日本平和学会2017年度秋季研究集会
報告レジュメ
ガンディーの非暴力への実践より
─糸紡ぎワークショップ─
片山佳代子
キーワード: ガンディー、糸紡ぎ、非暴力、糸車、手仕事、平等、糸通貨
1.はじめに
本報告では、ガンディーの糸紡ぎの実践について、なぜ糸紡ぎが重要なのか、平和とどういう関連があるのかについて、解説したい。
2.貧困こそ最大の暴力である
「経済戦争も武器による戦闘と同じくらい悲惨です。武器の戦いが外科手術であれば、経済戦争は延々と続く拷問です」(M.K.Gandhi 1926)。
「3億9千万人の死骸の上に1千万の人々が生きている光景には耐えられません」(ガンジー 1999)。
「人々の必要を考慮することもなく、人々が貧困に陥る危険をも顧みないでより多くの金貨をかき集めるために生産が続いていく・・小人数の懐に不自然に富が蓄積し、残りの人は、巷には物が溢れているにもかかわらず欠乏した状態に置かれる」(ガンジー 1999)。
「私にとって、インドのあるべき経済構造とは、またそれは世界についても同じですが、誰一人として食料および衣類に不自由しない状態を指します。つまり、すべての人に生活を維持できる仕事があるということです。この理想的状態を全世界で実現しようと思えば、生活必需品を生産する手段は庶民が確保しておく必要があります」(ガンジー 1999)。
機械所有者が富をかき集める一方で、労働者にはスズメの涙程度の賃金しか与えられていないことから、格差・貧困を生んでいるのは、機械化・工業化であるとガンディーは見抜き、手仕事に戻ることを主張した。また、不平等・格差によって、人々の心に恨み・怒りが生じ、暴力を肯定する思想へとつながるので、怒りを昇華する非暴力の思想を説いた。
3.非暴力の象徴は糸車である
(1)足るを知る生き方
自ら手を動かして作ったものは、簡単には捨てられない。それは、物の真価がわかり、大切にするからだ。そこから足るを知る生き方につながり、環境負荷を減らすことが可能である。資源を奪い合わなくて済むので、戦争の要因が減ることにもつながる。そして、本当に必要な物はそれほど多くないことに気づき、必要最小限で豊かに暮らせることが平和に繋がっていくと考えられる。
(2)手仕事が人を成長させる
手仕事により忍耐が培われ、協力してくれる人のありがたさを知ることになる。糸を紡いでいる際に、心に怒りなどがあると、つい力が入って糸が切れてしまうので、心を落ち着ける必要がある。一方で糸紡ぎに集中していると、心が穏やかになってくる。ガンディーは、インド独立運動において、集会中の市民にイギリス政府が派遣した軍隊が無差別に発砲したアムリットサル虐殺事件が起きた4月13日を贖罪の日と定め、断食と糸紡ぎで過ごすように勧めた。
(3)平等とは、皆が労働者になること
皆が王侯貴族のような生活をすれば、地球は一つでは足りなくなる。例えば、次々に新しい服を優雅に着こなすことが豊かさであり、幸せであるとすると、その大量の服を作るためには、大量の原料が必要になる。綿製品であれば、綿畑を拡大しなければならない。食物を栽培すべき畑で、贅沢を満たすために綿を栽培するという本末転倒のことになる。このために食料が不足し、綿栽培の農薬による環境破壊もある。手仕事であれば、大量に作れないからこそ、畑を拡大する必要もなく、環境も保全される。さらに、皆の手作業が必要となり、失業問題も生じない。こうして、全員の中程度の平等が実現する。
4.産業革命(industrial revolution)から勤勉革命(industrious revolution)へ
肉体労働を尊び、権利を主張するよりも義務を果たし、与える喜びを知っていくことが大切である。消費者であることをやめ、生産者となっていくことを通し、労働が生きがいとなる人生を見出していく。「労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人に分け与えるようにしなさい」(聖書:エフェソ4:28)。
(1)仕事とは何か?
職業に貴賤はない。糸紡ぎ・農業・トイレ掃除も医師や弁護士と同じくらい尊い仕事である。むしろ、トイレ掃除をすることで衛生状態が改善され、病気の予防につながるのであれば、トイレ掃除は医師よりも重要な仕事と言える。ガンディーは最高賃金も定め、最低賃金と最高賃金の差を縮めていき、同額とすべきだと主張した(M.K.Gandhi 1960)。
職業に貴賤はないが、兵士など命を損なう仕事からは手を引き、命を育む仕事に従事すべきである。子どもを生み・育てる母親に勝る仕事はない。食物・衣類などの生産こそが、人間が従事すべき仕事となる。今日では、営業・デザインなどの仕事が幅を利かせるようになったが、手仕事こそ取り戻す必要がある。
(2)糸通貨
第1次産業では食べていけないなどの問題を克服するためにガンディーが考えたのが、糸通貨の主張である(ガンディー 2017)。 糸通貨が実現すれば、糸紡ぎに励みさえすれば、必要なものを手に入れて生きていくことができる。ただし、そのためには、機織り、仕立てなどの職人が登場して、糸と交換で布や衣類が手に入るようにならないといけない。糸の一部は織り賃、仕立て代として職人に払うことになる。このように糸が通貨の役割を果たすようになれば、米や野菜を作っている農家も米や野菜を糸と交換してくれるようになる。そして、農家も糸を使って服などの必需品を手にしていくことが可能となる。給料として手に入るお金ではなく、肉体労働で手にする糸が交換の媒体であることがポイントである。
とは言え、機織りや仕立てなどの職人がほとんどいなくなってしまった現状では、このように経済を回していくことは、ほとんど不可能である。しかしながら、糸が通貨となる社会を目標に据えて、今、何をすべきであるかを考えることは必要である。織機を購入して、自ら機織り、仕立てまでやってしまってもよいし、機織りを趣味とする人とつながって、紡いだ糸を織ってもらうという方法も考えられる。
(3)体験だけで終わらず、生産者へと成長していく
綿の栽培や糸紡ぎワークショップがあちこちで行われるようになったが、体験だけで終わる人が多いという現状がある。せっかく糸を紡いでも、布にしていく方法がないという問題もあるが、それは、これまで書いたような克服法を考える必要がある。しかし、それ以上に大きな問題は、体験を楽しみたいという思いでの参加者が多く、服を作るところまで頑張りたいという意思があまり感じられないことである。体験を楽しみたいというのは、物を買うことに飽きた人々が、新しいタイプの消費として、体験を購入しているだけである。これは、ガンディーが目指した、生産者に戻りなさいという主張とは相いれないものである。糸紡ぎについて皆さんに知ってもらうという第1段階は達成したが、これからは本気で糸紡ぎに取り組み、衣類の自給率を上げていくという第2段階に進んでいく時期だ。「私には、非常に単純な計算にすぎません。もし、すべての人が、1日に1時間糸を紡ぐなら、皆が必要な衣類を手にすることができます。糸車を通して勤勉になり、無気力を克服するなら、それは本当に大きなことです」(ガンディー 2017)。慣れれば1時間で10gの糸が紡げるので、1㎏の糸でも100時間で紡げる。あわせて、勤勉さ培うことが必要である。
「人間という機械を大いに活用すべきです。自らの仕事を達成して喜びを味わう自立した人以上に幸福な人は、この世界にいません。ところが周囲を見渡すと、幸福な顔をしている人はいません。こうなってしまうのも、主として、人々が些細なことにも他者からの支援を期待しているからです。
自立が、独立の基盤です。他に頼るということは、奴隷状態が続いているということです」(ガンディー 2017)。
「誠実な働き手がいるならば、資金が足りないために妨げられるような理想はありえないというのが、私が強く確信していることです。奉仕を通して人々が敬意を払ってくれるようになります。そして半ルピーが必要な時に、1ルピーを提供してもらえます」(ガンディー 2017)。
参考文献
M.K.Gandhi (1926) “The Hindu” 8 Nov. 1926
M.K.ガンジー(1999)『ガンジー・自立の思想』地湧社
M.K.Gandhi (1960) “Trusteeship” Navajivan Trust, 1960
M.K.ガンディー (2017)『ガンディーの遺言』(ブイツーソリューション)