日本平和学会2017年度秋季研究集会
報告レジュメ
「復興」が置き去りにする被害
仙台高専
鴫原 敦子
キーワード:東電福島第一原発事故、健康不安、「広義の被害」、予防原則、平和的生存権
1.はじめに-原発事故「被害」像の矮小化に抗う
東日本大震災から6年半が経過した被災地は、「集中復興期間」を終えて「復興再生・創生期」という次のステージに入ったとされる。しかし巨額の時限付き復興資金の集中投下と、中央から提示された数々の事業メニューから成る復興政策は、「惨事便乗型復興」(綱島,2016)や、「復興<災害>」(塩崎,2014)との指摘、また「復興は失敗だった」との評価(山下,2017)が提示されるに至っている。
他方、復興の新しいステージに入って以降、権力側から発せられる「心の復興」「心の除染」といった言説は、時間の経過とともに多様化・複雑化する問題群を、個々人の内面の問題へと転嫁する。とりわけ原発事故後の健康への影響については、現時点では予測・把握困難な被害が将来的に生じる可能性も否定しえず、被災地住民や避難者の中には、健康不安を抱えての生活を余儀なくされている人も少なくない。
こうした状況下で2017年3月末、「自主避難者」への住宅支援が打ち切られ、緊急時の措置として事故後引き上げられた年間追加被ばく線量20mSv以下で居住可能との判断から、帰還促進策が進められている。今後の避難指示解除に伴う「『強制避難者』の『自主避難者』化」(除本,2013)の問題が指摘されるように、被害者が被害者でなくさせられていく過程としての「復興」が進められているのである。
公害被害を「健康被害を起点に派生する被害の総体」と捉える被害構造論(飯島,1993)を参照すれば、原発事故に伴う被害には、健康被害が今後生じるかもしれないという不安(わからなさ、不確実性)を起点にして派生する「広義の被害」も含まれうる。それを個々人の受け止め方の問題として処理することは、公害経験の教訓である予防原則を軽視し、原発事故「被害」像を矮小化するものと言わざるをえない。
本報告では、このような被害実態がありながら原発事故「被害」像の周辺部におかれた状況に着目し、「復興」のもとで置き去りにされる被害を可視化することを試みる。
2.「復興」はどう機能しているか
そもそも3.11後の「復興」はどのような意味をもって掲げられ、実態としてどのような役割を担うことになっているのか。2011年6月に復興構想会議から提出された『復興への提言』や、2014年4月に復興推進委員会から出された提言『「新しい東北」の創造に向けて』では、「単なる『復旧』ではなく新しい日本の創生」「人口減少、高齢化、産業の空洞化といった日本全国の地域社会が抱える課題を解決し、我が国や世界のモデルとなる未来社会の創造」というビジョンが掲げられている。これらが示す通り、その視点は東日本大震災を奇禍として日本経済の再活性化をめざす経済成長戦略である。もっとも復興基本法では「被災地域の住民の意向が尊重」されると謳われ、復興基本方針においても「被災地域のそれぞれの個性に着目して、地域の資源を活かした地域・コミュニティ主体の復興を基本とする」と述べられてはいる。しかし具体的には、震災前から出されていた財界要求に沿った国際競争力ある地域産業への構造転換を図るものや、企業が進出しやすい環境整備等に主眼がおかれ、「復興」は再開発の論理に転換されている。
「国の支援と誘導の下での統御された復興となるおそれ」(本多・大田,2012)と当初から指摘されていたとおり、「復興」は被災者の暮らしや生存基盤の再生よりも経済施策に重点がおかれ、現存する被害実態、被災者の具体的困難な生活状況を置き去りにし、むしろそれらを覆い隠す役割を果たしてしまっている。
3.健康不安の「心の問題」化
チェルノブイリ原発事故後の被害状況が31年経った今なお現在進行形であることが示す通り、原発事故特有の晩発性の問題が現世代の将来及び将来世代にどのような影響を及ぼすのかについては、未だ結論づけることはできない。しかしながら、福島県民健康管理調査での甲状腺がんの多発が疑われる事態に対し、「スクリーニング効果」であり「原発事故との因果関係は考えにくい」との説明が繰り返され、福島県外に至っては、国による包括的な健康調査すら未だ行われていない。心配すること自体が健康面や子供の発達に悪影響を及ぼすとして展開される「リスクコミュニケーション」のもと、健康影響に対する不安は、個人の性格や価値観、考え方の問題へと転嫁されている。
例えば報告者が居住する宮城県においては、地震・津波被害の「激甚被災地」とされながら、南部地域に広がる放射能汚染の実態とそれに伴う社会的影響はあまり認知されていない。未曾有の津波被害の陰で原発事故被害については当初「なかった」ことにされ、被害を語ること自体が風評被害を生むとの認識から、不安や汚染実態を指摘する声は「復興」や「地域再生」の足かせとして受け止められる。汚染状況重点調査地域に指定された市町村が多数存在するにもかかわらず、十分な対応施策が施されてきていない同様の問題状況は、「低認知被災地」(原口,2013)として指摘される北関東地域にも広がる。子ども・被災者支援法の対象地域に含まれなかったこれらの地域では、除染や健康調査などは個別自治体の判断に委ねられており、予防原則にたった施策を求める声が根強い。
他方、これらの地域では原発事故後、公的支援や救済を求める動きが見られ、自ら汚染の実態を把握するための線量測定や自主検診活動、学習会や語りの場づくりといった主体的な市民活動が展開されてきた。自治体からの十分な対応が施されない地域での市民の主体的活動は、原発事故によって破壊された地域社会内のセーフティネットを、市民が自ら再構築しようとする動きでもある。除本が「地域社会の多面的機能」を指摘するように、震災を経て再評価された地域社会の共同性は必ずしも経済性に還元しうる価値のみを内包してきたわけではない。例えば母子避難を選択した人々が「安全なケアの基盤の喪失」(山根,2013)によって住み慣れた土地を離れたように、地域社会内には、人間関係および自然環境との関係性の中で守られてきた子育てなどのケアの基盤としての機能も内包されてきた。
これらの機能を再び取り戻すための市民活動が眼差しているのは、国がシナリオとして描くような「復興」ではなく、個々人の尊厳と平和的生存権が真に守られる社会であり、生命の再生産が地域社会の中で持続可能な社会、多様なコミュニティが自律的に地域の将来を自己決定していけるような社会の実現である。こうした眼差しは、むしろ震災以前から日本社会が抱えてきた国家と地方の関係性のあり方、経済成長優先社会の矛盾を根本的に問い直す視座を提起している。
4.おわりに-誰にとっての、何の再生か
世界のモデルとなるような未来社会、「原発事故の克服」の発信が目指され、日本経済の再生と並列におかれた被災地の経済再生が求められる中で、必ずしも利権や収益性に結びつかない健康影響への施策や予防原則にたった対応は、「復興」の蚊帳の外におかれる。しかしそもそも核被害からの「復興」「再生」は、どこまで可能なのか。あるいはそれを語ることがどのような意味をもち、それゆえに権力にどう利用されるのか。「復興」「再生」を誰が語るのかによって、その内実は非常に多義的である。
戦後開発下での地方の弱体化、地場産業の停滞、人口減と逼迫する財政状況の中で、震災前から「地域再生」という課題と向き合ってきた自治体にとって、突如突き付けられた放射能汚染の問題は、確かに「再生」の足かせとなる問題でもある。しかし原発事故を生みだした社会への回帰に抗うには、3.11が露呈した根本的問いを再び不問に付することなく、原発事故がもたらした被害の総体を浮き彫りにし、被害者が求める施策、制度的対応を明示化することが不可欠である。そのうえで個々人の平和的生存権の奪還と、国家による再開発・再統治に回収されない、自律的な地域社会の「再生」への道筋をいかに描くのかが課題となろう。
【参考文献】
- 塩崎賢明(2014)『復興<災害>―阪神・淡路大震災と東日本大震災』岩波書店.
- 綱島不二雄他(2016)『東日本大震災復興の検証』合同出版.
- 山下祐介(2017)『「復興」が奪う地域の未来―東日本大震災・原発事故の検証と提言』岩波書店.
- 伊藤浩志(2017)『復興ストレス-失われゆく被災の言葉-』彩流社.
- 飯島伸子(1993)『環境問題と被害者運動』学文社.
- 山根純佳(2013)「原発事故による『母子避難』問題とその支援-山形県における避難者調査のデータから-」『山形大学人文学部研究年報第10号』37-57頁.
- 除本理史(2013)『原発賠償を問う-曖昧な責任、翻弄される避難者』岩波書店.
- 原口弥生(2013)「低認知被災地における市民活動の現在と課題」『「3・11」後の平和学』日本平和学会編.
- 清水奈名子(2017)「被災地住民と避難者が抱える健康不安」『学術の動向』第22巻第4号.