日本平和学会2017年度秋季研究集会
報告レジュメ
永い闘いの終わりの始まり
豊島産業廃棄物不法投棄事件-42年の闘い
廃棄物対策豊島住民会議
安岐正三
第1期 住民の敗北(県が業者に加担) (15年間)
1975年12月 業者が香川県に有害産業廃棄物の処分場建設許可を申請
1976年 2月 豊島住民が建設反対運動に立ち上がる(1425人が反対署名、陳情など)「知事、豊島は空も海も青くて綺麗だが、住民の心は灰色だ」
1977年 2月 「産業廃棄物持込絶対豊島住民会議」を結成
3月 知事が許可方針を表明、住民フェリー借上げ高松港で決起集会、県庁へデモ行進(515人)
6月 住民が高松地裁に処分場建設射し止め訴訟を提起(584人)
6月 住民が業者の違法通行に道路両側の土地を買い取り杭打ち行動(259人)
1978年 2月 県が業者にミミズ養殖による土壌改良事業として許可決定
10月 住民と業者が高松地裁で和解、県(許可と同じ知事)が住民に監視を約束「悪いことはさせません」
1983年 業者がミミズの養殖をせず、有害産業廃棄物の不法投棄はじめる。野焼きに苦情激増
1984年 6月 県は業者の不法投棄を「合法」と認める
1990年11月 兵庫県警が業者を強制捜査・不法投棄が終わる
第2期 住民の勝利(壮大な戦い) (10年間)
1990年11月 住民が「廃棄物対策豊島住民会議」を再結成(今日まで続く)
12月 県が業者の許可取消
1991年 1月 兵庫県警が業者を逮捕
7月 神戸地裁姫路支部が業者に懲役10月、執行猶予5年の判決言渡
1993年 4月 住民が刑事公判記録の入手「事件の本質が見え始める」
11月 公調委に公害調停を申立(中坊弁護士が代理人に)
住民約束「先祖伝来のふる里豊島を守るためにトコトン闘う」
12月 住民が県庁前「立ちんぼう行動」開始(翌年5月末まで実施)
12月 県が処分地に「安全宣言」
1994年 12月 公調委が2億3600万円をかけ、専門委員による廃棄物実態調査を閣議決定
1995年 5月 専門委員が中間報告
実態調査結果と県「安全宣言」違い明白
1996年 2月 住民が高松地裁に提訴(業者に対する廃棄物撤去と損害賠償請求。245人)
6月 厚生省が県を批判
8月 管厚生大臣が現地視察「想像を絶するひどさである」
9月 住民が夜行バスで、東京銀座に廃棄物を持ち込み抗議行動
10月 橋本総理大臣が国の財政支援を表明
12月 高松地裁で住民が業者に勝訴
1997年 6月 地元県議が住民運動を「根無し草」と批判
7月 土庄町全戸6000戸ローラー作戦開始
7月 中間合意が成立、技術検討委員会が発足
1998年 7月 住民が香川県100か所座談会を開始(1999.3月迄)
1999年 1月 住民が業者を破産させたうえ、破産管財人から処分地を取得
4月 小豆選挙区で住民が県議立候補、当選
2000年 6月 公害調停成立(処理協議会・管理委員会等の設置)
第3期 県と住民との協働(廃棄物との闘い) (17年間)
2000年11月 瀬戸内オリーブ基金オリーブ植樹(1002本)
2001年 7月 汚水流失防止の遮水壁ができる
2003年 5月 水ヶ浦北海岸の干潟にアマモ回復、緑のジュウタン現れる
8月 「豊島・島の学校」を開校
9月 県が廃棄物の撤去作業を開始
2004年 1月 小泉総理大臣、現場視察オリーブ植樹(10本)
5月 小池環境大臣、現場視察オリーブ植樹(2本)
6月 水ヶ浦北海岸の砂浜にシオマネキ戻る
2005年 3月 調停条項変更、高松市ダイオキシン汚染土壌(新開西公園)に関し協議「合意」
2010年 6月 調停成立10周年集会
真鍋知事オリーブ植樹(2本)「豊島から環境立県」
8月 調停条項変更、汚染土壌水洗浄処理協議、「合意」
2011年 8月 廃棄物等総量905.000t処理期間3年6か月延びる
2012年10月 調停条項変更、汚染土壌セメント原料化処理追加協議、「合意」
2013年 1月 石原環境大臣、産廃特措法に基づく「実施計画」変更に同意
2017年 3月 県が廃棄物等の撤去終了
浜田知事オリーブ植樹(2本)「循環型社会を目指して」
6月 無害化処理終了
「燃やして・溶かして・無害化して・再利用」
「第2第3の豊島をつくらない」
第4期 永い闘いの終わりの始まり (豊かで美しい島へ)
1975年 人口 2300人 ⇒ 2017年 人口 850人
1993年 調停申請人549人 ⇒ 2017年までの物故者323人
<残された課題>
豊島が瀬戸内海国立公園という美しい自然の中でこれに相応しい姿を現す
地下水の浄化
処分地の原状回復
闘いの総括と記録