「原子力先進国」フィンランドにおける反核と反原子力

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日本平和学会2017年度秋季研究集会

報告レジュメ

 

「原子力先進国」フィンランドにおける反核と反原子力

 

香川大学

佐藤温子

 

キーワード:原発、高レベル放射性廃棄物、 平和運動、反原発運動、冷戦

 

1.はじめに

 フィンランドは原子力の分野で先進的と言われる。それは、主に次の二つの理由からである。第一に、福島原発事故後も、原子力による電力供給を推進する政策に大きな変更はない。第二に、長年対立してきた高レベル放射性廃棄物の最終処分に関して、フィンランド国会は2001年、世界で初めて国内への最終処分場建設計画を承認した。現在、同建設計画が公に決定しているのは、フィンランドとスウェーデンのみだ。

 しかし原子力の問題が世界各地で対立の対象になっていることを鑑みれば、次のような疑問が生じる。フィンランドでは、いかにしてこれらの政治的な難問に関して反対派と折り合ったのだろうか。そもそも反対派はほとんど存在しないのだろうか。ここで結論を先取りしていえば、フィンランドにおいても反対運動があり、決して円滑な経過ではなかった。

本報告では、フィンランドの華やかな名声の陰にある、反核運動と反原発運動に着目する。最初におおまかにフィンランドの基本情報と歴史的背景を確認し、そののちに同国の平和運動と核に関して叙述し、続いて「原子力先進国」を取り巻く現状を、原発立地の一つロヴィーサにおける高レベル放射性廃棄物処分場の反対運動を中心に述べる。

 

2.旧ソ連との関係、平和外交と原発

 フィンランドと言えば、その平和外交でよく知られる。冬戦争に敗北した後のソ連との関係性から、フィンランドは外交により安全保障政策を築かざるをえなかった。「北欧非核兵器地帯」の構想の発端も、フィンランドの大統領ケッコネン(Urho Kekkonen)によりなされた提案にある。

 1939年に旧ソ連が宣戦布告なしにフィンランドを攻撃して始まった「冬戦争」、および1941年に旧ソ連の脅威に対抗して行われた「継続戦争」でフィンランドは敗北を喫した。その結果、1944年9月には厳しい休戦協定が結ばれた。当時人々の生活は困窮していたが、旧ソ連との関係を不穏にさせないため、マーシャルプランも辞退した。1948年4月、フィンランドは旧ソ連と「フィンランド・ソ連協力相互援助条約(以下YYA条約)を結び、他国といかなる軍事同盟も結ぶことはなかった。フィンランドの大統領パーシキヴィ(Juho Kusti Paasikivi)は、旧ソ連との友好路線を基盤とした中立政策を掲げ、次のケッコネン大統領も、この路線を受け継いだ。

 冷戦の影響は原発の導入にもみられる。 冷戦下において、原子力の民生利用は、米国と旧ソ連が科学技術のヘゲモニーをめぐって争う対象であった。フィンランド社会は戦後の急速な工業化と都市化により、原発による、他国に依存しない安価なエネルギー源を必要としていた。しかし当時、二大国の技術の評判は、はっきりと異なっていた。米国の原子力技術が安全で信頼でき、効率的である一方で、旧ソ連の方は、出来が悪く粗雑と見なされていた。当然ながらフィンランドの技術者や電力業界は西側の技術を希望したが、当時の政治状況がそれを許さず、旧ソ連からの圧力に屈せざるをえなかった。

 結局、フィンランドは、国内初の原発の技術的支援を旧ソ連から受け、旧ソ連型加圧水型原子炉(VVER)をロヴィーサに導入、1970年代に建設が着手され、1号機が1977年、2号機が1980年に運転を開始した。つづいてスウェーデンからの技術的支援により、沸騰水型原子炉(BWR)をオルキルオトに導入、1978年に1号機、1980年に2号機が運転を始めた。

 

3.平和運動と核

 フィンランドの平和運動の源流となる主な構成は、大まかに分けて二つある。一つは、フィンランド平和連合(Rauhanliitto)であり、第一次世界大戦までその起源が遡る。もう一つは、フィンランド平和委員会(Rauhanpuolustajat)であり、旧ソ連の影響下にあった世界平和評議会(World Peace Council)のメンバーでもあった。これら二つの平和団体は、常にイデオロギー的な競争状態にあった。フィンランドの平和運動の中では、多くが核兵器に反対していた。しかし原発に関しては意見が分かれていた。

1970年代末には冷戦の緊張が高まり、ヨーロッパで反核平和運動が隆盛をみせ、欧州核兵器廃絶運動(END)が組織され、その流れはフィンランドにも波及していた。しかし、この反核平和運動は、フィンランドの公的な外交政策とフィンランド・旧ソ連間の良好な関係に反するものであるという政治家による非難の対象ともなった。結局、フィンランドにおける反核兵器運動は、原子力の民生利用反対に向かう強い勢力とはならなかった。

 

4.チェルノブイリ後のフィンランド社会

 1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故が発生したが、旧ソ連政府が事故の事実を認めたのは28日夜になってからであった。翌29日にはフィンランドの全国紙『ヘルシンギン・サノマット』にチェルノブイリの事故が報道された。しかし他国と同様、フィンランド政府も、チェルノブイリ原発事故の結果は国民にとり危険性の無いことを発表した。それでも、1983年以降おおむね増加してきていた原発への支持は、事故前の1986年4月を境に大幅に減少した。フィンランドにおけるラジオ・テレビでは、論争的アプローチが避けられていた。批判は、原子力政策そのものではなく、報道のありように向けられた。しかしその後、原子力産業は低迷し1993年9月には国内5基目の原子炉建設が国会により反対された。

 1994年以降は、原子力の推進期が始まる。気候変動問題への対策として、特に化石燃料に比較して、原子力が唯一の現実的なエネルギー源であるという、原子力擁護派の新しい議論が浮上し始めた。旧ソ連体制崩壊により、フィンランド経済は打撃を受けていた。2002年5月には、フィンランドで第5基目となる、新しい原発の建設が、国会の採決を経て承認された。一方、2000年にドイツで赤緑政権(社会民主党・緑の党)が電力業界と脱原子力を決定していたことを鑑みれば、全く反対の方向性である。この原子力推進の背景には、旧ソ連およびロシアへの科学技術および電力を頼むよりは、自国の技術を培った方がまだ安全であるという認識がある。

 

5.「原子力先進国」フィンランドをめぐる現状

 さて、以上のような経過から見ると、フィンランドは「原子力先進国」の道を邁進しているのだろうか?筆者は、以下の諸点から、けっしてそうとは言い切れないと考える。

 

(1)オルキルオトにおける特殊性

 国際的にも、原子力産業に経済的に依存する地域において、原子力技術への親和性が比較的高い性質、いわゆる「原子力オアシス」が言及されている。それはフィンランドにおいても指摘されうる。原発建設の決定以来、立地であるオルキルオト自治体の経済は、原子力産業により支配されてきた。1990年代中頃にはこの地域の1年の税収の三分の一をも占めた。2001年オルキルオト自治体に、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の誘致が決定された。しかし、世論調査によれば、「フィンランドの地層に放射性廃棄物を処分するのは安全だと思う」のは、計画決定直後の2002年秋でも29パーセントに留まり、反対派は49パーセントにも上る。フィンランド全体とユーラヨキ自治体の地域差が相当存在すると言える。

 

(2)5基目原発の予算・期日超過

 ロシアのガスへの依存過多への恐れから、フィンランド政府は国の原発による電力供給の増大を企図している。しかしながら、当の建設計画は数年遅れている。オルキルオトに建設中の、国内で5基目となる原発は、2005年に開始し、2009年中頃に稼働開始が見込まれていたが、現在も建設中である。さらに、オルキルオト原発の予算は280%超過している。バイエルン州銀行からの貸付金によりようやく開始することが出来た。

 

(3)原発立地ロヴィーサにおける最終処分場施設への反対運動

 フィンランドの二つある原発立地のうちの一つロヴィーサもまた、高レベル放射性廃棄物最終処分場の候補地の一つとして選ばれた。しかしオルキルオトとは異なり、最終処分場に対して異議を唱える請願書に、3,925人が署名し、候補地からは免れた。2017年9月に現地で資料収集および、反対運動の中心となったトーマス・ローゼンベリ(Thomas Rosenberg)にインタビューを行った結果を報告する。

 

(4)ハンヒキヴィにおける反原発運動 

 11月25日に上映するドキュメンタリー・フィルムにあるように、ハンヒキヴィの原発建設計画に対して、2007年、反原発団体「プロ・ハンヒキヴィ」が設立された。同団体の主張は以下である。(1)候補地となる地域の自然破壊が懸念される。(2)問題は現地のみに収まらない。ハンヒキヴィ・ワンの核燃料には、マヤーク核燃料工場が使用済み燃料の再処理により取り出すウランを使う予定である。マヤークの操業により、テチャ川沿岸の人々は放射線被害に悩まされている。すなわち、ハンヒキヴィ原発がロシアから核燃料を受け取ることにより、ロシアの汚れたビジネスを支持し、ウラル地方での悲劇を助長することにつながる。(3)もともとフィンランドの原発はロシアへの輸入依存を減らすのが目的にあることを鑑みれば、矛盾している。(4)原子力よりも、自然エネルギーを推進すべきである。

 

参考文献

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  • 若尾祐司・木戸衛一編(2017)『核開発時代の遺産』昭和堂.