日本における脱原発運動 -311前後の福島県浜通りの脱原発運動の現状と課題-

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日本平和学会2018年度春季研究大会

報告レジュメ

日本における脱原発運動

-311前後の福島県浜通りの脱原発運動の現状と課題-

Japan Perspective News(ジャーナリスト)

藍原寛子

 

キーワード:東日本大震災 東京電力福島第一原発 市民運動 草の根 浪江・小高原発 復興 脱被曝

 

はじめに

 福島県内における2011年東京電力福島第一原発事故前後の脱原発市民運動の流れと、今後の展望を報告する。震災以前から福島県浜通りの原発立地地域を中心に、農民や生活者、労働者を軸に脱原発運動(原発施設の危険性の指摘とガバナンスの欠落や原発推進政策の問題点を指摘して脱原発政策を進める市民運動)が続いてきた。震災後は放射能汚染に伴い、一人ひとりの生活者の権利回復運動としての脱被曝運動、食品・土壌測定活動、避難、賠償・訴訟という新しい流れが加わり、被害者が被った損失を立体的に描き出す動きとなっている。しかし同時に、政府や東京電力など原発推進企業、浜通りの自治体等を中心に、莫大な復興予算を使った除染や中間貯蔵施設建設、福島第一原発視察ツアー推進などの被曝による健康搾取と、原子力関連研究施設、軍事産業と密接に結びついた新規産業振興事業(ロボットやドローン)が展開されるなど、被災地を新たな国策拠点のシンボルとする巨大なシステム構築も進んでいる。世界でも類を見ない過酷原発事故後の福島で起きている脱原発の抵抗運動と、それに対する推進側の攻勢を、市民の草の根運動の視点で見ていく。

 

1. 福島県内の脱原発運動―戦後冷戦期から311後

 福島県は首都圏から約250キロ、東北の最南部に位置し、近代以降も常磐炭礦、只見川電源開発や尾瀬や猪苗代湖の水力など、首都圏にエネルギーを供給してきた。常磐炭礦の閉山というエネルギー転換の中でも、余剰労働力を狙った原子力発電所建設・稼働によりエネルギー生産地としての地政的な位置付けは変わらなかった。

 筆者は福島県内の脱原発運動を転換期ごとに以下の5期に分類した。それぞれの時期の脱原発運動の流れは以下のようになっている。

① 1945年太平洋戦争敗戦後~冷戦期~1971年東京電力福島第一原発建設・稼働期

・知事佐藤善一郎から「道路知事」木村守江、木村1967年日米知事会議団長として訪米、5か所の原発・関連施設等視察「東北のチベットを原発で発展させる」

・軍飛行場払い下げを受けた堤から元軍事飛行場跡(元塩田)を福一用地として買収。海岸段丘を大きく削り平場確保

・地元にはほとんど建設計画を知らされない中で地権者からの土地買収(福島県土地公社が東電代行請負で地権者から買収)

 

② 1970年~1985年 東京電力福島第二原発建設期から79年TMI事故、82年福二稼働期へ

・労働問題、学生運動含め、男性が中心(農民、漁民、退職教員、労組、地権者、自営業者ら)

・1970~労働者の健康被害と脱原発 石丸小四郎(福一の立地町・富岡町で40年以上反原発運動。1970年代、被曝で死亡する作業員が急増。旧社会党とともに相談に乗ってきた流れで、反原発運動へ。ミニコミ紙『脱原発情報』発行し情報発信、元郵便局員)、岩本忠夫(旧社会党・双葉町長、のち原発推進に転向)ら

・1974年電源三法交付金

・福島県内の学生運動-佐藤和良(磐城高校新聞部長で、ただ一人の退学=のち脱原発福島ネット共同代表、いわき市議)

・1979年TMI事故―放射能汚染の現実味、地元住民中心の福島第二原発設置許可取り消し訴訟

 

③ 1986年~2000年 チェルノブイリ事故、東北電力小高浪江原発建設計画、福島第一原発7、8号機増設計画

・測定や避難予行演習など事故想定した活動、女性中心の草の根運動体、芸術やイベントと連動

・棚塩反対同盟・舛倉隆ら(棚塩地区全戸加盟反対運動) 共有地持ち分権訴訟(トラスト運動)勝訴 舛倉隆(農民)

・県内外の脱原発グループと反対同盟共同での勉強会活発に(91年頃~)

・86年「原発いらない郡山風の会」武藤類子、「原発いらないいわき市民の集い」など、小さな市民グループ発足

・演劇「風が吹くとき」、原発爆発と風向きと避難方向のシュミレーション勉強会

・R-Danネットワークによる全国の原発立地地域と連携した測定ネットワーク

・88年「脱原発福島ネットワーク」発足、91年7月から会報『アサツユ』、東電との定期交渉(現在も)

・“反原発ヒッピーコミューン”「獏原人村(ばくげんじんむら)」(双葉郡川内村)ジャンベ、手作り演奏会

・91年12月双葉町町長岩本忠夫らが福島第一原発7,8号機増設要望

・常磐炭礦塵肺訴訟終結、原告らとの連携(労働者の被曝問題)

 

④ 2001年~2010年 福島県が脱原発転向で東電の攻勢激化

・知事・佐藤栄佐久設置の福島県エネルギー政策検討会(2000年6月~2010年知事佐藤雄平)

・事故隠し、MOX燃料装荷、キャスクひび割れ―老朽化問題と原発事故-佐藤栄佐久(のち汚職逮捕・有罪確定)

・ストップ・プルトニウム・キャンペーン 林加奈子ら

・県内全原発停止

・東電ら事業者からの逆襲(カネ、ハコモノばらまき)Jヴィレッジ、ビッグアイ、ふくしま国体関連施設、会津風雅堂建設、浪江小高原発土地買収猛攻、東電がフリースタイル猪苗代大会や県庁建設費用支出

 

⑤ 2011年 東京電力福島第一原発事故後

・福島県知事、県議会全会一致で福島県内原発全機廃炉決議

・福島県、県内の電気使用量同量を再生可能エネルギーで賄う再エネ推進政策決定・政府のFIT法

→民間企業の再エネ事業参入加速(会津電力・佐藤 彌右衛門ら)

・賠償訴訟(福島生業訴訟など、損失を生業と捉える権利回復運動)

・脱原発福島ネットワークのメンバーら東電幹部らを刑事告訴→検察審査会強制起訴決定で公判中

・インターネット、クラウド、SNSを使った情報送受信や募金活動

・脱被ばく運動(国内外避難支援、脱被ばく子ども裁判)

・測定活動(土壌や農畜産物、水、身体の被ばく防護、「ふくしま30年プロジェクト」「いわき放射能市民測定室たらちね」など)

・「世界に誇れる平和憲法」「平和憲法は宝」など草の根看板トラスト

・母親を中心にした新グループ「モニタリングポストの継続求める市民の会」、「放射能ゴミ焼却処分を考えるふくしま連絡会」、IAEAを考える「フクシマ・アクション・プロジェクト」、「沈黙のアピール」、「東電交渉」、健康問題「311甲状腺がん家族の会」

・ミニコミ、チラシ、講演会・勉強会、アーカイブ活動、デモ;官邸前、首都圏デモ、サウンドデモ

 

 

2. 原発事故後の脱原発運動の特徴

 2011年3月11日の福島第一原発事故後、福島県内では、脱原発推進の流れが加速している。「福島県内における市民レベルでの脱原発」とは、「被害の原体験から、原発事故を二度と起こさないために脱原発を進める活動」とし、被災地・福島県内で見られる脱原発の動きの実態と照らして、その範囲を広く捉えた。

 具体的には、日常生活における安全・安心を求める人権運動・権利獲得運動(避難者住宅確保、移動高速料金無償化、食品等測定・モニタリング・除染、脱被ばく運動<避難、放射能汚染廃棄物処分問題、放射能汚染測定活動、健診・甲状腺検査>)や、実際の被害の回復・救済(裁判、ADR・原子力損害賠償紛争解決センター等<福島生業訴訟、元の生活をかえせ・原発事故被害いわき訴訟などの損害賠償訴訟(民事)>、東電幹部の責任を問う告訴・刑事裁判)、法律・条令・制度等、行政政策への批判的なアプローチ(事故後の福島原発や福島県の政策へのIAEAの介入を阻止する活動「フクシマ・アクション・プロジェクト」や、「原発いらない福島の女性たち」「大熊町の未来を考える女性の会」「きびたきの会」等)、民間企業や地域住民らによる地域での再生可能エネルギー事業などがある。

 これらの活動の特徴は、①地域分散型 ②各団体やグループの緩やかなネットワーク ③地域内外・海外の避難者、被ばく者、支援者との連携、情報交換 ④女性(母親)参加 ⑤SNSやインターネットの活用で拡大した情報圏を持つ ⑥国や行政に先立って市民が率先して実践し、政策にインパクトを与える―などが挙げられる。活動を決める手段としては、震災後で住民が広域的に避難した経緯もあり、SNSやメール、口コミ、チラシなどで周知された学習会や集会、避難者の仮設住宅や集会場で盛んにおこなわれた「お茶飲み会」などが中心になっている。

 

 

3. 福島県の脱原発と復興政策

 福島県は、東京電力福島第一原発事故から5か月後の2011年8月、民間有識者を交えた検討会で「福島県復興ビジョン」を策定。「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」とし、「脱原発」と「再生可能エネルギーの推進」(県内で消費されるエネルギー分を再生可能エネルギーで100%賄う目標を打ち出し、全国有数の再生可能エネルギー地域を目指す)を盛り込んだ。背景には、県庁をはじめとする市町村役場に連日のように住民から原発を推進してきたことへの抗議やデモ、電話等での問い合わせが続いたことも影響している。脱原発を盛り込んだ内容は当時、既存メディアでも好意的にとらえられた。

 これを受けて福島県議会は2011年10月(県議選1か月前)、全会一致で「全原発廃炉」の請願を採択。当時の知事・佐藤雄平も同年11月、県内全10基廃炉を表明し、一気に廃炉が進むかに見えたが、与党自民党本部が「原発再稼働」方針を堅持したため、地方組織の自民党福島県連の態度はしりすぼみとなり、廃炉も「福島ローカル」に止まる可能性が強い(2013年12月までに東京電力は福島第一原発1~6号機廃炉を決定したが、福島第二原発の廃炉は明言していない)。

 しかしこのビジョンでは経済優先や重厚長大産業への疑問、エネルギー拡大の是非、脱原発と各種政策との関連、環境政策Environmental Justiceの視点や議論が不十分だった。

 そのため、福島県は2012年以降、「原発に代わる雇用の場の創出」に重点を置くようになった。廃炉に関する国際的研究拠点、医療、観光、収益性の高い農林漁業創出などを推進。佐藤に代わる現知事の内堀雅雄(2016年就任)は、国や東京電力に廃炉を強く求めず、国からの復興予算による除染と除染区域の拡大による帰還地域の拡大や、ロボット開発やドローン開発などを新規事業として推進する「フクシマ・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想」を掲げた。また国策と連動して2015年から国立福島工業高等専門学校(いわき市)に廃炉人材プログラム(廃炉創造学修プログラム)が創設され、地元の若者が廃炉に携わるマンパワーとして養成されることとなった。特にイノベーション・コースト構想は、ドローンのテストサイトなどに防衛省が参画を予定していることから、軍事産業との関わりが生まれている。

 事故後の復興構想会議での議論ともかけ離れ、宮入興一(財政学・地方財政論)の「軍事(災害ミリタニズム)、政治(災害ファシズム)、経済(災害ネオリベラリズム)という災害資本主義(ショックドクトリン)」化が進むという指摘の通りになっており、1960年代に福島第一原発の建設計画が浮上した当時への回帰傾向と言えるのではないか。

 また2020年東京五輪開催時に東京電力福島第一原発前を通る「国道6号線で聖火リレー開催」を求めるいわき市や双葉地方町村会による政府への要望活動が今年2月にあり、IOC組織委員会や福島県は4月にルート選定に入った。

 「脱原発福島ネットワーク」共同代表の佐藤和良は今年4月、こうした復興政策について「本来は帰れないような場所に特定復興拠点を作って、除染や廃炉などを復興産業と称して新しい労働者を住まわせる。これは原発事故後の『植民』政策ではないのか。東京五輪は、その政策を強化することにほかならない。被災自治体が本格的に乗っかれば、復興災害と五輪災害がダブルで襲来する可能性がある」と筆者のインタビューに答えた。

 

 

4. おわりに・脱原発市民運動の展望と課題

 東京電力福島第一原発事故後、原発を持つ政府、自治体、住民、電力事業者のみならず、世界中の人々に原子炉の連鎖爆発と放射能汚染という福島原発事故の状況を知らせることになった。被害を繰り返したくない、二度と原発事故を起こしてはならない、と強く思う福島の過酷事故被害者のほとんどが脱原発を訴えている。普通の日常の中で突然に起きた東日本大震災と福島原発事故で、ライフラインが止まった緊急時から、賠償裁判や放射能汚染問題と取り組む現在まで、半世紀にわたり活動してきた地元の脱原発の市民グループの人々の草の根の活動が国内外に与えているインパクトは大きい。地域からは少数派でありながらも、脱原発運動を継続できた理由や、原発が肯定的にとらえられる福島県という地域社会の中に包摂されてきた背景をより深く捉える必要がある。

 筆者は1986年のチェルノブイリ事故が一つの大きな結節点であったとみる。福島県内で女性たちが中心となって小さなグループが発足し、生活者の視点から脱原発を議論するようになった。やがてそれぞれの団体やグループは様々な形で活動を継続し、緩やかに連携するようになった。その一例が「脱原発福島ネットワーク」でもあった。

 東電福島第一原発事故と軌を一にして、アラブの春やオキュパイ・ムーブメントなど、世界各地で抵抗運動が展開された。世界的な動きの中に、環境保護や人権運動としての福島の地域での脱原発運動が位置付けられる。同時に、原発安全神話から「起きない」と言われていた原発事故や放射能災害は、現実として起きたこと、その際に究極のカタストロフィーに陥らないための草の根セーフティーネットとしての市民・被害者の脱原発ネットワークや、災害後に軍事と容易に結び付く復興政策を阻止する動力―国策復興に動員される被災者、疲弊して無批判化した個人の回復―として、福島県内での市民の脱原発運動を再評価する必要がある。

 本稿に加え将来的には、福島県の近現代の抵抗運動の文脈も加える可能性を検討したい。明治初期の自由民権運動(喜多方、福島、三春、南相馬など)、戦後の三大鉄道事件で、被告救済の国民運動が展開された松川事件(共産党員ら20人が死刑を含む冤罪、のち全員無罪)、さらには原発事故から直近で行われた県内市町村首長選での連鎖的な現職落選なども考慮したい。(文中 敬称略)

 

 

 

参考文献

1 朝日新聞いわき支局(1980)『原発の現場 東電福島第一原発とその周辺』朝日ソノラマ/同(2012)復刻版Kindle

2 木村守江(1985)『天職に服す 人間木村守江』採光社

3 脱原発福島ネットワーク(2014)『アサツユ 1991‐2013―脱原発福島ネットワーク25年の歩み』七つ森書館

4 恩田勝亘(2011)『原発に子孫の命は売れない―原発ができなかったフクシマ浪江町』 七つ森書館

5 木幡仁・木幡ますみ(2012)『原発立地・大熊町民は訴える』柘植書房新社

6 佐久間淳子(2015)「第2章 R-DANそのとき市民の測定が動いた」:関礼子編(2015)『“生きる”時間のパラダイム 被災現地から描く原発事故後の世界』 

7 吉原直樹(2013)『「原発さまの町」からの脱却-大熊町から考えるコミュニティの未来』岩波書店

8 福島県(2002)「福島県エネルギー政策検討会『中間とりまとめ』」(2018年5月16日閲覧・以下URL www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/14591.pdf 同冊子:福島県原子力広報協会発行、福島県監修(2002)「あなたはどう考えますか?日本のエネルギー政策  電源立地県福島からの問いかけ www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/14706.pdf 

同パンフレットwww.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/14707.pdf

9 福島県(2013)福島県復興ビジョン策定 www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/ps-fukkovision1061.html  (2018年5月23日閲覧)

10 開沼博(2011)『フクシマ論』青土社

11 福島民報社(2012)『福島と原発』福島民報出版

12 農山漁村文化協会(2011)『復興の大義』 農文協ブックレット

13 明石昇二郎(2017)「開沼博の正体 上・下」『週刊金曜日』 金曜日

14 日本科学者会議・編(2015)『原発を阻止した地域の闘い 第一集』本の泉社

15 汐見文隆・監修、「脱原発わかやま」編集委員会・編(2012)『原発を拒み続けた和歌山の記録』寿郎社

16 中山俊則 「原子力施設誘致を5度阻止した小浜市民のたたかい 明通寺住職 中嶌哲演さんに聞く」 http://www006.upp.so-net.ne.jp/junc/hokoku0283.html  (全国自然保護連合サイトより 2018年5月22日閲覧)

17 紀伊民報(2012)『紀伊半島にはなぜ原発がないのか 日置川原発反対運動の記録』 紀伊民報

18 藍原寛子(2018)「『復興五輪』が福島に落とす影―「国策イベント」が奪う被災者の声と尊厳」『週刊金曜日』2018.04.20、1181号 金曜日