サンフランシスコ講和体制と「和解」の構造

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サンフランシスコ講和体制と「和解」の構造

 

  筑波大学・国立公文書館アジア歴史資料センター

波多野澄雄

 

キーワード:サンフランシスコ講和条約、和解、戦後補償問題、戦争賠償

 

はじめに 

 冷戦下に形成された「講和体制」※(政府間和解)の特徴―

① 日米安保条約・行政協定と一体化し、日本の安全や国際社会への復帰のみならずアジア太平洋地域の国際秩序の安定をも考慮した体制

②「事実上の講和」―占領改革のプロセスと不可分の関係。

③ 賠償請求権の原則放棄 ―賠償と請求権の処理は二国間交渉へ

④「植民地帝国」の清算と一体化 ―植民地住民の国籍問題

 

Ⅰ.講和体制の形成と展開

1.講和体制の形成 ―1950~70年代(対日平和条約~日中和平友好条約)

 講和体制は、戦争や植民地支配に起因する歴史問題を解決し、今後起こりうる歴史問題も封じ込め、国内秩序とアジア太平洋の国際秩序の安定をもたらす基盤であった。講和体制は、1978年の日中平和友好条約によって一応の完成をみる。冷戦と自民党支配は講和体制の安定性を支えた。

 

2.講和体制の安定化―「国民受忍論」 ―1980年代

 1980年代には教科書問題や首相の靖国神社参拝問題が国際化し、日本国内でも日本人の戦争被害者による補償問題が顕在化するが、それらが新たな負担に結び付かないよう、封じ込める役割を講和体制は果たした。

その一方、日韓国交正常化交渉にみられるように、戦争賠償のみを想定し,法的枠組としての講和条約体制は,旧植民地の補償要求には対応できなかった。

   ①日本の援護立法の特徴―公務優先と国籍差別(恩給法と遺族援護法)の貫徹

   (国際標準としての「国民平等主義」と「内外人平等主義」)

   ②「国民受忍論」の展開と国家補償の回避 ―戦後処理問題懇談会(1984年)

   ③「特別の犠牲」に注目した「償い」― 原爆被害者、シベリア抑留、在外財産補償

 

3.戦後補償問題と講和体制の限界 ―1990年代

  1990年代前半、慰安婦問題や強制労働問題など「戦後補償問題」が、講和条約体制の外にあった中国や韓国から提起される。政府は講和体制を維持しつつ、それを補完するため道義的な観点から新たな「歴史政策」を模索する。冷戦と自民党支配の終焉は講和体制の安定を揺さぶった。

① 慰安婦問題とアジア女性基金―講和体制を越えられるか?

② 日本版「記憶・責任・未来」財団は可能か?

 

4.「サフランシスコ条約枠組み論」―2007年4月の最高裁判決

(1) 2つの戦後補償裁判(中国人強制労働問題、中国人慰安婦問題)について、「サンフランシスコ条約枠組み論」を展開し、個人の賠償請求権を認めないとする最終判決。

(2) 講和条約14条(請求権の相互放棄)の効力は、二国間の平和条約や賠償協定、講和条約の当事国ではなかった中ソとの共同声明(日中共同声明、日ソ共同宣言)にも及ぶものという解釈。

・判決文で展開された「サンフランシスコ条約枠組み」論。

 「この枠組みが定められたのは、平和条約を締結しておきながら戦争の遂行中に生じた種各々の請求権に関する問題を事後的個別的な民事裁判上の権利行使をもって解決するという処理にゆだねたならば、将来、どちらの国家又は国民に対しても、平和条約締結時には予測困難な過大な負担を負わせ、混乱を生じさせることとなるおそれがあり、平和条約の目的達成の妨げとなるとの考えによるものと解される。」

(3) 判決の意義と問題点

①請求権の相互放棄を定めた日華平和条約の効力は中国大陸に及ぶのか? ―最高裁は日華平和条約は中国大陸の国民には及ばないが、講和条約14条は日中共同声明にも適用されると判断

②日中共同声明第5項(中国は「日本国に対する戦争賠償の「請求」を放棄する」)について、中国国民の個人の請求権を含むのか。放棄の主体は中国政府のみではないか。

③被害国国民が補償を求めて日本の裁判所に訴える道を閉ざし、講和体制の安定化をはかる。

④歴史問題を法的に判断することは不可能として、解決を政府と国民に投げかけた。

⑤最高裁判決は、日韓基本条約・請求権協定には言及していない。

 

Ⅱ.講和体制と戦争責任

(1)講和前に終結していた国際軍事裁判(A級、BC級裁判)を講和条約にどう位置づけるか?

―第11条:日本は国際裁判の「判決を受諾」(accepts the Judgments)し,刑の執行にあたる。戦犯者の特赦,恩赦,減刑は日本の勧告に基づき連合国が決定。

日本語条文では「裁判を受諾」と意訳された。その意味は何か?

(2)戦犯釈放問題と国内政治

―戦犯釈放者に恩給支給、刑死者は「公務死」と認定される。戦犯者の「罪」とは何か?

(3)国際軍事裁判の意義が講和条約で明確に位置付けられなかったことは、過去の戦争の評価や検証を回避することを可能とし、国家が補償すべき真の戦争犠牲者とは誰なのか、戦争責任者とは誰なのか、など「平和国家」の内実を埋める作業をも妨げた。

 

Ⅲ.講和体制と賠償問題

(1)第一次大戦後の戦争賠償をめぐる国際外交は、それまでの敗戦国の戦勝国に対する「償金」という、損害回復をねらいとする二国間問題ではなく、国際政治経済システム全体の均衡回復と発展を促すという視点が重視される。第二次大戦後の対日賠償問題は、国際安全保障の確保、地域秩序の形成と安定、国内政治経済の改革という3問題と連動しつつ、アジア太平洋の国際システムとしての講和体制の安定と定着という観点から処理されてきた。

(2)米英の戦後構想の立案に関与していた経済学者・ケインズは、非軍事化された敗戦国は安全保障コストから解放され経済発展に邁進できるが、戦勝国は、敗戦国の占領管理のための費用を負担しなければならないという矛盾に着目

そこでケインズは、外国為替と一体化した特殊な貿易代金の清算制度を通じて、敗戦国から「世界平和維持費」の名のもとに貿易代金から一定金額を控除する方法を構想した。つまり、安全保障コストを旧枢軸国にも負担させようという仕組みであり、それは戦後賠償が一過性のものではなく、長期的に安全保障のコスト分担と貿易代金の決済を含む政治経済秩序にビルトインされるべき性格のものであった(浅野豊美編著『戦後日本の賠償問題と東アジア地域再編』慈学社、2013)

(3)「世界平和維持費」という概念を、初期の懲罰的性格の強い日本の賠償支払が、長期的な安全保障コストの負担を主眼とするものに転換する過程の分析に援用―日米関係の問題としての請求権問題、経済協力問題、ガリオア返済金の処理問題など。