日本平和学会2017年度秋季研究大会 報告レジュメ
2016年10月23日
アフリカ分科会報告
人道支援と受益者社会
ダルフール紛争避難民に対する人道支援を事例に
武庫川女子大学英語文化学科 教授
早稲田大学 アジア・ヒューマンコミュニティ研究所 招聘研究員
堀 江 正 伸
キーワード:スーダン、ダルフール紛争、人道支援、国内避難民、国連改革、
1.はじめに
本報告は、2004年から開始され今日まで継続しているスーダン・ダルフール地方における人道支援が、受益者社会に及ぼしている影響を紹介するものである。発表者は2016年春季大会にて「国内避難民の保護、支援の枠組みから生まれたもの」と題した報告を行った。報告では、国際連合をはじめとした国際社会が、「国内避難民」への人道支援という新しい分野に乗り出したことから生じた組織改革や制度改革に焦点を当てた。ダルフールの国内避難民は、そうした国際社会に組織改正や制度改革を迫った事例の一つである。
発表者は、前回発表した国内避難民への人道支援に関する組織改革・制度改革の根拠と、それらの受益者社会へのインパクトを分析するにあたり、ダルフール紛争下に出現した国内避難民キャンプにて3年間のフィールド・ワークを行った(2008年~2011年)。今回の報告では、フィールド・ワークでの発見、特に人道制度改革において見過ごされている点を中心に人道支援の問題点を考察してみたい。
2.ダルフール紛争
ダルフール紛争は、2003年に反政府軍(スーダン解放軍、Sudan Liberation Army)がダルフールの中心都市エルファシャール(El Fasher)の飛行場を攻撃したことに端を発して勃発したと言われている。反政府軍は、中央政府による開発支援などにおける地域的格差に不満を持っていたとのことである。スーダン政府はこれを好機ととらえた節があり、現地の遊牧民を民兵として徴用、アフリカ系農耕民と分類される人々の村々を攻撃した。
「アフリカ系農耕民と分類される」としたのは、ダルフール紛争が国際的に注目を集める段階で、民兵が遊牧民であったことや、スーダン政府とされる人々が「アラブ系」と称されていたことから、国際社会がダルフール紛争を「アフリカ系農耕民とアラブ系遊牧民の戦い」と理解していたったからである。また、地球温暖化とともに砂漠化が進行したり、気象パターンが変化したりしたことも紛争を激化させる一因であったこともこの認識を定着させることとなった。当時国連事務総長を務めていた潘基文も公式に表明している。
しかしながら、この国際社会による二項対立的な分類は、その時々で変化する議論の目的による安易な分類であるとの批判もある(El Tom 2006)。ダルフールに住む人々は、紛争が起こる以前から何世紀にも渡り生活の場を共有してきた。そのような社会を、国際社会が単純化し分類することが、ダルフールの人々に生じた亀裂を深刻化するのではという指摘である。
紛争以前に行われた人類学や歴史学調査に基づいた研究からも、ダルフールの住民を分類することは容易でないことが分かる。ダルフールとは「フール人の土地」という意味であるが、そもそも「フール人とは誰か?」という疑問さえあるのである(O’Fahey)。
ともあれ、ダルフールでは約160万人が国内避難民となり、約20万人が隣国へ避難して難民となった。国際社会の最重要課題は、彼らへの支援をどのように行うかということであった。
3.人道支援
2004年には国際社会による人道支援が開始された。その分野は当時策定中であった人道支援制度に沿う形で、多岐にわたった。例えば食糧支援、健康、栄養、シェルターなどの分野である。やがて港湾施設もないダルフールで200万人近い受益者を対象として行われた人道支援は、巨大なオペレーションとなっていった。
人道支援については、将来的な平和構築にとって益であるとの見方もある。例えば篠田は、人道支援は紛争当事者の穏健な態度を引き出し紛争解決の糸口になるとの見解を示している(篠田 2013)。またアンダーソンは、援助物資は人々が戦争と関係のない活動において協働する機会をもたらす可能性を示唆している(アンダーソン 2006)。しかし、当時の国連人道問題調整局(OCHA)が取りまとめた国際的な支援計画を見てみると、「平和構築」という単語は見当たらない。発表者も人道支援を行うにあたり、そのようなことを意識したことはない。
逆に人道支援に関する批判的研究は、海外を中心に多数ある。前出のアンダーソンは、人道支援機関従事者が受益者社会の背景に対して十分な理解を持たないまま支援を行うことで、受益者社会に緊張を作り出してしまうことを紹介している(アンダーソン 2006)。また、ポルマンは、支援物資が軍事に従事する人々の糧となっていることも指摘している。ポルマンの著書名「クライシス・キャラバン」は、そのような社会的緊張をよそに、次から次へと新しい人道危機に夢中になる支援機関や従事者を皮肉ったものもある。実際、一時は「史上最悪の人道危機」と呼ばれ巨大オペレーションが行われたダルフールであるが、今日その名を耳にすることは稀である。人道的状況にさして進展が見られないにも関わらずである。
4.受益者社会と人道支援
発表者は、ダルフールに形成された国内避難民キャンプで3年間、フィールド・ワークを行った。目的はは、人道支援が受益者社会に与える物資以外のインパクトを知ることと、受益者たちがどのように未来を切り開こうとしているかを理解することであった。その結果、一例ではあるが支援機関が無意識に新たな「伝統的統治システム」を構築していることや、民族的分離を強化してしまっている事例が明らかになった。また、国際社会が「難民」に行う「人道支援から帰還を目指す」という支援をそのまま国内避難民にあてはめ行うことによる弊害も明らかになった。
さらに、人道支援を受けながらも、国際社会が彼らの「敵」と認識する遊牧民との関わりを再構築しようとする人々の姿や、人々が集合的に生活しているからこそ生まれる新しい産業形態の一端も明らかとなった。
5.長期化する人道支援への提言
発表ではフィールド・ワークから明らかになった受益者社会の動向を基に、長期化する人道支援への提言を行う。例えば、新しい産業への支援や、人道支援へ平和教育を組み合わせることなどである。人道支援の方法そのものについても、社会変容に対するモニタリングの実施と機関間での情報共有など、実務経験者という視点も生かし実現性のある提言をしてみたい。
主な参考文献
アンダーソン・メアリー・B(2006)大平剛訳『諸刃の援助』明石書店。
篠田(2013)『平和構築入門‐その思想と方法を問い直す』筑摩書房。
ポルマン・リンダ(2012)大平剛訳『クライシス。キャラバン』東洋経済新報社。
El Tom, Abdullahi Osman. 2006, “People: Too Black for the Arab-Islamic Project of Sudan Part II” in: Irish Journal of Anthropology, Vol 9, No. 1, pp 12-18.
O’Fahey, RS. 2008, The Darfur Sultanate-A History, London: Hurst.