日本平和学会2018年度春季研究大会
報告レジュメ
─戦後沖縄の経験から憲法を問う─
千葉大学 特任研究員
小松 寛
キーワード:天皇制、平和主義、基地問題、日本復帰
1.はじめに
本報告の目的は、戦後沖縄の経験をもとに日本国憲法の有する社会構想の可能性を検討することである。終戦後、米軍占領下におかれた沖縄に憲法が適用されることはなかった。軍事基地が強制的に拡張され、人権も侵害される中で展開された日本復帰運動は、日本国憲法の獲得を目指した運動でもあった。しかし復帰が実現した後も憲法による平和主義が沖縄へ適用されたとは言い難い。他方で、沖縄では独自憲法をめぐる議論もなされてきた。そこで問題となるのは天皇制である。そもそも平和主義(武力放棄)と象徴天皇制はその出自から密接な関係にあった。そこで本報告では、上述の目的のために、まず米軍統治下にあった沖縄における日本国憲法への希望を論じ、次に復帰後に失望へと変わる過程を確認する。さらに沖縄独自の憲法案における天皇制への評価を考察した上で、沖縄と天皇制の関係性について議論する。
2. 日本国憲法への希望
1952年、サンフランシスコ講和条約により日本は国際社会に復帰する。しかし、米軍基地は同時に調印された日米安保条約によって残置されることも決定した。これは日本本土において基地闘争を引き起こすこととなる。1955年の立川飛行場拡張計画を端緒とする砂川闘争は、憲法が保障する生活権と財産権、健康で文化的な生活をおくるための権利、そして「日本の平和と独立」を掲げ、最終的に拡張計画を頓挫に追い込んだ。このように憲法の理念が組み込まれた日本の基地闘争は拡張阻止に成功、勝利を収めた。
沖縄でも土地接収という形で基地問題が露わになる。憲兵隊とブルドーザーによって執行された土地接収に住民は強く反発、その抵抗運動は「島ぐるみ闘争」と呼ばれた。これに対し米軍当局は抵抗運動を弱体化するために軍人及び軍属らに民間地域への立ち入りを禁止、経済的締め付けを行った。これにより土地を失った人々と商業活動を脅かされた人々は運動の継続をめぐって対立、沖縄社会は分断された。憲法の庇護下になかった沖縄の基地闘争は瓦解した。
このように拡大された在沖米軍基地に移転したのは、日本から撤退した海兵隊であった。岐阜などの海兵隊施設は沖縄に移転し、その結果日本と沖縄における米軍基地面積の割合は、約90対10から、50対50となった。日本国憲法を支えとして米軍基地の拡張を阻止できた日本の反基地運動とは対照的に、沖縄の反基地運動は土地の強制接収を拒めなかった。
1960年、復帰運動の中心母体となる沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が結成された。その活動方針のひとつに、沖縄への憲法適用を採用、憲法による平和と人権を求めることとなる。1969年11月10日、屋良朝苗琉球政府行政主席は佐藤栄作首相と面会し「佐藤総理大臣に訴える」と題された要望書を読み上げる。その中で異民族支配からの脱却と「民主平和憲法のもとに日本国民としての地位を回復する「即時無条件全面返還」」を訴えた。1971年、琉球政府は国会での沖縄返還協定批准審議に合わせて「復帰措置に関する建議書」を作成した。その中で沖縄が日本復帰を求める理由を「県民が復帰を願った心情には、結局は平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していたからにほかなりません」と説明している。日本国憲法による基地撤去と平和を求める復帰思想は「反戦復帰」と呼ばれた。しかし、現実の日本復帰が米軍基地の残置を伴い、日米軍事同盟再編強化政策の一環であることが明らかになる。
2. 日本国憲法への失望
1995年、復帰後の沖縄で再び民衆運動が大きく渦巻く。9月、沖縄島北部で女子小学生が米兵三人による暴行される事件が発生した。反基地感情が高まる中、県知事二期目を務めていた大田昌秀は、米軍用地未契約地に対する強制使用のための代行業務を拒否する。これに対し村山富市首相は、大田知事に対して軍用地強制使用の職務執行命令訴訟を提起する。最高裁まで争われた本裁判の判決は国側勝訴となった。憲法で保障された財産権は無視され、駐留軍用地特別措置法に基づく米軍基地の強制使用を合憲と判断した。さらに国会は国が直接強制使用できるよう軍用地特措法を改定した。
このように復帰運動の理論的主柱であった日本国憲法による米軍基地の撤去および平和の実現は、内閣総理大臣による提訴を契機に司法の場で審議され、不可との結論が下された。そして立法府たる国会でも、強制使用を可能にするよう法制度が整備された。日本政府の三権ともに憲法の平和主義による在沖米軍基地の整理縮小を認めなかった。憲法の平和主義は沖縄に平和をもたらさないというのが現実であり、沖縄側にとっては失望でしかなかった。
3. 沖縄独自の憲法案
日本に復帰したにもかかわらず、米軍基地が残置された現状から、沖縄の独自性を模索する試みがなされていた。その一例が1981年『新沖縄文学』48号の特集「琉球共和国へのかけ橋」である。この中で「琉球共和社会憲法C私(試)案」が提示された。この案の作成者は、1970年前後に沖縄の日本復帰に反対した「反復帰」論者の一人、川満信一であることが明らかになっている。これは一種の「独立」を沖縄が目指した際に、どのような政治形態を持つべきかという思考実験の題材と言えよう。
1990年代、冷戦の崩壊およびグローバリゼーションの進展といった国際社会の変容を背景に、論壇上では国民国家そのものを問い直す国民国家論や近代のあり方に疑問を呈するポストモダンと呼ばれる議論が興隆する。この文脈において80年代初頭の沖縄で「国家の廃絶」を唱えた琉球共和社会憲法案が耳目を集める。今日までにこの憲法案を西川長夫、上野千鶴子、新城郁夫らが肯定的に、萱野稔人、高橋哲哉らが批判的に論じてきた。
本企画の趣旨については『新沖縄文学』48号掲載の「匿名座談会「憲法」草案への視座」で確認することができる。そこでは「いわゆる「共和国憲法」というかたちでまっとうな、真面目な憲法草案をつくるのか、あるいはパロディ化したもので、その真実性を持って我々の意志を表示するか、そのどちらかということだったのですが、両方を欲張ってうまく練り合わせて料理してほしいという難しい注文をした」とされている。
しかし本座談会では、以下のようなやり取りも確認できる。
F そんなことならば、現在の日本国憲法も非常に立派な憲法なんだから、それを「将来の琉球共和国憲法とする」というだけでいいことになる。
C あれにはちゃんと皇室規定が入っている。
F そういうところを除いてね。
本企画の趣旨は琉球の憲法というパロディによって思考実験を行うことに他ならない。もし現実的な沖縄独立のために沖縄国憲法を草案する場合には、「非常に立派な」日本国憲法から皇室規定を除けば十分だ、というのである。換言すれば、沖縄独自の社会像を想像する場合、人権や平和主義等の規範は日本国憲法の内容で十分保障されているが、天皇制からの離脱は必須であることを意味している。
4. 沖縄と天皇
日本国憲法を特徴づける象徴天皇制と平和主義はその制定過程から密接な関係にあり、そして沖縄の存在が大きく関わっていた。戦争放棄条項の制定には、ダグラス・マッカーサーの意向が強く反映されている。その政治的理由は天皇の戦争責任を回避し、東京裁判で天皇を不起訴とすることにあった。そのためには天皇自身が平和と人権を尊重した憲法を制定する意思を示す必要があった。また、マッカーサーは沖縄を「天然の国境」と定め要塞化することによって、軍事力を有しない日本を外部の侵略から防衛できると考えた。つまり、日本の非軍事化と沖縄の軍事要塞化は平和憲法誕生の時から表裏一体の関係にあった。
日本の非軍事化と沖縄の要塞化を考える時、いわゆる「天皇メッセージ」にも触れざるを得ない。1947年、GHQへ天皇が米軍による沖縄の長期占領を望んでいることが伝えられた。これは新憲法の下、日本が軍事的安全保障を確保するためには米軍による沖縄占領が必要であったと判断されたためである。
しかし、戦後沖縄における天皇への意識は複雑である。例えば、日本復帰を実現した屋良朝苗は、復帰事業となる植樹祭、特別国体そして海洋博へ昭和天皇を迎えることに腐心したが、支持基盤である革新系団体からの反対を受けて断念した。1975年、海洋博へ皇太子(今上天皇)の臨場が決定すると屋良は「心をこめてお迎えしよう」と全県民に呼びかけ「豊かな県民性の根底にたたえられた民族的本質が必ずや大きな力を発揮すると信じていた」と回顧している。しかし実際には、ひめゆりの塔を訪れた皇太子へ向け火炎瓶が投げられる事件が発生した。
2018年3月、退位を約1年後に控えた天皇による沖縄訪問に際して仲地博は、沖縄戦の経験や天皇メッセージなどの歴史的経緯により、沖縄では天皇に対して本土とは異なる考えを有してきたとしている。しかし、復帰後は沖縄社会も日本に組み込まれ、天皇に対する意識も日本化してきたと指摘する。その上で沖縄と天皇との関係の議論を深める必要があると説く。
この指摘を踏まえて、本報告では戦後沖縄の経験、特に沖縄と天皇制をめぐる議論を再考する。これにより、日本国憲法による社会構想の可能性を論じるための手がかりを提示したい。
参考文献
明田川融(2000)「1955年の基地問題―基地問題の序論的考察」『年報・日本現代史 第六号「軍事の論理」の史的検証』現代史料出版.
新崎盛暉(1976)『戦後沖縄史』日本評論社.
上野千鶴子(2006)『生き延びるための思想:ジェンダー平等の罠』岩波書店.
沖縄タイムス社編(1996)『50年目の激動 総集沖縄・米軍基地問題』沖縄タイムス社.
萱野稔人(2011)『ナショナリズムは悪なのか』NHK出版.
古関彰一・豊下楢彦『沖縄 憲法なき戦後:講和条約三条と日本の安全保障』みすず書房.
小松寛(2015a)「戦後沖縄と平和憲法」島袋純・阿部浩己編著『沖縄が問う日本の安全保障』岩波書店.
小松寛(2015b)『日本復帰と反復帰:戦後沖縄ナショナリズムの展開』早稲田大学出版部.
小松寛(2016)「沖縄にとって日本国憲法とは何か:琉球共和社会憲法案という応答にも触れて」日本平和学会2016年度秋季研究集会報告ペーパー.
新城郁夫(2014)『沖縄の傷という回路』岩波書店.
匿名座談会(1981)「憲法」草案への視座」『新沖縄文学』(沖縄タイムス社)48号.
鳥山淳(2013)『沖縄/基地社会の起源と相克:1945‐1956』勁草書房.
仲地博(2018)「沖縄と天皇の関係議論を」『沖縄タイムス』3月26日.
西川長夫(2006)『<新>植民地主義論』平凡社.
屋良朝苗(1985)『激動八年屋良朝苗回顧録』沖縄タイムス社.