先住民族遺骨のrepatriation(返還/帰還)と脱植民地化: 東京大学・小金井良精が「収集」したアイヌ遺骨を事例に

ダウンロード
自由論題部会2‐1レジュメ(小田).pdf
PDFファイル 358.9 KB

日本平和学会2018年度春季研究大会

自由論題部会2(単独報告) レジュメ

 

先住民族遺骨のrepatriation(返還/帰還)と脱植民地化:

東京大学・小金井良精が「収集」したアイヌ遺骨を事例に

 

 

小田博志

北海道大学

 

キーワード:

先住民族遺骨、repatriation(返還/帰還)、脱植民地化、「自然」、支配なき平和

 

1. 問題の所在

 「先住民族にとって“研究”ほど汚い言葉はない」とリンダ・トゥヒワイ・スミスは言う(Smith 2012)。帝国主義の時代、人類学者たちは「研究」の名の下に、世界中の先住民族の墓を暴き、そこに眠る遺骨を収奪した。それは先住民族の土地、資源、文化などを一方的に奪う、植民地主義の一環として行われたものであった。明治以後、大日本帝国の人類学者たちもまたこの遺骨の収奪に加わった。東京帝国大学の小金井良精(1859-1944)、京都帝国大学の清野謙次(1885-1955)、金関丈夫(1897-1983)、北海道帝国大学の児玉作左衛門(1895-1970)らである。彼らが持ち去ったアイヌ民族、琉球民族などの遺骨は合わせて千数百体に及び、そのほとんどが出土したコミュニティーに返されることなく、現在も各大学に置かれたままとなっている。この先住民族遺骨のrepatriation(返還/帰還)の問題は、今日世界的な広がりを見せている。本報告では、この植民地主義の負の遺産が現代の私たちに問いかけることは何か?平和という本学会が取り組むテーマに関して考えさせることは何か?という問題を、特に、日本で最初に先住民族遺骨の「研究」を行った、東京帝国大学の小金井良精の事例を通して論じたい。これによって日本平和学会の中でこれまで行われてきた、植民地主義と平和との関係を問う議論の深化に貢献したい(越田2012;日本平和学会2016;これに加えて2012年に北海道大学で開催された全国キャラバン第1期第4回「脱植民地化のための平和学とは――北海道/アイヌモシリで考える」、および同じく北海道大学で開催された2017年度春季研究大会「植民地主義と憲法を北海道/アイヌモシリで問い直す」)。

 

2. 小金井良精のアイヌ人骨研究

 1858(安政5)年に越後長岡藩に生まれた小金井は、1880(明治13)年、東京医学校(東大医学部の前身)を卒業した。同年から1885年までドイツ留学、ベルリン大学の解剖学者ヴァルダイヤーに師事、それと共に同大学の病理学者ヴィルヒョウとも交流した。ヴァルダイヤー、ヴィルヒョウ共に、海外植民地から現地住民の骨を「標本」として多数取り寄せ、人種主義的な人類学の立場から「研究」をした「先駆者」であった。小金井は帰国後の1886(明治19)年、帝国大学医科大学教授に就任、解剖学を講じた。1888(明治21)年と1889(明治22)年の2度に渡り小金井は、アイヌの人骨「収集」と生体測定を目的に、北海道と千島列島を訪れた。これら発掘旅行で持ち帰った遺骨を基に、1893年にドイツ語論文「アイノの人類学的研究への寄与」を発表(Koganei 1893)、そこでは169体のアイヌ遺骨の測定結果が記載されている。この後、1924年に京大の清野が樺太で52体、1930年代から70年代にかけて北大の児玉らが北海道、樺太、千島で1000体以上のアイヌ遺骨を持ち出している。

 文部科学省が2017年4月に公表した「大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況の再調査結果」 によると、東京大学には「個体ごとに特定できた遺骨」が201体、「個体ごとに特定できなかった遺骨」が6箱収蔵されている。

 

3. 人骨研究の背景:植民地主義・レイシズム・「自然」の客体化と支配

 小金井らの人骨研究の背景には、植民地主義とレイシズムがあった。当時の(後には日本も含む)欧米列強には、植民地の他者を最初から「劣った、遅れた」存在と決めつけ、「優れて、進んだ」われわれとの差異を絶対化するレイシズムが浸透していた。そして「われわれ」が「彼らを文明へと引き上げる」という「文明化(civilization)」のイデオロギーで粉飾しながら植民地化を進めた。この当時行われた人骨研究は今日では否定されている2種類の誤謬を前提にしていた。一つは、人類が「人種」によって生物学的に下位分類できるという誤謬であり、もう一つは、頭骨の測定によって「人種」が特定できるという誤謬である。先住民族の人骨研究は、植民地主義とレイシズムを背景に行われ、一方ではそれらに「科学的な」後ろ盾を与える「疑似科学」に他ならなかった。

 当時、先住民族遺骨はグローバルな規模で発掘、交換、売買された。これを報告者は「グローバル人骨流通ネットワーク」と呼んでいるが(小田2018)、例えば小金井はアイヌ遺骨2体をオーストラリアのアボリジニの遺骨と交換したことが判明している 。

 人骨研究はたんに過去のエピソードとしては片づけられない、現代社会との連続性がある。人骨研究の「先駆者」ヴィルヒョウらは、「自然民族 Naturvölker/文化民族 Kulturvölker」という人間の分割を所与の前提としていた。「自然の桎梏に囚われた植民地の彼ら」と「自然から切り離され、歴史と文化を創造できるわれわれ」の二分法である。ここで主体性は「文明化された人間」のみに帰属され、「自然」は「文明化された人間」によって測定、支配、収奪されるだけの客体にまで貶められている。また「自然」からの距離が、「文明化」の尺度とされた。この「自然/文化・文明」の二分法は、「理系(自然科学)/文系(人文・社会科学)」や「自然遺産/文化遺産」の区別が自明視されたままであるように、現代社会の公理(ラトゥール2008によれば「近代人」の「憲法」)となっている。しかしこの分割は決して当たり前のものではなく、価値中立的なものでもない。「自然」こそが植民地支配され続けているのだ。

 

4. 現代的課題としてのrepatriation(返還/帰還)

 アイヌ遺骨の問題は、あたかも北海道ローカルであるかのように思われているが、それは間違いである。それは植民地主義というグローバルな文脈で起こり、上述のように東京大学、京都大学などにも多数のアイヌ遺骨が置かれている。東京大学のアイヌ遺骨は、ほとんどが盗掘によって「収集」されたことが小金井自身の回顧(小金井1935)からも推測される。しかしこの問題に対応しようとする、東京大学内部からの主体的な動きは現在のところ見られない。この「植民地責任」(永原2009)への無関心と消極性は何を示すのだろうか。

 研究機関・博物館による先住民族遺骨の返還はrepatriationという概念で語られる。アメリカでは1990年に「アメリカ先住民墓地保護・返還法(NAGPRA:Native American Graves Protection and Repatriation Act)」が法制度化されている他、2007年に国連で採択された「先住民族権利宣言(Declaration on the Rights of Indigenous Peoples)」第12条で先住民族の遺骨返還に対する権利が書き込まれている。

 このrepatriationという語は「誰」を主体とするかによって、「返還」ではなく、「帰還」とも訳し得る(例えば星野2006)。つまりこれは研究機関・博物館が遺骨をモノとして返還するということを超えた、遺骨が人として故郷に帰還するという意味をも含む多義的な概念である。またこれは尊厳のある帰還を実現するための文化的儀礼、さらには遺骨が戻るべき土地とコミュニティーの確定を伴うべきプロセスであり、先住民族の権利回復と脱植民地化という重要な課題へと広がりがあることも認識されるべきである(北大開示文書研究会2016)。

 

5. 脱植民地化=脱国民国家化から支配なき平和へ

 故郷の地から引き離され、東京大学の片隅に130年にも渡って置かれたままになっているアイヌ民族の遺骨。そのrepatriation(返還/帰還)はまだ始まる気配すらない。これらの遺骨からは主体性が消去され、客体・モノとして扱われてきた。ここで問われているのは、われわれの想像力である。かつて生きていた人であり、そして身内によってかけがえのない存在として葬られたことが想像できるだろうか。もしも自分の祖先であったなら耐えがたいような尊厳の剥奪がかつて行われ、現在も起こり続けている(土橋2017)。この「学問の暴力」(植木2017)は自然から人間を分離し、前者を所有・支配・収奪の客体とした歴史的の文脈の中で可能となった。これは文明化/植民地化のプロセスに他ならない。われわれが平和を脅かすものとして同時代的に直面している軍事主義、国家主義、経済成長至上主義、環境と生活基盤(サブシステンス)の破壊などは、産業革命に端を発する文明化の展開の中で生じてきた。このプロセスを裏で支えたのが、人と自然を画一化した上で一方的に支配と収奪を進めるシステムとしての植民地主義である。「明治150年」「北海道150年」とは日本において植民地主義が進行した時代であった。

 根底的な思索の結晶である『〈新〉植民地主義論』において西川長夫は「国民国家は植民地主義の再生産装置である」と規定した(西川2006)。これを踏まえるなら脱植民地化とは脱国民国家化と軌を一にするプロセスだということである。アイヌ民族をはじめとする先住民族こそは、文明化の美名の下で、植民地化=国民国家化に巻き込まれ、一方的な支配の客体とされてきた。その証人が各地の大学に置かれた遺骨たちである。この問題の根底的な解決は、つまり「深い平和」は、国家を自明の前提とした考え方では達成できないであろう。植民地化=国民国家化された先住民族の権利回復、すなわち先住権の回復は、国家の外部に位置する。ということはこの問題は、国家を前提とした(狭義の)憲法によって適切に論じることはできないし、文明化(civilization)の装置たる学校・研究機関には従来のあり方のままでは対応できず、さらには文明の産物である市民社会(civil society)によっても難問となるであろう。ここで「文明」の外に出ることが求められる。

 先住民族遺骨の研究は、「自然」を客体化し、支配する一環として行われた。とするならば、先住民族遺骨のrepatriationという課題を前にしてわれわれが今試されているのは、「自然/人間」の大分割の外に出る思考、国家と文明という支配のシステムを根底から問う思考ができるかどうかである。そのとき脱植民地化は、支配からの解放、支配なき平和をいかに実現するかという平和学の大きいテーマへとつながる。ここで重要なのは、人間中心主義を超えた平和、すなわち「人間」だけではなく、「(生きた)自然」をも支配の軛から解き放つという課題である。

 

参考文献

植木哲也(2017)『新版 学問の暴力―アイヌ墓地はなぜあばかれたか』春風社.

小田博志(2018)「骨から人へ:あるアイヌ遺骨のrepatriationと再人間化」『北方人文研究』11:73-94.

小金井良精(1935)「アイノの人類學的調査の思ひ出―四十八年前の思ひ出」『ドルメン』4(7):54-65.

越田清和(編)(2012)『アイヌモシリと平和―北海道で平和学する!』法律文化社.

土橋芳美(2017)『痛みのペンリウク―囚われのアイヌ人骨』草風館.

永原陽子(編)(2009)『「植民地責任」論―脱植民地化の比較史』青木書店.

西川長夫(2006)『<新>植民地主義論―グローバル化時代の植民地主義を問う』平凡社.

日本平和学会(編)(2016)『平和研究』第47号「脱植民地化のための平和学」早稲田大学出版部.

北大開示文書研究会(編)(2016)『アイヌの遺骨はコタンの土へ:北大に対する遺骨返還請求と先住権』緑風出版.

星野道夫(1996)『森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて』世界文化社.

ラトゥール,B.(川村久美子訳)(2008)『虚構の「近代」―科学人類学は警告する』新評論.

 

Kogainei, Yoshikiyo (1893) Beitrage zur physischen Anthropologie der Aino. I. Untersuchungen am Skelet. 『帝國大學紀要:醫科』2(1): 1-249.

Makino, Uwe (2015) Die Ainu: Begegnung mit den japanischen Ureinwohnern. Books on Demand. 

Smith, Linda Tuhiwai (2012) Decolonizing Methodologies: Research and Indigenous Peoples (second edition), Zed Books.