくくなっていることである。現在も強制労働や日本軍「慰安婦」の被害者がいるにもかかわらず、いわゆる「歴史問題」が被害者の人権よりも集団的記憶や政治・外交の問題として議論されがちである。もっとも、このような傾向は日韓両国における研究にもしばしば見られることである。

 日韓会談研究とは言い難いが、米国の日韓関係に対する責任を論じたものとして、Alexis, Dudden(2008)がある。Duddenは米国がしばしば日本よりに日韓関係に介入することによって、韓国が犠牲になってきたこと、朝鮮分断や原爆投下に対する米国の責任を十分自覚していないことなどを批判した。前述した太田の「共犯関係」論、そして原貴美恵(2015)が提起するサンフランシスコ体制論も日韓会談の土台として重要である。植民地責任論の観点から、日韓会談における米国の役割が論じられるのは今後の課題であろう。

 

3.植民地責任論をどのように開くか~「積極的平和」をキーワードに

 現在までくすぶる植民地責任論は、しばしば「歴史認識問題」として論じられながら拡散している。とくに2012年5月の韓国大法院判決、2015年の明治日本の産業革命遺産のユネスコ登録、日韓「慰安婦」合意などにより、「徴用工」や「慰安婦」らの被害者に関わる政治的な議論に限定されがちである。また、植民地支配終了から70年以上経過し、冒頭で述べたように、多くの人々が戦争や植民地支配を直接体験しない世代となった。

 もちろん、Jeff Kingston(2017)が論じるように、1945年以前の日本を美化する日本の保守政権が日本世論を「検閲」している現状もけっして無視することはできない。しかし、ここでは、Jennifer Lind(2008)が語るように、ドイツが曲がりなりにも誠実に過去を反省する姿勢を示したことで、統一や再軍備が国際社会に受け入れられたことを想起したい。これに対し、日本はそのようなプロセスに失敗し、日朝国交正常化も実現できないまま、近隣諸国から警戒の眼差しが注がれる集団的自衛権の行使ができる国を目指している。

 報告者は現在まで鍛えてきた植民地責任論を開くために、「移行期正義」、そして「積極的平和」の考えで補強すべきであると考えている。日本の国際的評価自体は決して低くない。しかし、日本が「広報外交」の次元で植民地責任問題をかわそうとしている限り、事態の進展は望めないだろう。植民地責任に向き合うことはこれからの私たちが向かう道筋を示すことであることを示す議論が求められているのではないだろうか。

 

浅野豊美、木宮正史、李鍾元編著(2011)『歴史としての日韓国交正常化(全2巻)』法政大学出版局

浅野豊美(2015)「民主化の代償―『国民感情』の衝突・封印・解除の軌跡」(木宮正史・李元徳編著『日韓関係史1965-2015 Ⅰ 政治』東京大学出版会)

太田修(2015)「日韓財産請求権『経済協力』構想の再考」『歴史学研究』第937号

木宮正史・李元徳ほか編著(2015)『日韓関係史1965-2015(全3巻)』東京大学出版会

金恩貞(2018)『日韓国交正常化交渉の政治史』千倉書房

金丞垠(2016)「韓日協定締結50年、改めて『対日請求権』を論ずる」吉澤文寿編『五〇年目の日韓つながり直し 日韓請求権協定から考える』社会評論社

朴敬珉(2018)『朝鮮引揚げと日韓国交正常化交渉への道』、慶應義塾大学出版会

原貴美恵(2015)「継続するサンフランシスコ体制―政治・安全保障・領土」成田龍一・吉田裕編『記憶と認識のなかのアジア・太平洋戦争(岩波講座アジア・太平洋戦争戦後篇)』岩波書店

吉澤文寿(2012)「日韓請求権協定と戦後補償問題の現在 第2条条文化過程の検証を通して」日本平和学会編『体制移行期の人権回復と正義〔平和研究第38号〕』、早稲田大学出版部

吉澤文寿(2014)「日韓会談における請求権交渉の再検討―日本政府における議論を中心として―」『歴史学研究』第920号

吉澤文寿(2015)『日韓会談1965 戦後日韓関係の原点を検証する』高文研

吉澤文寿(2015)「朴正熙政権期における対日民間請求権補償をめぐる国会論議」『現代韓国朝鮮研究』第15号

吉澤文寿編(2016)『五〇年目の日韓つながり直し 日韓請求権協定から考える』社会評論社

吉田裕(2018)「兵士の視点、実相を通して日本の戦争を考える―『日本軍兵士』で言いたかったこと」『前衛』第960号

장박진〔張博珍〕(2014)『미완의 청산  한일회담 청구권 교섭의 세부 과정 〔未完の清算 韓日会談請求権交渉の細部過程〕』역사공간〔歴史空間〕

Victor D. Cha (1996) Bridging the Gap: The Strategic Context of the 1965 Korea – Japan Normalization Treaty. Korean Studies. Vol. 20, pp.123-160

Victor D. Cha (1999) “Alignment Despite Antagonism, The United States-Korea-Japan Security Triangle”, Stanford University Press

Alexis Dudden (2008) “Troubled Apologies, Among Japan, Korea, and the United States”, Columbia University Press

Jeff Kingston ed. (2017) “Press Freedom in Contemporary Japan”, Routledge

Chong-Sik, Lee (1985) “Japan and Korea: The Political Dimension”, Hoover Institution Press

Jennifer Lind (2008) “Sorry States, Apologies in International Politics”, Cornell University Press

Tae-Ryong Yoon (2008) Learning to cooperate not to cooperate: Bargaining for the 1965 Korea-Japan normalization, Asian Perspective, Vol.32, No. 2, pp.59-91