「環境とコミュニティ破壊から再生へ-豊島の産業廃棄物不法投棄問題をめぐって」
「豊島と共に」私たちの問題として歩んだ20年
「豊島はわたしたちの問題ネットワーク」
元事務局担当 真鍋宣子
Ⅰ,豊島事件に関わり始めた動機
私は経済高度成長時代のまっただ中を生きてきました。香川県の事業である番町地下駐車場建設(1991年・県立高校運動場地下に県営駐車場)問題に関わって、車優先の社会構造に疑問を持ち、県教育委員会傍聴と県議会の傍聴を続けました。のちに香川県議会議員選挙(1995年)では、香川で初めての市民手作り選挙を展開して「ままごとをしているのか」と揶揄されながらも、高松選挙区定数14人中10位で女性県議渡辺さと子の当選が実現しました。
同時期に豊島事件が表面化して事件を知り、豊島住民が出した産廃ではない私たちの問題であると同時に香川県の責任を痛感しました。選挙に関わって「行動」することによって社会に認知されて共感や支援を受けられることを学びました。報道にも豊島事件が取り上げられはじめ、島外からの支援も必要と「豊島は私たちの問題ネットワーク」立ち上げに繋がりました。
Ⅱ,豊島ネットの役割(設立1996年)
4つの柱として「①豊島の実情を知らせる、②豊島を支援する、③生命のふる里である海を守る、④使い捨て社会から循環型社会をめざす」を定めてスタートしました。行政への不信感は根強く残っていましたので、私にできることで関わり続けたいと事務局担当を引き受けました。
仕事と両立しながらの市民運動は時間的にも体力的にも厳しかったのですが、周囲の心遣いに助けられ、豊島住民会議の行事に参加することによって豊島の方々の悔しさを深く知って島外へ知らせなければと思いました。「豊島は私たちの問題ネットワーク」独自では「豊島原論」「豊島へ行こう」「アースデイかがわin豊島」「豊島棚田くらぶ」などの行事を行いました。
Ⅲ,解決に向かっている今
豊島で出会った方々との交流は私の人生の中での宝物です。頂いた恩恵は私の支えになっています。
Ⅳ,今後の展望・夢
豊島全体の水がめと言える壇山の保全構想、始まったばかりですが豊島の文化発信になれるかの試み「豊島私の本箱」プロジェクト、若者やIターン移住者の定着など、期待が高まります。