日中戦争における海軍の都市爆撃

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日本平和学会2018年度春季研究大会 「戦争と空爆問題」分科会

日中戦争における海軍の都市爆撃

都留文科大学名誉教授

笠原 十九司

キーワード:日中戦争と海軍 海軍航空隊の中国都市爆撃 九六式陸上攻撃機 零式艦上戦闘機 対米航空決戦の実戦演習 

 

1.はじめに

 報告者は、笠原(2015)の巻末の「表9 日中戦争期海軍航空隊機主要爆撃箇所一覧」(資料1)を作成し、海軍航空隊が1937年8月14日の杭州、翌15日の国民政府の首都南京への渡洋爆撃に始まり、以後、アジア太平洋戦争開戦直前の1941年9月初まで、4年余にわたり、連日のように中国の大から中小都市への爆撃をおこなった事実を明らかにした。海軍航空隊の中国都市爆撃は、当初、長崎の大村基地と台湾の台北基地を飛び立った九六式陸上攻撃機(中攻)の渡洋爆撃として敢行されたが、中国空軍の迎撃や大都市の対空砲の整備により撃墜されることが多かったので、渡洋爆撃を夜間に変更していた。それが1937年9月に上海に公大飛行場を開設、九六式艦上戦闘機の護衛をつけて、戦略爆撃としての南京空爆作戦を実施するにいたった。さらに日本軍の占領地が拡大すると、海軍は各地に飛行場を開設したり、中国空軍の飛行場を接収して使用、これらを航空基地として37年10月以降、都市爆撃の対象を飛躍的に拡大させた。

 資料1を一覧すれば一目瞭然のごとく、4年余にわたり連日のように敢行された都市爆撃は、日中戦争による臨時軍事費、年度軍事費を使用した海軍の爆撃機、戦闘機増産を続けながら、さらに海軍兵学校の生徒数と飛行予科練習生採用員数を1938年から倍増しながら、兵員の拡大を続けた結果を反映して、1938年と1939年は、出撃日数と爆撃地が一挙に激増した。

 本報告は、報告者が日本の海軍の史料を使って整理した海軍航空隊の中国都市爆撃の全容に対して、それらを裏付けるため、中国側の被害記録を整理して提示し、その歴史実態を解明していく作業の第一歩である。中国側の被害記録は、李秉新・徐俊元・石玉新主編『侵華日軍暴行総録』(河北人民出版社、1995年)によった。

2.本報告の対象省の限定

 日中戦争における海軍航空隊の中国都市爆撃は、「満州」や台湾を除いてほぼ中国全省にわたるが、本報告では、整理の対象とした省を、陝西省・安徽省・江西省・湖北省・湖南省・福建省・広東省の7章に限定した。華北の省を対象としなかったのは、日本の陸軍と海軍が中国大陸の管轄権を、華北は陸軍、華中・華南は海軍と棲み分けていた結果として、海軍航空隊機の爆撃地も華北は少なかったからである。ただし、陝西省は日本軍が占領できなかった省で陸軍航空兵団と海軍航空隊がそれぞれ爆撃をおこなっていて、興味があるので対象とした。海軍航空隊による四川省の都市爆撃はもっとも大規模、長期にわたったが、重慶爆撃の研究など、他省に比べて研究が比較的おこなわれてきた省なので、本報告では除いた。また、江蘇省と浙江省は華中であるが、笠原(1997)(2015)で多少言及しているので、除いた。広東省は資料1にあるように、海軍航空隊による都市爆撃が激しかった省であるが、残念ながら依拠した中国資料には本レジュメに紹介した内容のみであった。

3.海軍航空隊の中国都市爆撃

①【陝西省】

臨潼県 高陵県 咸陽県(数10回) 宝鶏県(数10回) 鳳翔県(3回) 渭南県(7回) 華県(6回) 潼関県(11回) 平民県 郃陽県(数回) 韓城県(数回) 澄県 蒲城県(4回)楡林県(5回) 神木県(3回) 延長県(12回) 南鄭県(33回) 西郷県(3回) 安康県(4回)石泉県 洛南県(2回)  

西安市爆撃

1938.10.12 日本軍機20機3隊に分かれて爆撃

   11.23 日本軍機20余機、80余個の爆弾投下、130余人死傷、清真寺4、民家数10

           間破壊

1939.4.2   日本軍機7機、50余個の爆弾を10カ所に投下、死傷市民10余人、西京工商

報社に爆弾3個が命中、停刊に

  5.24  日本軍機の爆弾 3個、防空壕を直撃、1000余人が生埋にされ死亡

  10.11 日本軍機12機、大華紡績工場爆撃、爆弾と焼夷弾30個投下、労働者12人死亡、4人負傷、家屋60余間焼失

1940.月不明 日本軍機回民居住区を爆撃、清真寺、城隍廟など5寺院が破壊され、回民の

死傷者200余人

1941.5.6  日本軍機、大華紡績工場爆撃、爆弾20余個投下

  12.2  日本軍機、大華紡績工場の3度目の爆撃、焼夷弾4個投下、火災発生

延安爆撃  1938~1941年 日本軍機、計17回延安爆撃

1938.11.20~21 日本軍機30余機、爆弾150個投下、死傷者152人

   12.14  日本軍機7機、7次にわたり爆撃、40~50個の爆弾投下

1938.12.15~1939.3 日本軍機、4回爆撃

1939.3.10  日本軍機14機、爆弾70個投下、死者6人

   8.15  日本軍機10機、爆弾40個投下、死者5人、行方不明1人

     9.8   日本軍機46機、爆弾200余個投下、死傷者58人、破壊家屋150余間

    10.15  午前、日本軍機71機、4組に分かれ爆弾100余個投下、午後日本軍機35機、3組に分かれ爆弾120余個投下、延安市区は火の海に、死者10人、負傷者13人

1940.4.2  日本軍機12機、爆弾52個投下、窑洞4軒破壊

1941.8.4  日本軍機27機、爆弾100個投下、死傷者6人

    10.26  日本軍機、最後の延安爆撃

②【安徽省】

績渓県(7回) 五河県(4回) 南陵県(2回) 渦陽県(3回) 阜陽県(3回) 青

陽県(5回) 郎渓県(数回) 旌徳県    

合肥市爆撃 1937.12から日本軍機の恒常的な合肥空襲開始

1938.3.28  日本軍機5機、爆弾100余個投下、四方で火災発生、家屋1000余間焼失、低空飛行による機銃掃射もおこなわれ、合計死者200余人

1937.12~1938.5までの半年間、日本軍機の合肥爆撃40余回、死者300余人、負傷者100余人、無数の家屋が倒壊、焼失

③【江西省】

湖口県(4回) 吉安県 万年県 吉安県 新干県 波陽県(数回)波陽県・石門街(3回) 進賢県 鷹潭鎮(3回)    

新余河下駅の爆撃 1939.4.2  日本軍機3機、新余河下駅に停車中の列車を爆撃、逃げる乗客を機銃掃射、多くの中学生をふくむ乗客100余人が死亡、重傷30余人

贛州爆撃 1942.1.15 日本軍機28機、上空を旋回しながら3度にわたり爆弾投下、贛州 

城内が火の海となり、商店、銀行、学校、公共機関が灰燼に、死者200人、負傷者300人 

④【湖北省】

英山県 京山県(数回) 蘄春県(8回、延べ100機、投下爆弾300余個、死傷者718人、

破壊焼失家屋1197間) 麻城県 応城県 孝感県 峰口県 来鳳県(9回) 南漳県(21

回、投下爆弾150余個、うち硫黄弾20余個、死者150余人、負傷者70余人) 

武漢市の爆撃 爆撃目標は軍事施設と列車、飛行場ならびに住宅密集地

1937.9.24  日本軍機、漢口武聖廟と周辺家屋爆撃、死傷者200余人

1938.3.29  日本軍機5機、投下爆弾20個、死傷者460人、破壊焼失家屋50余棟

   4.13  日本軍機9機、防空壕へ避難する集団へ爆弾投下、240人死亡、破壊焼失家屋40棟

   6.17  多数の日本軍機、漢陽の兵器工場と鉄工所を破壊

   7.12  日本軍機、武昌の市街地爆撃、投下爆弾50余個、死傷者600余人

     7.19  日本軍機39機、徐家棚駅を爆撃、投下爆弾200余個、死傷者千余人、破壊焼失家屋500棟以上

     8.11 日本軍機3隊に別れ、武昌、漢陽を爆撃、死傷者800余人

   8.12  日本軍機72機、漢口、武昌爆撃、投下爆弾350個、武昌芸術学校全焼

 1937秋から1938.10.25の国民党軍武漢撤退時まで、日本軍機の武漢爆撃61回、延べ964

機、投下爆弾4500余個、4000人近い死者、負傷者5000余人、破壊焼失家屋4900余棟

襄陽県の爆撃

1937.12.28~1940.5.26 日本軍機の空襲120回、投下爆弾4097個、死者2460人、負傷

者3548人、破壊焼失家屋6463間、破壊船舶46隻、破壊機関車14台

⑤【湖南省】

株州市(8回-駅の爆撃) 醴陵市(12回―鉄道と鉄橋の爆撃、死傷者300余人)

湘潭県(25回、延べ931機、投下爆弾2717個、死者1303人、負傷者1254人、破壊焼

失家屋2732棟) 衡陽県(569回、延べ1703機、投下爆弾3958個)平江県(22回、延

べ235機、投下爆弾2990個) 瀏陽県(5回) 常徳県(73回、延べ467機、投下爆弾

2181個、死傷者3638人、破壊焼失家屋4024棟) 芷江県(38回、延べ513機、投下爆

弾4731個、死者445人、負傷者393人、破壊焼失家屋3756棟)漢寿県(8回) 澧県

(26回、延べ57機、投下爆弾97個、内焼夷弾5個、毒ガス弾12個、死者226人、負傷

者232人)桃源県(10回) 辰渓県(22回、延べ153機、数千人死傷) 湘陽県(115

回、延べ218機、投下爆弾256個) 益陽県(4回) 安化県(数回、投下爆弾80個、

死者1065人、負傷者2814人) 華容県(3回) 沅陵県(8回、延べ227機、投下爆弾

1116個、死者360人、負傷者715人) 冷水灘県(8回) 瀘渓県 竜山県 懐化県(2

回) 麻陽県汝城県(2回)

湖南航行船舶の爆撃 1938~1944.6 大小の船舶105隻、ハルク31艘、タグボート59艘

が撃沈

湖南大学の爆撃 1938.4.10 日本軍機27機、湖南大学爆撃、投下爆弾30余個、焼夷弾

10余個、死者38人、負傷者20余人、図書館、科学棟、学生寮を破壊、焼失

⑥【福建省】 日本軍機は台湾基地から飛び立って福建省を爆撃、他省に比較して突出 

竜岩県(13回) 永春県(7回) 古田県(5回) 長汀県(15回) 雲霄県(8回) 同

安県(18回) 上杭県(2回) 東山県(90波) 福安県(3回) 漳浦県(9回) 浦

城県(多数回) 莆田県(12回) 竜渓県(18回) 長楽県(30数回) 連江県(7回)  

羅源県(17回) 南靖県(2回) 南平県(8回) 南安県(2回) 福清県(13回) 恵

安県(7回) 永安県(10回) 連城県李坊村 武平県 沼安県(12回)

平潭県(3回) 建陽県(6回)閩清県(3回) 徳化県(3回) 大田県 霞浦県(5

回) 平和県(2回) 三元県(3回)漳平県(2回) 崇安県(3回) 光沢県

福州市と馬尾区の爆撃 福州の王庄飛行場と馬尾海軍基地が爆撃の重点目標となる

1938.6.12 木更津航空隊34機、馬尾造船所、海軍病院など爆撃、以後、1機から20機で爆撃、時に低空で機銃掃射

1941.4.21の日本軍の福州占領までに、福州爆撃で死傷者380余人、馬尾に対しては爆撃107回、死者94人、負傷者92人

漳州爆撃 抗日戦争期間 日本軍機延べ181機来襲、投下爆弾346個、死者189人、負傷者217人、家屋数百間破壊焼失

1937.8.26~30 日本軍機出動40機、連日漳州飛行場爆撃 投下爆弾60余個

1938.2.24 日本軍機3機、投下爆弾30余個、死傷者100余人

     2.26,3.17,3.19の 3度にわたり爆撃

1939.6月、9月および冬月 日本軍機何度も来襲、爆弾投下

1941.4   日本軍機3機爆弾投下

1942.2.16(旧暦正月2日)市内爆撃

1943.1.29 日本軍機3機、爆弾投下

1944.5  日本軍機2機爆弾投下、運河の泥浚い作業員100余人が死傷、小学校が爆撃され

女教師1人死亡

建瓯県爆撃 1937.8.30~1945.3.29 日本軍機のべ761機、投下爆弾2581個、死傷者869人、破壊焼失家屋650戸

1937.8.30  日本軍機1機、爆弾投下2個

1938年 日本軍機11回来襲、延べ45機、投下爆弾194個、死傷2人

1939年 日本軍機5回来襲、延べ25機、投下爆弾56個、死傷30人

1940年 日本軍機3回来襲。延べ18機、投下爆弾20個

1941年 日本軍機5回来襲、延べ11機、投下爆弾4個

1942年 日本軍機60回来襲、延べ170機、投下爆弾353個(半数焼夷弾)死傷者455

 人

1943年 日本軍機63回来襲、延べ400機、投下爆弾1473個、死傷者350人

1944年 日本軍機27回来襲、延べ90機、投下爆弾479個、死傷者21人

⑦【広東省】電白県

広州市爆撃 1937.8.31~1938.10.20 日本軍機は56回におよび広州市爆撃、1983年初頭

に日本軍機は連続10日間の爆撃を敢行した。広州市爆撃による死者は7000余人におよび、

民家商店が大規模に破壊焼失した。

4.おわりに代えて

 日中戦争における日本の対中爆撃の全体像を明らかにするためには、海軍航空隊だけで

なく、陸軍航空兵団による都市爆撃や戦闘爆撃の実態を解明することが不可欠である。本

報告で整理した都市爆撃の事例にも陸軍航空兵団によるものが含まれている可能性がある。

中国側の史料には「日機」と記されているだけで、海軍航空隊と陸軍航空兵団の識別はさ

れていない。報告者の今後の課題として、海軍航空隊の対中爆撃の実態を明らかにするた

めにも、陸軍航空兵団の組織と爆撃作戦の実態について解明する作業が必須になっている。

 

参考文献

 笠原十九司(1997)『日中全面戦争と海軍―パナイ号事件の真相』青木書店

 笠原十九司(2012)「大山事件の真相―日本海軍の「謀略」の追及」『年報日本現代史』第17号、現代史料出版

 笠原十九司(2015)『海軍の日中戦争―アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ』平凡社

 笠原十九司(2017)『日中戦争全史(上・下)』高文研

 李秉新・徐俊元・石玉新(1995)『侵華日軍暴行総録』河北人民出版社