日本平和学会2017年度秋季研究集会
難民・強制移動民分科会(11月25日)報告レジュメ
中米コスタリカをめぐるヒトの移動
富山大学人文学部
竹村 卓
キーワード:ヒトの移動、中米、国際人権レジューム、パラダイム転換、人間の安全保障、コスタリカ
1.はじめに
コスタリカの英字ニュースサイトCosta Rica Newsは、2017年8月21日付配信記事で、ニカラグアとの国境付近でコスタリカの国境警察が、一台のトラックに押し込まれた50名のニカラグア人労働者を発見し、コスタリカ人運転手を人身不法移送の罪で逮捕した、と報じた。また別の報道では、アメリカ合衆国(米国)を目指す複数国籍の人間の不法移送が摘発された、とある。米国とキューバが国交回復した2016年には、米国行きを希望する数千人単位のキューバ難民が、コスタリカに留まらざるを得ない状況にあった。
本報告は、コスタリカをめぐるヒトの移動を、周辺の中米地域のヒトの移動と比較して検討することで、人間の安全保障の観点から、何らかの示唆を得ようとする試みの一つである。
2.米国における中米出身「不法移民」問題と中米の状況:脅かされ続ける人間の安全保障
2016年1Ⅰ月アメリカ合衆国(米国)において、「不法移民」排除を公約に掲げる共和党ドナルド・トランプの大統領当選が確実になって以来(2017年1月大統領就任)、米国国内にとどまらず、隣国メキシコや移民の主要な送り出し国である中米各国においても大きな混乱を生み出してきた。従来中米諸国では、米国への移民からの仕送り即ち移転所得が国の経済を支えてきた。例えば2012年の移転所得の対GDP比は、
エルサルバドルでは13%、ホンジュラスでは15.7%を占める。米国内での合法・不法併せた移民人口は、エルサルバドル出身が約230万、ホンジュラス出身が約80万とされる。ホンジュラスからの米国への移民は比較的最近の動向であり、2012年時点で米国在住ホンジュラス出身者の半分以上が2000年以降に移住し、約4分の1は2006年以降に移住。ホンジュラス出身移民の60%以上が不法移民であり、その数は2000年1月現在の16万人から2011年には38万人に増加、その間の増加率は132%に及び、同時期の不法移民増加率では、グアテマラ出身者の82%やエルサルバドル出身者の55%を大きく上回っている。
近年米国における中米出身不法移民の中で、大人に伴われない子ども達だけの不法入国者の増加が、大きな社会問題としてクローズアップされて来た。その背景には中米において犯罪と暴力が蔓延し、日常的に人間の安全保障が脅かされている状態がある。例えばエルサルバドルにおいては、2012年に人口10万人当たりの殺人率は40名台に下落したものの、暴力による死者数が、1980年代の内戦中よりも内戦終了後の方が多い、という状況は変わらない。隣国ホンジュラスから伝えられる情報は、より深刻の度を増している。人口10万人あたり殺人事件被害率は、米国への麻薬輸送ルート化とそれに伴う海外犯罪組織の進出もあって、2011年・12年の両年90名を超え、「世界で最も殺人に遭遇しやすい国」となってしまった。この犯罪の犠牲となるのは、第1に子どもたちであり、女性がそれに次ぐ。日常的に犯罪や暴力に巻き込まれる死傷者、特に幼小児の死傷者の増加は、目を覆うばかりであり、現地からは連日のように悲惨な状況が報道され続けている。ホンジュラスに代表される中米地域において、人間の安全保障が日常絶えず脅かされ続けている。特に子どもと女性、そして老人という社会的弱者は、生命の危機に日々直面している。人々は、文字通り生命を全うするため、生き残りをかけて自らの生まれ育った土地を離れて移動せざるを得なくなる。せめてわが子の生命を守ろうと親たちが、地縁・血縁など様々な手段を使って国外に脱出させた子どもたちの中で、米国までの移動途中で犯罪の犠牲など落命するものも、少なくない。移動中性犯罪や人身取引といった脅威に曝され続けているのは女性たちも同様である。
人間の安全保障、その根底である生命の危機から逃れようと移動しても、移動中にも生命の危機に直面し、移動後も貧困と米国官憲等国家権力からの脅威に脅かされ続ける中米の移動者たち。中米「から」と「での」ヒトの移動には、幾重にも脅かされ続ける人間の安全保障が顕現している。UNHCRなどからの強い警告と注意喚起を呼び、極めて不充分ながら、中米各国政府と米国・メキシコ両政府、各種国際機関も2017年中だけでも複数回の会合を重ねて対策を協議している。しかしながら国際関係における既存アクターの機能不全は明瞭である。さらに犯罪難民化と単純な「経済難民」ではない構造的な「貧困」難民
とも称されるべき移動民は、既存のいかなる国際公法の規定も掬い上げることが出来ない。国際人権法をはじめ従来の国際人権レジュームでは、対処仕切れない現実が間違いなくそこにはある。パラダイムの転換が求められる所以である。
3. コスタリカをめぐるヒトの移動:特にニカラグアからの「経済移民」または「難民」問題
一方目をコスタリカに転じてみれば、情勢は一変して見える。コスタリカから米国への移住民は、2000年から2010年の間、68,558人から126,448人に増加したに過ぎない。GDPに占める移民からの移転所得も僅かなものである。コスタリカは憲法第31条により政治亡命を認め、国際的には難民問題はじめ国際人権保障に熱心な国是で広く知られて来た(竹村・2001)。移民に関しても、建前では歓迎してきた。在住外国人や移民の増加に伴い「白人国」の神話が根強かった国民意識にも変化が見られ(国本 2017b)、2015年1月には憲法第1条を改正して、「コスタリカは、『多民族、多文化の』民主的、自由で独立した共和国である」と多民族・多文化を国柄に加えた(足立 2017a、国本・2017a)。
しかしニカラグアからの移動者・移住者が増加するに従い、建前ではない本音の言説がコスタリカ社会で表面化するようになってきている(竹村・2002、足立 2017b)。2009年コスタリカ政府は
国連開発計画UNDPの『人間開発報告2009』によれば、ニカラグアの対GDP比12.1%に及ぶ移転所得の65%以上は、ラテンアメリカ・カリブ地域からのものである。その大半がコスタリカからの送金である事は、想像に難くない。
4.おわりに
周囲の中米地域に較べれば、コスタリカをめぐるヒトの移動は、未だ牧歌的な印象を与えるかも知れない。
参考文献
- 足立力也(2017a)「人口の1割は外国出身―『移民大国』の光と影」国本伊代編著『コスタリカを知るための60章【第2版】』明石書店
- 足立力也(2017b)「プーラ・ビーダ―純粋で素朴な人生こそ最大の美徳」同上.
- 国本伊代(2017a)「人びと―移民受け入れ国となった多民族・多文化国家」同上.
- 国本伊代(2017b)「神話『白人国』―多民族・多文化社会の現実」同上
- 竹村卓(2001)『非武装平和憲法と国際政治―コスタリカの場合』三省堂
- 竹村卓(2002)「La Segunda Ronda(第2ラウンド)―コスタリカ大統領選挙決選投票をめぐって」
- 『ラテン・アメリカ時報』(社団法人ラテン・アメリカ協会)2002年6月号
- 「地域主義再考:誰がアクターか―サブリージョナリズムの可能性」(北東アジア学会2011年度学術研究大会2011年10月2日)平成21―23年度科学研究費補助金(基礎研究(B))研究成果報告書課題番号21402016『グローバル時代のマルチ・ガバナンス―EUと東アジアのサブリージョン比較』(研究代表者多賀秀敏)2012年3月
- United Nations Development Programme , Human Development Report 2009
- Overcoming barriers:Human mobility and development
- World Bank
他にWeb資料など。