在日米軍基地をめぐる論争とその視角

ダウンロード
11月25日軍縮・安全保障分科会(川名).pdf
PDFファイル 130.2 KB

日本平和学会2017年度秋季研究集会

報告レジュメ

 

在日米軍基地をめぐる論争とその視角

 

東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院

川名 晋史

 

 

キーワード: 米軍基地、左右論争、平和研究、戦略論、外適応、システム論

 

1. はじめに

 在日米軍基地の問題は、日本においては一般に、日米同盟の運用に関連する数多の問題群の一つとして、ないしは抑止や勢力均衡といったより上位の戦略目標の達成手段(日米同盟の運用問題)として位置づけられてきた。あるいは、それとは逆に、政治的・社会的文脈において争点化されたローカル・イシューとして扱われることもまた多であった。単純化を厭わなければ、そこから導かれる政策目標は、前者においては基地の維持あるいは拡大にあり、後者はその削減もしくは撤退にあるといえた。国家の安全保障と国内の政治的/社会的厚生の増大という2つの目標を同時に満たすような政策はトレードオフとみなされ、それを導くための理論的枠組も十分に検討されてこなかった。

 本報告では、戦後の在日米軍基地をめぐる論争を左右の一次元空間から一旦取り出し、歴史研究や社会学を包摂した新たな枠組みに置換したうえで、基地研究がもつ潜在的な理論的、政策的領域を展開しようとする。

 

2. 論争の位相

 

 民主主義国家における基地のステークホルダーの選好は、基地政治にかかる外部環境(国際的な戦略環境)と内部環境(国内の政治的・社会的環境)への反応型、すなわち外部環境に対する最適化を図る「戦略適応」と、内部環境への最適化を企図する「政治適応」の関数として表出する。図の横軸(戦略適応)は外部環境、すなわち国際的な戦略環境からの圧力に対して望ましいと考えられる適応の期待値である。外部環境からの圧力(例えば、侵略や武力衝突の危険性、パワーバランスの不利な変化)への適応を高めようとすれば、選好は右に移行する。縦軸(政治適応)は、個々の主体が内部環境、すなわち国内政治・社会環境からの圧力に対する適応の期待値を示している。内部環境からの圧力(例えば、政治的正当性の低下や事件・事故の危険)への適応を高めようとすれば、選好は上に移行する。こうして出来上がる4つの象限は、相互に異なる分析アプローチ(上段)と政策目標(下段)をもつ。各象限には代表的な研究群(アプローチ)とその典型的な政策目標を示してある。

 

3. 平和研究

 第1象限は「平和研究」の領域である。分析の中心は、日本の国内政治環境ないし社会的課題(への対応)にあり、基地の受容に付随して生じる政治的正当性、構造的暴力、権力、主権侵害等の問題に焦点が当てられる。後述の第4象限が「国家安全保障」の領域だとすれば、第1象限は「人間の安全保障」の領域である。基地は社会や個人に対する「直接的暴力」ないし「構造的暴力」の因果を同時に構成するとともに、「人間の安全を損なう深刻な脅威」として捉えられる。国内政治圧力への反応として出現するその政策目標は、自ずと基地の削減、移設、撤退へと引き寄せられる。

 ここでの学術的な目的は、直接的であれ、構造的であれ、基地に由来する何らかの暴力の因果性を明らかにすることにある。また歴史的にみれば、そこでの分析対象は徐々に本土から沖縄へと移行してきたが、その一方で、基地が生み出す暴力の構成要素は一貫して、1)事件・事故、2)構造的差別、3)基地経済に見出されてきた。

 

4. 戦略論

 第4象限は「戦略論」の射程である。分析の焦点は、国際安全保障環境への国家としての適応、すなわち、適切な基地の配置、機能、部隊運用等の設計の問題にある。日本に基地が置かれる理由は、それに先立つ日米の安全保障上の脅威の特質に見出される。たとえば、戦後初期の本土の基地は、対共産圏ないし対日「封じ込め」の論理によって定位され、今日の沖縄は米国の対中戦略や技術上の必要性、あるいは特定の施設が担うより一般的な軍事的機能の観点から説明される。そうでない場合には、沖縄に基地が存在することが第三国に与える心理的、認識的効果にその根拠が求められる。日本単独の戦略的視点に立てば、米国を日本の安全保障に「巻き込む」ための装置として位置づけられることもある。それらは各々「対処論」、「抑止論」そして「トリップワイヤー論」として知られるものである。

 

5. 外適応

 第3象限は「外適応(exaptation)」の領域であり、そこには外交史や経路依存論(歴史的制度論)などが帰属する。基地政治における外適応の概念は、他の基地政策によって生じた「副産物」か、あるいは元来、特定の機能を持たなかった基地がその後、後付け的に環境適応的な機能を獲得するように変化したものとして定義される。第3象限では、所与の環境からの演繹ではなく、歴史的な側面が重視される。そこでは環境圧力への適応が全く指向されないわけではないが、それが現実的に従わなければならない歴史的な制約条件に重きが置かれる。また、日本の基地政策は、過去から受け継いできた「歴史」として、現在までに固着化されている諸制約にわずかな改良を加える方法でしか変化させることはできず、所与の環境に対する最適解を一からデザインできるわけではないと考える。

 

6. システム論

 第3象限が「歴史」の領域だったとすれば、第2象限は「システム」の領域である。それは米国の海外基地ネットワークの「システム」としての特性を、それを構成する数多のエージェント間の相互作用とフィードバックの効果が表出する世界として捉えようとする。すなわち、個別の基地はシステム全体の挙動(たとえば、西太平洋地域における基地の動態)の決定に参加し、逆に全体は個別の基地のあり方(兵力規模、基地配置等)を規定するものと捉えられる。このような見方からすれば、基地政治を形成する力はシステムの構成要素間の非線形的な相互作用をつうじて出力されるものである。そのため、たとえば、基地に関連するいくつもの事象(例えば、事故や事件、政治家の失言等)が結合され、その影響がそれらの総和ではなく相乗的に現れたとき、その結果を中央統制的に制御することはできない。基地政治に平衡状態は存在せず、したがって、政府の政策も下位アクターとの不断の調整の結果として表出されるものでなければならず、環境圧力に応じた柔軟な基地システムの変更(再編)が必要になると主張される。

 

7. おわりに

 こうしてみると、第1象限(平和研究)と第4象限(戦略論)は、その設計的思考を一にするものの、演繹の前提たる命題(基地は人間の安全保障への脅威である/基地は国家の安全保障の手段である)を異にしており、出力される政策目標を両立させるのは容易ではない。もっとも、両者の相違は絶対的なものとはいえず、推論ないし政策判断をしようとする者がもつ環境適応(政治適応/戦略適応)への期待値の差として表れるに過ぎないことから、条件次第では、他の象限への接近やそれとの対話の道が必ずしも閉ざされているともいえない。

 第2象限(システム論)と第3象限(歴史研究)は、適応の可謬性や偶発事象に対する認識に若干の違いがみられるものの、その発生的な思考と政策目標に対するアポステリオリな志向性を共有する。さらに、第3象限においてはそれ以外の3つの象限と位相角を共有するがゆえに、議論の本質は他の象限のそれと矛盾しない。歴史の研究においては、第1・第4象限でみられたような基地政治の因果(なぜ)にではなく、過程(いかに)のほうに、分析の重心が置かれるのである。

 このような関係性をもつ4つの領域は、基地をめぐる論争を「適応性」の観点から立体化することによってはじめてその理論的根拠とともに析出されるものである。従来の左右の一次元空間では、とりわけ歴史研究とシステム論の領域が不可視化されてしまうが、基地をめぐる論争を適正に評価し、立位するには当該領域の明示がどうしても必要である。なぜなら、この二つの領域は戦略論と平和研究の間に生じる緊張を散逸させ、それがなければ起こり得る議論の衝突や相互不干渉を回避する調整弁としての機能をもつからである。