信仰と一帯一路構想及び中日学術提携の可能性
王 盈
上海社会科学院・宗教研究所
戦後の国際社会は、信仰に関わる諸問題と徹底的に分離したことはない。脱植民地運動における宗教信仰の働き、ユダヤ・パレスティナ問題、インド・パキスタン紛争、冷戦のイデオロギー争いに覆い隠されたさまざまな事実が、イラン・イスラーム革命を境に、すこし「見える」ようになった。1980年代の「宗教復興」とよべる現象が広がりつつある中冷戦が終わり、解体した旧ソ連・東欧圏では、伝統的主流派キリスト教を社会主義イデォロギーに代替するものとして、国家統合を図ろうと試みた。2001年9月11日アメリカであった同時多発テロ事件以来、宗教が国際政治にいかに影響するのか、より一層顕在化した。「宗教」が、政治的領域との関係で再び強まってきている事実も、政治学や宗教学をはじめとする、価値判断的論議や解釈を極力排除する社会科学研究に、それを問い直す動きを活発化させた。日本においても中国においても、西洋中心主義を抜け出ようとする努力はすでに始まっている。
「一帯一路構想」は、こうした努力に大きな「非西洋」の舞台を提供している。「一帯一路」地域には、最も複雑な信仰の現実を抱える地域が含まれている。数多くの宗教宗派、大いに異なっているその役割、さらに、宗教、信仰システムが、個人の信仰だけにとどまらず、むしろ国家の政治、経済、社会のコア的存在感をましている地域は、「一帯一路」地域の広域にわたっている。逆に、「一帯一路構想」の提案者である中国自身は、マルクス主義的宗教観は、まだ社会の主流であり、ある意味では「政教分離」が一番厳しく徹底されている国でもあるのだが、西洋ともずいぶん異なる「宗教観」や宗教の歴史も持っている。その意味でも、どのように今後「宗教」の世界と向かい合うのか、大いに問われるであろう。
「一帯一路構想」が提出される以前は、日本も中国も開発援助などによる沿線諸国との交流はすでに活発になっていたことは言うまでもない。そこに「一帯一路」という大きな「川」をどう渡せばいいのか、中国の力や知恵だけでは足りない。日本は中国が近代世界を認識する、そして自身を認識する最大の「鏡」であり、特に日本との提携関係は重要視されているからである。「一帯一路構想」に対する日本政府の態度も変わりつつあり、民間の知識協力もようやく始まりつつある。「一帯一路構想」という壮大な課題に対して「富と力」の共同研究はもちろん、「信仰」や「心」に対する共同研究は、この時期むしろより一層差し迫った課題となっているといえるのではないか。