パックス・エコノミカを超えるために―脱成長論の思想と実践 ─村単位の自給自足:ガンディーのスワデシの実践より─

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日本平和学会2017年度秋季研究集会

報告レジュメ

 

パックス・エコノミカを超えるために―脱成長論の思想と実践

─村単位の自給自足:ガンディーのスワデシの実践より─

 

片山佳代子

 

キーワード: ガンディー、スワデシ、スワラージ、糸車、カディー

 

1.はじめに

 本報告では、ガンディーのスワデシ(村単位の自給自足)の実践に注目しながら、ガンディーが目指したスワデシとは何か、そして、それがいかに、資本主義社会の行き詰まりに対する解決法となるのかを考察する。

 

2.トリクルダウンの誤り

 「パイを大きくすれば皆が豊かになれる」とトリクルダウン理論は説くが、これは正しくない。なぜなら、地球は一つしかないから、多くを求めると足りなくなるのが必然である。例えば、綿花畑を拡大するには、穀物畑を縮小するしかない。江戸時代の日本では、綿が換金作物となり、綿花栽培が盛んになるにつれ、江戸以西では、大豆よりも綿花を栽培するようになった。盛岡藩や八戸藩では、大豆栽培が強制され、焼畑の拡大により猪が異常発生し飢饉を招いた記録がある(三浦 2009)。また、世界で4番目に大きな湖であったアラル海が、綿花栽培のための無理な灌漑によって消滅した。 

 戦後、日本人が物質的に豊かな暮らしを実現できていたとしても、それは途上国の暮らしの犠牲があってのことである。フィリピン滞在中にバナナやサトウキビなどのプランテーションを目にする機会があったが、そのような広大な場所で、人々が日常食べるものを栽培できれば、人々がお腹をすかせる事態になるはずはない。先進国の豊かな暮らしを支えるために、途上国が犠牲になってきた歴史がある。

 

3.スワデシ=村単位の自給自足

(1)本当の豊かさは農村での与え合う暮らし

 奪い合うから足りないだけで、奪うことをやめれば、必要以上に、自分の物として蓄えることをやめれば、実は、既に充分以上の物を、天から与えられていることに気づくことができる。1粒の種は30倍、60倍、100倍の実を結ぶ。大地は無料で私たちに多くのものを提供してくれている。この大地と寄り添って、種を蒔きながら生きることが、本当の意味での豊かさの秘訣である。

 天がどれほど多くの物を与えてくれているかに気づくなら、私たち一人一人も与える人になれる。人生とは、いかに多くの物を獲得するかではなく、与えられている物をどう活用するかである。既に与えられているこの命、身体・・・これらをどう活用して、生きていくか? これこそが、まず考えるべきことである。与えることに徹していれば、困ったときには助けてもらえる。ただし、与えることもせずに支えてもらおうと安易に考えることはやめた方が良い。

(2)新しい計画:都市での販売をやめる

 ガンディーは、1944年に新しい計画を発表した。すなわち、都市でカディー(手紡ぎ・手織り綿布)を販売することを取りやめ、人々には自分と村の必要を満たすために糸を紡ぐように求めた。当初は、農村の女性に糸を紡いでもらい、その糸で作った布(カディー)を都会で売り、女性に労賃を支払うという方法だったが、糸紡ぎが盛んになるにつれて、売れ残りが生じるようになっていた。それは、都市の意識の高い人が、値段が高くても、農村の女性を助けるためだとして、カディーを購入していたが、そのような都市の人の人数は限られていたからだ。ところが、糸を紡いでいる農村の女性たちは、カディーを着ないで英国から輸入されている安い工業製品のサリーを着ていた。そこで、ガンディーは、自分で着るために糸を紡ぐことを求めた。そうすれば、紡いだ糸の使い道がないという事態には至らないと考えたからだ。

 また、こうすることで、価格の低迷という問題も回避できる。と言うのも、値段をつけて販売する物ではなくなるからである。村人が何人いて、1年間にどれだけの衣類を新調するかを計算して、必要な綿花を作付し、それを協同で糸にし、布に織っていく。米・麦・野菜なども同様である。毎年必要な量を作付して、皆で分け合えばよい。こう考えれば、現在米の値段が下落しているから、大規模化して大量に作ろうとする考えの可笑しさがわかる。米の値段が半値になっても、国民の胃袋が2倍になるわけではない。

 経済の課題は需要を満たすことであり、必要なものを必要量生産し、必要とされる所に届けることである。本来は、請われて生産するのであって、宣伝して販売しようとすることがそもそもおかしいのである。

 村単位であれば、必要量を見極めやすい。そして、届けるのも容易である。しかし、都会で売ろうとすると、安売り合戦に陥ってしまう。

(3)物は商品ではない

 日本人が1年間に60㎏の米を食べるとすれば、それは、1年間の命であって、値段をつけることはできない。また、物にはつくった人の命が宿っていて、本来神聖なものである。絣模様に、鶴や亀などの縁起物がよく用いられるが、それは嫁に行く娘のために、母が娘の幸せと長寿を願って織り、持たせているからである。そして娘の方も、母の心がこもった織物を大切にしていた。

(4)領域を守る  

 江戸時代は、各町内に床屋、風呂屋、鍛冶屋、蕎麦屋などが、1軒ずつあり、町内の人は町内の床屋、風呂屋などを利用することになっていた。そのため、不必要な競争は起こらない代わりに、それぞれが同じ町内に住む人のために仕事をするので、必然的に責任を持って良い仕事をしていた。

 ガンディーが目指した社会も同様で、各村人が、同じ村の人々のために働き、そうすることで村での必要が満たされていく。こうすることで、競争ではなく、互いに協力する人間関係が培われる。そのような共同体の中で、すべての人が自分の居場所を見つけ、それぞれの特技を生かして社会に貢献することができる。そして、皆が贅沢でも貧乏でもない暮らしを実現できるのである。

 「その国の主要な産業を保護することは、その国が生まれつき持っている権利です。

 隣人に何が起ころうと考慮する事なく、一番安いものを買うようにと教えるのは浅はかな哲学です。オーストラリアやアメリカから無料の援助物資として質の良い小麦をいただいたとしても、そのことがインドの土地には黄金の穀物の代わりに雑草をはびこらせ、人々は仕事を失うということを意味するのであれば、その小麦は我々に毒をもることになります」(ガンジー 1999)。

 

4.都市と村との対等な関係

 都市に住んでいるために、畑を持つことができないとしても、糸紡ぎであれば都会の部屋でも行うことができる。そして、紡いだ糸と米や野菜を交換すれば、糸を紡ぐことで生活を成り立たせることが可能である。これを実現するためには、まだ克服しなければならない課題が多数あるが、このような社会を理想として、一歩ずつ方向を見失わないで進んでいくことが大切である。食物、衣類、どれも元を正せば、農村の畑からとれたものである。ところがそれが、都会では安く買い叩かれているために、農村での仕事で生活を成り立たせることが難しくなっている。すなわち、都市が農村を搾取しているわけである。そこで、このようなゆがんだ関係を正し、本来の対等な関係を取り戻す一助となるのが、都会での糸紡ぎの取り組みである。実際に糸を紡ぐ作業を通して、農村の人々の苦労を知ることで、不当に安い値段を要求することはできなくなる。

 現代のフェア・トレードが抱える問題も類似している。たしかに、アンフェア(不公正)な貿易よりはフェア・トレード(公正な貿易)の方が良いが、それでも、本当に各地域が対等の関係を結ぶためには、もう一工夫が必要である。手紡ぎ・手織りの服の着心地の良さが知られるようになると、東南アジア諸国で手紡ぎ・手織りされた衣類が輸入されてきているが、途上国の人件費の安さを受け入れていると、結果的に、本国での手仕事の普及を妨げることになってしまう。

 ガンディーのスワデシの理論に従えば、各人は、それぞれ自分の国の需要を満たすために作るべきであって、日本人のための衣類を東南アジアの女性たちが作る取り組みであれば、ガンディーが求めた社会の実現には寄与しないことを知っておかねばならない。

また、日本製に比べれば安いとはいえ、それでもそれなりの値段がする手紡ぎ・手織りの衣類を購入するためには、都会でのサラリーマン労働で稼がねばならない。このため、会社勤めを辞めることができず、行き詰った資本主義のシステムから抜け出せなくなる。すなわち、自分で作ることが必要である。すべての必需品を一人で作ることはできないから、余分に作って、交換すればよいが、お金による購入は考えない方が良い。お金が媒体となると、大規模に工業化されたグローバル経済と同じ土俵に乗ることになり、太刀打ちできない。

 

5.私たちのアシュラムを作る

 工業化された資本主義社会では、日進月歩の技術革新が行われている。進歩するということは、人手が不要になるということである。不要となる人々を雇い続けるためにはより多くを作っていかねばならない。つまり、経済が常に成長していないと失業者があふれてしまうのが、この資本主義のシステムである。そのため、欲望を煽ることで売り上げを伸ばしている。文明開化の時代には、何でも洋風であることがもてはやされたが、これも、日本人に机や椅子、背広、ネクタイ、靴を買わせるための策略であったと言える。今まで必要でもなかったものを買うために会社勤めをするようになり、いつの間にか、大地から離れて都会に住むサラリーマンとなっていった。

 そして、いまだに欲望を煽られ、物を購入して消費することが、生活となってしまっている。そして消費するためには、お金が必要だから雇用先に縛られてしまっている。このサイクルを断ち切るために必要なのがアシュラムである。ガンディーはアシュラムという共同生活の場を作り、皆で農業、手仕事に携わることで、自由な暮らしを実現していた。独立運動において、あれだけの人々が逮捕覚悟で英国政府に対してNo!と言うことができたのも、アシュラムがあったおかげである。

 

6.スワラージ(自治・独立)は私たちの手の中に

 アシュラムのような仲間とのつながりの中で、自給的農業、手仕事、物々交換で生活を成り立たせることができれば、もはや企業に雇ってもらわなくても生きていける。多国籍企業やその下請け企業で働き、その製品を購入することが、企業を支え、エネルギーを浪費し、庶民を苦しめていることを考えれば、このようなシステムから自由になることはとても重要である。

 

7.まとめ

 ガンディーの取り組みは、生活の原点を自らの手に取り戻す運動であったと言える。そして、その運動が大英帝国を揺さぶることになる。それは、大英帝国がインドから搾取していた利益を、インド人が自らの手に取り戻す運動であったからである。私たちがガンディーから学ばねばならないことは、糸車を回すという一見取るに足らないように見えることが、実は重要な意味を持ち、大きな力を持っている、ということである。

 このため、私たちは地道に、本気で取り組まなければならない。1日に1時間、10gほどの糸を紡いでも、毎日やれば、1年で数㎏の糸を紡ぐことができる。仕事を辞めなくても、今の生活の中でもできることである。例えば、1年に1㎏の糸を紡ぐ日本人が100人いれば、日本は変わるだろう。その100人のうちの何人かが機織りを担当すれば、服を作ることができる。

 衣食住という生活の必需品は、すべて農村の産物であり、大地が産み出している。だから、大地とのつながりを取り戻すことが極めて重要となる。大地はすべての人の共有財産であるという認識を新たにしなければならない。

 

参考文献

 三浦忠司(2009)安藤昌益ガイドブック『八戸と安藤昌益』安藤昌益資料館

 M.K.ガンジー(1999)『ガンジー・自立の思想』地湧社