日本平和学会2018年度春季研究大会
報告レジュメ
自由論題部会3(パッケージ企画2)「脱原発の進む東アジア-台湾、ベトナム、日本の現状と将来展望-」
報告2:ベトナムの原発建設計画はなぜ白紙撤回されたのか
沖縄大学
吉井美知子
キーワード:ベトナム、ニントゥアン、原発建設計画、白紙撤回、日本
はじめに
ベトナムでは2009年に初の原発建設計画が正式決定し、2014年よりロシアが、次いで日本が建設を開始する予定であった。しかし計画は徐々に延期され続け、遂に2016年11月、白紙撤回に至った。
本報告では、なぜベトナム政府が原発建設計画を白紙撤回したのか、その理由を分析する。また、計画再燃の可能性についても考察する。
資料には、ベトナム政府関係者、国会議員、ベトナム人研究者、マスコミ関係者からの聴き取りとベトナム内外の報道記事を使用した。聴き取りは2016年8月~2018年2月にベトナム、日本、欧州で実施した。
1.計画、発注から撤回まで
ベトナムでは初の原発建設計画を2009年、国会で決議した。それに先立つ1990年代より、原発輸出をめざすロシア、日本、フランス、英国、韓国等の国々が、受注に向けて動いていた。そして2010年、ベトナムはニントゥアン第一原発をロシアに、第二原発を日本に発注する。
南部ニントゥアン省の省都ファンラン・タップチャム市を挟むように、南20キロにロシアの第一原発、東北20キロに日本の第二原発が立地する。両者とも、既存の農漁村の住民を移転させ、村を潰して建設する予定で、最初の一基の着工が2014年、稼動が2020年に予定されていた。
第一原発が建つヴィンチュオン村 は、2012年より再定住区の建設と住民立ち退きが進み、整地や原発への送電網整備、海岸道路の拡張など、すべて終了している。日本の第二原発が建つタイアン村 では、道路整備こそ進んだものの再定住区の建設も始まらず、住民は残留している。
2014年1月、グエンタンズン(Nguyễn Tấn Dũng)首相が突如、建設延期を宣言した。着工は2020年以降となり、「完全な安全が保証されない限りは(原発建設を)行わない」という。しかし、ロシア側の受注企業 ROSATOMは2017年には着工するという談話を発表、情報が交錯していた。その後も着工時期は、2022年以降(2015年11月政府発表)、2028年以降(2016年6月ROSATOM発表)という風に延期され続けた。
2016年7月共産党政治局で白紙撤回が決まったという噂が、翌8月から流れ始める。党内にも推進派がいたが、結局、2016年10月の党中央委員会第4回総会で正式に合意、11月10日に国会へ白紙撤回の決議案が提出された。そして11月22日、国会で正式に決議されて、ベトナム初の原発建設計画は白紙撤回となった。
2.なぜ白紙撤回したのか
(1)財政難
日本のマスコミで最も強調されているのが、財政難という理由である。ベトナムが対外的にこれを公式の理由としたのであろう。ベトナムは外国からの借金、特に円借款が円高で嵩み、非常に国家財政が苦しい。原発建設コストも福島事故を受けて安全対策が見直され、当初予定より倍増していた。
(2)電力需要
原発計画が決定されて後、国内不況の影響もありベトナムの電力需要は予想ほど伸びていない。また風力や太陽光などの再生可能エネルギーの発展により、原発に頼る必要性が薄れてきている。
(3)人材不足
ロシアでは数百人、日本では数十人の規模でベトナムから留学生を受け入れ、原子力人材を養成していた。しかし初の原発を建設して運転するとなると、そのような規模の人材では追いつかない。政府内でもグエンクアン科学技術大臣が「人材不足で計画は遅延するのでは」と、当初より心配していたことが現実になったといえる。
(4)首相の交代
2016年4月、先頭に立って原発導入を推進していたグエンタンズン首相が失脚、交代して最大の推進者がいなくなった。ズン首相は親日・親米派としても有名であった。思い返せば、原発計画発表の当初にも政府内に科学技術大臣のような穏健反対派が見られ、首相だけが浮いていた印象である。
(5)フォルモサ公害事件
2016年4月、中部ベトナムのハティン省で台湾企業の製鉄所より猛毒の廃液が海に流出し、南北200kmの海岸に100トンの魚の死骸が上るという大公害が起こった。死者や病人も出た。被害と政府の無策に抗議し、工場の正門前で座り込んだ住民に弾圧が加えられ、けが人や逮捕者が出る大騒乱となった。「もしこれが原発だったら」という類推が多くの市民、そして政府関係者にもはたらいたと思われる。
(6)「住民」の反対
日本の報道では撤回の理由のひとつに「住民の反対を受けて」と書かれている。しかし住民とは原発立地の農漁村の人々ではない。そもそもニントゥアンの多数民族は原発反対の意見表明などしていない。反対していたのは少数の先住民族チャム人だが、ベトナム政府が彼らの声を聞いたわけではない。
ベトナムの場合「住民」は都市の知識人のことで、多数民族キン人であり、多くが共産党幹部という、政治的影響力の強い人々である。原発に反対する日本の知識人が、ネット等を駆使して行ったベトナムへのロビー活動はこの人々が対象であったが、それが一定の効果を上げたとも考えられる。
3.今後の展望―計画の再燃はあるか―
計画が白紙撤回になった後の2017年9月、ニントゥアンを訪問したところ、原発に反対していたチャムの人々は予想に反して暗い顔であった。整地とインフラ敷設の完了した第一原発予定地が、空のまま残っていて、ロシアや日本に代わり「中国の原発が来るのでは」と心配する。
一方でニントゥアン省内では初の風力発電所が稼動し、初の太陽光発電所の建設が着工した。原発計画再燃の可能性はゼロではない。しかし今回の白紙撤回を機に再生可能エネルギーが発展し、再燃の芽が摘まれることに期待したい。
おわりに
「グローバル市民社会の連携でベトナムの原発が止まった」と言えば、反対する市民にとっては非常に聞こえがよい。しかし、ベトナムの原発を止めたのは、漁協前に座りこんだ漁師のおかみさんたちではなく、国会前の数十万人のデモでもなく、政権を担う共産党幹部のうちの多くの反対であったと考える。
ベトナムの子どもたちの安全と健康を守ることにつながる彼ら彼女らの決定に賛辞を贈るとともに、ベトナムの原子力ロビーが、完成しないうちにとりあえず瓦解したことを心より喜びたい。
参考・引用文献
Green Trees – Vì một Việt Nam xanh (2016) Toàn Cảnh Thảm Họa Môi Trường Biển Việt Nam (ベトナムに緑を、ベトナムの海洋環境破壊の全貌 )
Hoàng Định Cơ (2017) Formosa - Thảm hòa cửa Dân Tộc Việt Nam(フォルモサ-ベトナム民族の大災害)
伊藤正子・吉井美知子編(2015)『原発輸出の欺瞞- 日本とベトナム、「友好」関係の舞台裏-』明石書店
Yoshii, Michiko. 2016, Indigenous Cham People and the Nuclear Power Plant Project in Vietnam, Cahier d’études vietnamiennes, No.24, Université Paris Diderot Paris 7, pp.83-109
吉井美知子、2017「ベトナム 原発計画はなぜ白紙撤回されたのか」『世界の潮』、雑誌「世界」2017年1月号、No.890, pp.25-28