核兵器禁止条約と市民運動の課題

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員であり、NGO「ピースボート」共同代表の川崎哲氏が、2017年11月26日、秋季研究集会にて、「核兵器禁止条約と市民運動の課題」というタイトルで、ノーベル平和賞受賞記念スピーチをしました。川崎氏は2006年、第1回日本平和学会にて平和研究奨励賞を受賞しています。 


日本平和学会 2017年度秋季研究集会

2017年11月26日

香川大学

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)ノーベル平和賞受賞記念スピーチ

「核兵器禁止条約と市民運動の課題」

川崎哲

 

 本日はこのような機会をいただきましたことについて、君島会長、石井理事ほか皆様方

に御礼申し上げます。

 

 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が今年のノーベル平和賞を受賞するというこ

とは大変な光栄です。これは、核兵器の禁止と廃絶に向けて尽力してきたすべての人たち

に向けられた賞であります。とりわけ、自らの苦しい体験を勇気をもって語り、この運動

を切り開いてこられた広島・長崎の被爆者の皆さんにこそ向けられた賞でもあると思いま

す。また、世界中の核実験の被害者や、その他核兵器に関わるあらゆる活動で生み出され

てきた核の被害者の方々にも、この賞は向けられています。

 

 ICANが今回受賞した直接の理由は、今年7月の国連での核兵器禁止条約成立に貢献

したことです。核兵器禁止条約は、被爆者や核実験被害者らが受けてきた耐え難い苦痛に

言及し、また、先住民族や女性たちがことさらに核の被害を受けてきたとの認識の上に、

いかなる核兵器の使用も国際人道法違反であるとしています。これら被害者の体験とその

声を踏まえて、核兵器に関わるあらゆる活動を例外なく禁止したのが、この条約です。そ

れゆえ、核兵器禁止条約は、軍縮条約であると同時に、人権・人道の条約でもあります。

 

 軍縮の議論だけであれば、国家の政府や軍が、議論を牛耳ることができ、彼らが最終的

な決定権を持ちます。しかし、これは人権・人道の議論であるからこそ、市民が発言権を

持ち、被害者が中心的な役割を果たし、市民運動が大きな影響力を行使できるのです。

 

 ICANは、2007年に核戦争防止国際医師会議(IPPNW)に集うオーストラリ

アの医師たちが立ち上げたキャンペーンです。2011年には国際事務所をスイス・ジュ

ネーブに置き、以来、核兵器の非人道性を訴えるノルウェー、メキシコ、オーストリアと

いった国々の政府また赤十字と協力しながら活動を展開してきました。今日、101カ国

から468団体が参加しています。

 

 ICANの執行部は、10団体からなる国際運営グループです。日本のピースボートは、

このうちの1つの国際運営団体です。

 

 ピースボートとICANの関わりについて少しご説明します。ピースボートは、創立2

5周年にあたる2008年、広島・長崎のメッセージを世界に伝えることが日本に本拠を

持つ国際平和団体としての使命だと考え、「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」として被

爆者の方々と船で世界を回り被爆証言をする活動を開始しました。これまで計170名以

上の被爆者がこのプロジェクトに参加しました。広島被爆でカナダ在住のサーロー節子さんは、その第1回に参加されたお一人です。節子さんは、来月10日にオスロで行われる

平和賞の授賞式で、ベアトリス・フィンICAN事務局長と共に、ICANを代表して受

賞スピーチをなさいます。

 

 被爆者と共に核兵器の非人道性を伝える活動が評価され、2010年、ピースボートは

ICANの設立当時の代表者ティルマン・ラフ氏に招待され、ICANに参加すると共に、

私はICANの副代表に就任いたしました。以来ピースボートは、ICANの中心的な団

体の一つとして活動を続けています。

 

 被爆者と共に核兵器の非人道性を訴えるピースボートや、他の多くの日本の市民活動は、

世界的なICAN運動のいわば土台の部分です。私には一人ひとりのお顔が浮かびますが、

本当に皆で力を合わせて苦労しながら、世界各地で語り続けてきました。行く先々で被爆

者たちを受け入れ証言会を準備してくださったのは、世界各地のICANの参加団体の皆

さんであり、また、平和首長会議に集う都市の市長さんたちです。被爆者の言葉はこうし

て木霊していきました。こうした過程を知る者としては、核兵器禁止条約の前文にヒバク

シャという言葉が盛り込まれたことは、驚きではなく、いわば当然の帰結だったと思いま

す。

 

 核兵器禁止条約はその第一条で、いかなる場合にも、核兵器の開発、保有、使用および

使用の威嚇、他国の核兵器の自国内への配備、そしてこれらの行為をいかなる形でも援助、

奨励、勧誘することを禁止しています。いかなる形でも援助、奨励、勧誘を禁止するとし

ていることは重要です。なぜなら、日本やNATO(北大西洋条約機構)諸国などは、自

らは核兵器を保有しないが、米国が核兵器を自らに代わって使用してくれることを求める

政策をとっているからです。「核の傘」というのは、曖昧な、物事の本質をぼかした表現

です。「核の傘」に頼るということは、直接的に言えば、核兵器使用の援助、奨励、勧誘

をするということに他なりません。

 

 これまで核保有国対非核保有国、あるいは、核兵器国対非核兵器国といった言い方が一

般的にはされてきました。しかし、核を保有する国は、単に保有のために保有しているの

ではなく、実際に使うことを前提に保有しています。だから、核武装国と呼んだほうが正

確です。そして日本やNATOなどの国々は、核武装協力国です。

 

 重要なことは、国際社会において、核武装国や核武装協力国は、圧倒的な少数派である

ということです。核兵器禁止条約は、国連加盟国の3分の2近くの122カ国の賛成票を

得て成立しました。これに対して、世界に核武装国は9カ国、協力国は30カ国程度です。

 

 国際法によって核兵器がいかなる場合においても許されない兵器であるということが明

確化された今、いまだに核兵器が必要だといっている一握りの国々の側にこそ、説明し行

動する責任があります。

 

 これら一握りの国々の政府は、核兵器禁止条約に対するネガティブ・キャンペーンを展

開しています。核保有国と非核保有国の溝を深めるとか、核保有国が参加しない条約には

実効性がないとか、NPT(核不拡散条約)に悪影響があるとか、安全保障の現実を無視

しているとかいって、核兵器禁止条約を批判しています。

 

 しかし、核兵器禁止条約が国際社会を分断したかのような物言いは、全くの筋違いです。

約50年前にNPTで核軍縮の明確な義務を課されたのにもかかわらずそれを誠実に実行

してこなかった核武装国の側にこそ問題があります。核兵器が国際社会を分担しているの

です。

 

 核武装国が当面この条約に参加しないというのは、その通りです。それでも、これまで

対人地雷やクラスター爆弾の例もそうであったように、核兵器を完全に違法化する条約が

できたことによって、政治的・経済的・社会的圧力が、核武装国に対する圧倒的な包囲網

となって、核軍縮を加速させます。核兵器の製造に融資することは、条約が禁止する「援

助」行為とみなされますから、核武装国は、核兵器を維持しようにもお金を調達すること

が困難になってくるのです。

 

 核武装国が慌て、苛立ちながら、この条約の悪口を声高に言っていることこそが、この

条約が効力を持っていることの何よりの証です。本当に実効性がないのだったら、彼らは

黙って無視していればいいわけですから。

 

 核兵器禁止条約は安全保障の現実を無視していると言いますが、まったく反対です。核

兵器が保持されている限り核兵器が使われる現実の可能性があり、核兵器は、ひとたび使

われたならば、それがどの国の誰による使用であれ、全世界規模で、取り返しのつかない

結末をもたらします。安全保障の現実を無視しているのは、核武装国の方です。核武装国

が自己の正当化を続ければ続けるほど、伝染病のように、核兵器は広がり、世界中に核兵

器が乱立することになります。それが人間の生存と安全にとって根源的な脅威であること

は、論を待ちません。

 

 核抑止論が誤りであることを論証することは、さして困難なことではありません。問題

は、核兵器にまみれた現状が仕方のないものである、変えられないものであるという人々

の認識です。この認識を変えることが、本当の課題です。

 

 さて、ICANという国際的なNGOの連合体で活動しながら、これからの日本の市民

運動また平和運動の課題として考えてきたことをお話ししたいと思います。

 

 このたびのノーベル平和賞は、ICANに贈られました。冒頭で核兵器廃絶に尽力して

きた人すべてに向けられた賞であるという意義を申しましたが、同時に、他でもないIC

ANが受賞したのだということもまた事実です。それでは、ICANの活動の特徴や意義

とは何でしょうか。

 

 私が中高生だった1980年代と違い、今日、広範な反核運動が存在する時代とはとて

も言えません。実際、ICANの活動は、ヨーロッパを中心にしつつも世界各地に点在す

る、少数ではあるがきわめて優秀なキャンペーナーたちによって支えられ進められていま

す。その意味で、数よりは質であります。少数でも、効果的に活動し、政府や政策立案者

らと関わり、マスコミに働きかけ、ソーシャルメディアを駆使することによって、圧倒的

な影響力を行使することができます。その多くが、20代や30代の若いキャンペーナー

たちです。長い世界の反核運動の歴史と蓄積を引き継ぎつつ、そのような力を持った若い

運動家たちが育ち活動しています。

 

 そのすべての側面において、日本社会は後れをとっているといわざるを得ません。

 

 私は核兵器廃絶に関わるNGO活動を約20年間やってきました。今回の平和賞受賞と

いう栄誉を得て、次に何がもっとも必要かと問われれば、日本において、非政府の分野で

核兵器廃絶や平和に関わる活動を進める次世代を作り出すことだと答えます。

 

 受賞後、多くのメディアから、私はなぜこの活動をやり、また持続することができたの

かと問われてきました。なぜだろうと自分で考えるうちに、3つのことが浮かびました。

一つめは、私が活動をすることを支えるコミュニティのサポートがあったこと。二つめは、

世界的なNGOの仲間との交流の中でたえず刺激を受けてきたこと。そして三つめは、現

状維持しかめざさない停滞した日本社会のあり方に対する強い反発心があったことだと思

います。

 

 第一のコミュニティのサポートというのは、私の場合、最初にこの活動を学んだNPO

ピースデポにいたとき、NPT会議など国際会議への派遣カンパを多くの方々がください

ました。年に30万円とか50万円という旅費を、皆さんが5000円ずつ、あるいは1

万円ずつ出してくださり、繰り返しサポートしてくださいました。そのような集団すなわ

ちコミュニティに支えられて、私は多くのことを学び活動することができました。

 

 今日私はピースボートで活動していますが、この場合、規模は圧倒的に大きいわけです

が、やはり、船を回しくという巨大事業を支える仲間たちが組織ピースボートの内外にた

くさんいます。活動を持続的に支えるコミュニティをしっかりと維持し拡大していく。こ

れが第一の課題です。これは大学や学者・研究者の世界にも共通する課題だと思います。

 

 第二に、国境を越えていろいろな国々に、とても情熱的で、優秀で、ユーモアあふれる

仲間たちと出会えてきたことは大変に大きなことでした。彼らと日常的に接することで、

自分の活動が前に進んでいることを絶えず確認することができました。

 

 日本国内では、なかなかそういう実感はもてません。日本では、いまだに平和活動や、

NGO活動全般への社会的評価が低いです。多くの他の国々では、NGOの仲間がまた政

府や国際機関、大学やジャーナリズムなど、さまざまな場に転身することが当たり前に行

われており、その逆の転身もあります。NGOは、彼らと対等な存在として認知されてい

ます。

 

 ICANの活動をしながら私は国際的に様々な発言の機会を得てきました。しかし、日

本国内では、そのような機会は限定的でした。別に賞がほしいというわけではありません

が、私は今回のノーベル平和賞の前に、賞というものをいただいたのは、11年前に日本

平和学会の第一回平和研究奨励賞が唯一です。

 

 第三に、ひたすらに現状維持しか求めない日本社会の空気に対する苛立ち。これは、私

が運動に関わるうえで実は非常に大きな要素です。大学生の頃1991年の湾岸戦争に対

して反対運動を起こしたことが、私にとっては初めての平和運動への関わりでした。その

ときの原動力は、戦争が起きようとしているのに何ら行動を起こそうとしない、あるいは

議論すらしようとしない当時の学友たちに対する苛立ちでした。

 

 日本では、現状は現状の通り仕方のないものであるということを説明することが学問で

あるとみなされ、それを解説することが識者やコメンテーターの主要な仕事になっていま

す。しかし、何かが間違っているとき、これは間違っていると声を上げ、間違いを正すた

めの道筋を示すことこそが、本来の知識人の役割ではないでしょうか。

 

 昨年から今年にかけて、核兵器禁止条約の交渉が思いの外早く進んでいたときに、私は

日本のある先生にお話しして、来るべき核兵器禁止条約の内容について論点や選択肢を、

学術ペーパーとして出せませんかと相談したことがあります。そのときにその先生から、

学者が研究を行う際には、研究プロジェクトを立ち上げて研究費を申請してから研究をす

るので、成果を出すまでに最低1~2年はかかる、半年先の状況に提案を出すことはなか

なか難しいと言われました。このことは、忘れられません。そこで言われることはよく分

かります。でも、何かが間違っていると思います。

 

 核兵器廃絶(abolition)は、よく、奴隷制廃止になぞらえられます。私はまた、核兵器 禁止条約は、規範を形成し、規範によって悪を正し無くすことをめざすという意味におい て、子どもの権利条約にも似ていると思います。また、近年の日本社会の状況を考えると きに、派遣村に代表される反貧困の運動や、保育の惨状を訴えた「日本死ね!」の投稿、 あるいは過労死、LGBT、最近では職場におけるセクハラを告発する運動が脚光を浴び ています。

 

 これらすべてに共通するのは、社会に当たり前のこととして存在する問題や矛盾につい

て、これはおかしい、これは問題であって許されないものであるということを誰かが言葉

にして発し、その言葉が木霊して、社会を変えてきたということです。それは、人間の権

利を基本においたすべての社会運動に共通するものです。

 

 人類を皆殺しにすることが明らかな兵器を、やれ国家安全保障のためだといった詭弁を

弄して、単に現状維持のためだけに維持し再生産し続ける。そのようなことに対して、そ

れは異常であり、間違っていると誰かが声を上げなければいけません。

 

 日本で平和学、平和研究、そして平和活動に携わるすべての人々は、そのような声を上

げる勇気と、そのような声を広げるための工夫と、変革のための道筋を示す知恵を持たな

ければなりません。そして、それらをさらに若い世代に伝える責任を負わなければなりま

せん。

 

 ご静聴ありがとうございました。

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